最後の砦云々、俗説好きなわしは大阪夏の陣より島原天草一揆の方を推すんだがや
戦国時代の戦いの最後の砦となった舞台は、基本的には大阪夏の陣というところで間違いないとは思うんだが、ここに敢えて自分は異論を差し込みたい
というのは、大阪夏の陣で豊臣、徳川の戦いは終わり、ではない説があるからだ!
それが、かの、島原天草の一揆である
俗説、天草四郎は秀吉の孫だった!?
島原天草の一揆は数万人単位の乱だが、それを指揮した総大将は、天草四郎という10 代の青年である
神通力が使えたことから神格化され、総大将にまで持ち上げられたというのが教科書的な説明だが、それってよくよく考えると違和感があるところが多くないだろうか?
総大将がただの傀儡だったとしても、その辺の10代の青年を担ぎ上げて、一揆はまとまるだろうか?
いざとなったら、天草四郎の奇跡で敵をやっつけるなんて言ったって、江戸時代の人々だって、馬鹿ではない
というか、自分の命がかかってる場面で、数万人が破れかぶれの奇跡にすがって徒党を組めるとは到底思えないだろう
徳川幕府に対する明確な反抗勢力を掲げてこそ数万人も人が集まると言うのが自然な発想であろう
じゃあ、この時代に考えられるのは、秀吉の孫、もしくは、ひ孫である
大阪夏の陣から命からがら逃げ延びた、豊臣家の子孫が、最後のひと花火を上げたのが、島原天草の一揆だという風に考えると、割とすんなり理解できる説ではなかろうか
たしかに、これはあくまで俗説だが、結構信じたくなる仮説だとも思うのだ
ていうか、そうだった方が面白い
ということで、史実の正確さなど一旦置いておいて、天草四郎、秀吉の孫説を採用しよう
この説を採用すると、次のことが言える
大阪夏の陣は最後の砦ではない!
島原天草の乱こそが最後の砦である!
最後の砦でひと花咲かせたいなら、大阪の夏の陣で討死してはならないのだ
九州に落ち延び、島原天草の乱まで生き延びよ
そこまで生きて、最後の砦で討死できるのだ
さて、別にまとめるつもりはないが、キリがいいので一応最後にまとめておこう
とどのつまり、最後の砦とか諦めてないで、醜くとも生き延びよっちゅうこっちゃな
はい、良いこと言っておわり
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