カフカー不条理な生とそこに生きるものたち
フランツ・カフカ(1883-1924)はプラハのユダヤ人の家に生まれた、ドイツ語作家。日本での人気も高く、最も有名な作品は、ある日突然虫になってしまった青年を描いた『変身』であろう。
私は最近、岩波文庫から出ている『カフカ短編集』/池内紀編訳を読んだ。これが私のカフカとの初めての出会いだったのだが、その世界観にドはまりし、その次に『変身・断食芸人』/山下肇・山下萬里訳も読んだ。
カフカの作品の哲学的・寓話的な側面のせいか、読んだ後にいろいろ語りたくなってしまったため、筆を取り(パソコンを開き)、いくつか作品をピックアップして、感想をnoteにしたためることにした。私はカフカをたくさん読んでいるわけではないので、あまりちゃんとした解釈でも感想でもないのだが、ひとりごとだと思って読んでほしい。なお、ネタバレを含むのでご注意を。
『判決』
ある青年は、婚約者との結婚を控え、父から受け継いだ商売もうまくいっており、順風満帆な生活を送っていた。ペテルブルクにいるという友人に婚約について知らせる手紙を送るということを伝えに、父親の部屋に行くが、会話しているうちに父親が豹変し、青年の罪を次々暴き、最終的に死を命じる。
父親=審判者(神)というイメージは、特にヨーロッパのキリスト教文化圏の中でよくみられるもので、この作品を読んでいる時、映画『アマデウス』のモーツァルトの父親とドン・ジョバンニの騎士長が重ね合わされるのを思い出した。これはカフカ自身の父親との関係も反映しているのかもしれない(カフカの父親も厳格な人物だったらしい)。
作品の中での、主人公から見た父親の印象の変遷が面白く、最初部屋に入ったときには、ガウンを着た父親が大きいことを改めて思い出すが、父親を介抱してベッドに入れようとするときには、弱弱しい父親に対して、上手く言いくるめることができるように感じる。しかし、布団をはねのけベッドの上に仁王立ちした父親は、すっくと背をのばして再びその偉大さを現し、片隅に追いやられた主人公はその力から逃れることができないのだと悟る。
最後、主人公の青年は体操が得意だった子供時代を思い出し、両親を愛していたことをそっとつぶやく。大人になり、体が大きくなり、身勝手な目的のためにたくらみを巡らせ、父親を超えようとした青年の破滅の末路と少し切ないラストが印象に残った。
『雑種』
私がカフカの中で一番好きな作品。語り手は父親から半分猫で、半分羊の不思議な生き物を受け継ぐ。そいつは窓辺で日向ぼっこをしながら喉を鳴らし、夜には屋根の上をのそのそ歩く。近所の子供たちに見せると、質問攻めにされるが、この生き物の正体はよく分からない。語り手とこの生き物のほのぼのした生活が伸び伸びと描写されていて、癒される。カフカは動物好きだったのかもしれない。
と思っていたら、最後の段落でカフカらしい不穏な部分が出てくる。
もしかするとこの動物にとって、肉屋の庖丁こそいちばんの救いかもしれない。だが、せっかくの遺産である、ここはひとつ相手が息を引きとるまで待つとしよう。もっとも、ときおり分別くさい目でじっと見つめられたりすると、早く当然の処置をしてくれと、せっつかれているようにも思うのだが。
さっきまでほのぼのした描写が続いて、油断していたところにぐさりと刺される感覚だ。日本語でわずか3ページほどの掌編小説だが、これほどカフカのエッセンスを凝縮した作品もないと思う。
やはり、この不思議な生き物はカフカ自身を表しているのだろうか。ユダヤ人として生まれ、プラハで生き、ドイツ語で書いた彼の作品には、様々な要素がごちゃ混ぜになりながら、どこか行き場のない不安や孤独感が根底に流れ続けている。似たような境遇のヨーロッパのユダヤ人の同胞のことも、カフカは意識して作品の中に取り入れていたのかもしれない。
『変身』
言わずと知れたカフカの代表作。
グレゴール・ザムザはある朝、なにやら胸騒ぐ夢がつづいて目覚めると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変わっていることに気がついた。
この書き出しは、『変身』を読んだことがない人でも多くの人が知っているだろう。
この作品については、多くの研究書や解釈が出ているだろうから、他の人にお任せするとして、ここには私が読んで思ったことを書こう。
まず、グレゴールがベッドで目覚めたとき、仰向けに寝ていたせいで、甲羅の部分を下にしてひっくり返ったまま変身してしまっていた。そこから彼は苦労して起き上がろうとするのだが、その努力が涙ぐましい。いろいろ試した挙句、体を揺り動かして、その反動でベッドから飛び出そうとするのだが、私も最近道端で虫がひっくり返ってしまって、もとの態勢に戻ろうともがいているのを見たのを思い出した。きっとカフカもそんな虫を見かけて、『変身』に取り入れたのだろう。
それから、グレゴールや職場の上司、彼の家族まで、虫に変身したことに驚きはするものの、というより、それが一番重要なはずなのに、自分たちの仕事や生活のことの方を心配しているのが、カフカの皮肉な視点だと思った。グレゴール自身も、激務のせいで体が虫になってしまったのだろうとか、寝坊してしまったせいで、大事な取引に行けなくなってしまったことを気にしていて、現在就職活動中の身としては、社会の厳しさに揉まれると、実存の在り方さえ二の次になってしまうほど、仕事のことしか頭になくなってしまうのかと、戦慄していた。
というのはさておき、虫になったグレゴールには様々な理不尽な仕打ちが待ち受けているのだが、家族のことを想いながら、自分はいなくなるべきだと考え、安らかに最期の息を吐くのは、絶望と諦念、そして運命を受け入れるというカフカの作品の特徴が強く表れている部分だと感じた。
『断食芸人』
何日も断食をすることで人々の人気を集めていた断食芸人は、時代が変わるにつれて、その芸風がウケなくなり、サーカス団の片隅でひっそりと忘れ去られていく。
この作品の感想というより、ただの連想からのたわごとくらいで聞いてほしいのだが、後世の人間からすると、この断食芸人の痩せて骨が浮き出て皮ばかりになった姿は、なんとなくホロコーストを思い起こさせる(アウシュビッツ収容所解放後にとられたあのユダヤ人たちの写真を見たことがあるだろう)。カフカがそういった未来を具体的に予言していたと言いたいわけではないが、カフカの作品を読んでいると、彼がどこまで見えていたのだろうと、ドキリとさせられることが多い。カフカは第二次世界大戦がはじまる以前に亡くなっているが、当時の社会の雰囲気やある種の作家の嗅覚から、これから先に同胞に起こる出来事をなんとなく感じ取っていたのではないかと思ってしまう。彼の作品の行き場のない孤独感や絶望、諦念が、予言的に読めてしまうのは、後世の私たちが勝手に作り出した幻想なのだろうか。
さいごに
カフカの作品を読んでいると、あまり楽しい気分にはならないが、それはカフカが徹底して、作品の中に逃れられない絶望を用意して、登場人物を追い込んでいくからだろう。しかし一方で、不条理な現実に対して、ちっぽけな生を示し続けた登場人物たちに、私たちは胸を揺さぶられる。グレゴール・ザムザや断食芸人、あの小さな主人公たちは、私たち自身であるのだと感じられるのだ。現代の私たちにとっても、カフカが新鮮に感じられるのは、生(と死)、実存の普遍的なあり方を描き出そうとしているからかもしれない。
カフカについておすすめの作品や、読んだ感想があったらぜひコメントで教えていただけるとうれしい。
