風とは
首筋が光沢を帯びていた。
大学の説明会の帰り、僕たち学生は若さを滾らせ、熱気を車内に放っている。満員電車は、冷房という文明の利器を嘲笑うように、なかなか涼しくなってくれはしない。僕はつり革を握り込んで、物理法則に抗うように自分の体積を最小限にとどめることに努めていた。
すると、近くの女学生の二人が、僕を見て、くすくす笑いはじめる。
「あの人、首にニスを塗ってるよ」
僕はその一言で、急に自分の汗というものを意識しはじめた。人は他人の些細な一言で、簡単に不幸になれるのだ。その日以来、僕は汗を恥ずかしいものだと思うようになった。これが女学生でなく、子供であったなら、僕の首筋に張った透明な汗を、まるでレジン細工のように美しいと感じていただろうに。
それからというもの、僕は、一度パニックに陥ると、汗が止まらなくなるときがある。額から、もみあげから、襟足から、髪の毛を濡らしながら、際限なく噴き出してくる。
そんなとき、僕は目を瞑る。心の中に風鈴を吊るすのだ。
薄い緑が、ガラスの下の方へゆくにつれて少しずつ濃くなっている。青空に透かして見ると、すっと涼しくなるような綺麗な風鈴を吊るす。
その風鈴が、風に吹かれて、ちりんと鳴ると、衣服のあいだを風が通り抜け、じっとりと肌に貼り付いた汗が、少しずつ乾いていくような心地がするのだ。
そして、僕にとって、風とは、護符だった。風とは、仮面ライダーの力の源だからだ。ライダーは、加速するオートバイの風を受けて変身する。子供の頃の僕は、風さえあれば、人は強くなれるのだと心から思っていた。
しかし、季節の変わり目では、それも難しい。
暑いのか寒いのか、どうにも適切というものがはっきりしない。こういう時にかぎって、僕は上着を着ている。そして、案の定、汗をかく。
脱げばいい。誰だってそう思うだろう。けれど脱げない。上着を脱いでしまうと、それまで衣服の内側に密閉されていた熱気が放たれて、その生ぬるい温度に、自分の体温まで知られてしまうような気がするのだ。サーモグラフィーで見てみたなら、きっと霧状の赤い揺らぎを映し出しているだろう。
そしてなにより、下のTシャツがいけない。
汗をたっぷり吸い込み、もとの色を取り戻しているからだ。
そんなとき、僕はお腹をさする。
別にお腹をさすったからといって、汗が引くわけではない。ただ、その仕草によって、この汗は耐えがたい腹痛によるものなのです、と無言の説明ができる。説明不能の汗に、ひとまず意味が与えられるのである。
意味さえあれば、周囲の人たちも、僕の汗について余計な想像をめぐらすのをやめ、目的地まで、もうすぐだから頑張れ、と心の中で声援を送りはじめるはずだ。そう、僕は信じている。
人は、都合のよい幻想で生きのびることもできるのだ。
しかし、これまでの小細工を尽くしても、だめな日がある。
長い区間を走りきろうとする電車。空気の対流はなく、心の中の風鈴もまるで鳴らない。
逃げ場のない箱の中で、僕だけがひとり滝のようになっている気がした。そう思うと、なおさら汗は勢いづく。
電車は地下へ潜っていった。
窓の外は黒くなり、車内の空気まで、いっそう息苦しく思えた。やがて列車は速度を上げ、長いトンネルへ入る。
そのときだった。
扉の隙間、その黒いパッキンから入りこんだ突風が、オイルの匂いをまとったまま、僕の首筋を通り過ぎていった。ほんの一瞬のことだった。けれど、その圧倒的な風圧は、僕の胸の奥で、ちりん、と音を鳴らした。
ライダーから放たれた風の余力が、僕の風鈴を鳴らしてくれたのだと思った。僕はつり革を握ったまま、誰にも気づかれないように、少しずつ生き返った。
子供のころ、僕は信じていた。
風さえあれば、人は強くなれるのだと。
ヒーローとは、ピンチのときに駆けつけてくれるんだ。

シン・仮面ライダーが上映される以前は、柔軟剤のソフランのCMを抜擢していました
