見出し画像

隻腕の人形

五年ほど前の話だ。
僕が働く介護施設で、一つの人形が見つかった。

その日、施設内は少し慌ただしかった。
壊れた車椅子や古くなったプリンター、そして誰も使わなくなった本棚などの粗大ゴミを、専門の業者に依頼して一気に回収してもらっていた。
粗大ゴミの回収は、ある程度の量が溜まってからまとめて依頼するため、頻繁には行っていない。だからこそ、ついでにと施設内の奥底に眠っている不要な物を片っ端から運び出していた。
作業が一段落しかけたその時、倉庫の隅に置いてあったある物が、ふと僕の目に留まった。

それが市松人形だった。

高さが1メートルほどの長方形のガラスケースに入れられて、立派な佇まいで立っていた。切り揃えられた真っ黒な髪は艶を失っておらず、白塗りの肌との対比を際立たせている。着古きふるされた赤い振袖は、色あせながらも細かな刺繍が施されており、伝統的な人形だと感じさせた
しかし、ケースの上には分厚く埃が積もっていて、相当な年季が入っていることが分かる。また、人形の片腕は欠けて失われており、その欠落がどことなく異様な雰囲気を漂わせていた。
ガラスから覗く無機質な瞳と目が合う。まるで光を吸い込むようなその黒い眼差しは、僕の動きをずっと追いかけているように見えた。
僕は近くにいたスタッフに尋ねた。
「この人形って、いつからあるの?」
スタッフの話では、もう随分前に利用者からいただいた物らしい。その当時は、施設内に飾ってあったが、ここ数年はもうずっと倉庫の片隅で眠ったままのようだった。
「これ、いるのかな?」
「いやぁ、もう何年も飾っていませんし、正直いらないと思いますよ」
「じゃあ、この機会に捨てちゃおうか」
いくら立派な人形であっても、タンスの肥やしになっていては意味がない。それに、その生々しい「隻腕」の姿がどこか不気味に映り、僕はどうしても飾る気にはなれなかった。
「すみません、この人形も一緒に回収をお願いできますか?」
作業員の方に声をかけると、彼はガラスケースを覗き込み、少し顔を曇らせた。
「分かりました。……でも、なんか不気味っすね。罰が当たりそう」
「いやいや、大丈夫でしょう。変なこと言わないでくださいよ」
「あはは、すみません」
そんな軽い口を叩きながら、市松人形は他の粗大ゴミと一緒にトラックの荷台へと積み込まれたのだった。

それから数日が経ったある日のことだ。
休憩室で一人のスタッフが、思い出したようにこんなことを言い出した。
「そう言えば、先日処分した市松人形ですけど……あれって、供養とかしなくて良かったんですかね?」
聞けば、古くから人形を処分する際には「人形供養」を行うならわしがあるのだという。長年同じ屋根の下で過ごした愛着ある人形への感謝や、「人間の厄を代わりに引き受ける」という人形の持つ役割に対する労いの意味が込められているらしい。
供養をせずに無碍に捨ててしまうと、罰が当たったり災いを被ったりする、なんていう迷信もあるとスタッフは少し心配そうに語った。
しかし、僕はもともと霊やお化けのたぐいを全く信じないタチだ。その話を聞いた時も、恐怖心など微塵も湧かなかった。
「そっか。まぁでも、もう捨てちゃったからな。大丈夫でしょ」
その場はそれで終わり、特に気に留めることはなかった。

だが、そんなやり取りがあったすぐ後のことだ。
当時、世界中で猛威を振るっていた新型コロナウイルスの感染者が、うちの施設から初めて確認されたのだ。
しかも、一人や二人ではない。コロナウイルスは目に見えない速さでたちまち広がり、スタッフや利用者が次々と感染する。施設は臨時休業を余儀なくされるほどの、未曾有のトラブルに陥ったのだ。
それからの日々は大変だった。感染対策の徹底、関係各位やご家族への説明や謝罪、そして休んでいるスタッフの穴埋めなど。残されたスタッフは、連日その対応に追われた。
結局、その騒動は2週間ほど続いた。
ようやく現場が落ち着きを取り戻し、誰もが疲れ果てていた頃、あるスタッフがポツリと漏らした。
「……市松人形の呪い、なんてこと、ないですよね」
重い言葉が部屋に落ちる。一瞬で空気が凍りつき、どんよりとした沈黙が流れた。僕はその静寂に耐えかねて、無理やり明るい声を張り上げた。
「まさかぁ! あるわけないでしょ、ただの偶然だよ! 偶然!」
「で、ですよね」
「はは、ははは……」
誰も心からは笑っていなかった。ぎこちない、乾いた笑い声だけが虚しく耳に残る。なんとなく、全員の胸に嫌な引っかかりは残ったが「そんなわけがない」と僕たちは自分に言い聞かせ、その思考を無理やり脳の奥底へと追いやった。

それから何事もなく、数ヶ月が過ぎた。
季節は移り変わり、施設内には、またいくつかの粗大ゴミが溜まっていた。僕はあの時と同じ業者に、再び回収を依頼した。
やってきたのは、数ヶ月前と同じ作業員の方だった。彼は「お久しぶりです」と愛想よく挨拶すると、手際よく不用品をトラックへと運んでいく。
全てのゴミが積み終わった頃、作業員が何かを思い出したように、ふと足を止めて口を開いた。
「あ、そう言えば……」
「ん? どうしました?」
「前に、こちらのゴミを回収したじゃないですか。実はあの後に、車で事故に遭ったんですよ」
「え? 事故……?」
心臓がドクンと嫌な脈を打つ。僕の脳裏に、なぜかあの埃まみれの市松人形の姿がよぎる。
「それほど大きな事故じゃなかったんですけどね。ただ……」
作業員は苦笑いしながら、自身の身体のある部分をさすった。
「右腕を強く打って、骨折しちゃったんですよ。いやあ、参りました。ま、今はもう完全に治ったんですけどね」
またよろしくお願いしますと、彼は何事もなかったかのようにトラックに乗り込み、去っていく。
初夏の生ぬるい風の中、僕は身動きもできず、背筋に得体の知れない強烈な寒気を覚えていた。

あの日、僕らが処分した市松人形は、片腕が欠け落ちていた。
それを運び出した作業員は、事故で右腕を骨折したという。
あの時、何も考えずに捨ててしまった市松人形の腕は、果たして、どちらが失われていたのか__

去っていくトラックの排気音を聞きながら、僕は冷や汗を拭う。
そして固く心に誓うのだった。
もし、また人形を処分することがあれば。

その時は、何があっても、絶対に供養しようと。

***

こちらの企画に参加しています。

今回のテーマは怨念。
数年前に書いた記事をリライトしました。
施設であった出来事でしたが、信じるか信じないかはあなた次第です!


コッシー


#みくまゆ会
#チャレがや
#怨念
#市松人形

いいなと思ったら応援しよう!