見出し画像

【チャレがや】ずるいよ、田中さん。

うちのデイサービスに、田中さん(仮名)という40代の女性スタッフがいる。田中さんは、介護業界に長年身を置くベテランで、うちに入社してからまだ1年足らずだが、その実力は誰もが認めるところだ。彼女は、すでに施設の中核として、現場を力強く支えてくれている。

田中さんは物事をとてもロジカルに考える人だ。
何か問題が起きれば、即座に原因を突き止め、その改善策を考え、ただ黙々と実行する。感情に流されることなく冷静に分析を行うその姿は、まさに隙のない「クールビューティー」そのものだった。

先日、そんな彼女が冷たい表情で僕のところに相談にやってきた。
「スタッフの〇〇さんに、利用者様のご家族から言葉遣いが悪いとクレームが入りました。〇〇さんは、以前にも同様の件がありましたので、一度しっかりとした指導が必要かと思います」
田中さんは怒っているわけでも、困っているわけでもなく、事実を淡々と話した。

普段の僕は、能天気が服を着て歩いているような男で、物事をあまり重く受け止めず、軽快なフットワークで問題に対応している。今回の場合なら、まず本人にクレームがあった事実を説明して「次は頑張ろう!あなたならできるよ!」と笑顔で励ます。そして、仕上げにサムズアップとウインクを決めれば、だいたいは解決できるのだ。

だが、目の前にいるのは、田中さんだ。
ここでそんな精神論をブチかまそうものなら、氷点下の視線で射抜かれ、即座にチェックメイトを喫するのは火を見るより明らかだ。ここは慎重に答えないといけない。

僕が返答に窮していると、田中さんは話を続けた。
「例えば、〇〇さんにマナーセミナーを受講させてはいかがでしょう。いくら『気をつけろ』と注意されても、結局正しい言葉を知らなければ改善のしようがありませんから」
ぐうの音も出ないほどの正論。完璧なロジックで穴はない。
だが、人というのはそんなに単純な生き物ではない。計算通りになんていかないのだ。
こういったセミナーの類は、本人に「学びたい」という自発的な意志がないと、右から左へ抜けていくだけだ。それどころか、まるで罰ゲームのように強制して受けさせると、「やる気スイッチ」が完全にオフになり、最悪の場合、離職にも繋がりかねない。田中さんのロジックは完璧な正論ではあるけれど、最善の策とは思えなかった。

しかし、田中さんに「最善策ではない」なんて口が裂けても言えない。彼女の意見を尊重しつつ、そしてやんわりと別の着地点へ誘導する必要がある。僕は”能天気”の服を脱ぎ捨て、代わりに”論理的”のコートを羽織った。
「なるほど、確かにセミナーで正しい言葉使いを学ぶのは、とてもいいと思います。さすが田中さん、僕にその視点はありませんでした」
僕の「褒め攻撃」にも、田中さんの表情は崩れない。だが、ほんの少しだけ眉毛が上がった気がした。多分、手応えはある。僕は一気に畳みかけた。
「ただ、今は年度末で現場もバタバタしています。セミナーには時間もコストもかかります。今回は、本人に僕から厳重に注意し、具体的な指導を行います。それで様子を見てみませんか?」
田中さんの意見が通らない理由(時間と費用)を明確にし、そして代案(僕が本人に注意する)をしっかりと提示する。完璧だ。”能天気”の服を脱いで”論理的”のコートを纏った僕は、実に”魅力的”な男なのである。

田中さんは数秒ほど黙考もっこうした後、静かに頷いた。
「承知いたしました。では、よろしくお願いいたします。お手数をおかけして申し訳ありません」
自分の意見が通らなくても、丁寧な物腰で頭を下げる田中さんを、僕は人としてとても尊敬している。けれど、この丁寧すぎる姿勢に壁を感じて、彼女との距離はなかなか縮まらない。田中さんと話した後は、いつも胸に一縷の寂しさが残った。

「ありがとうございました」
そう言って田中さんは、僕に背を向けて歩き出した。だが、ふと立ち止まると、振り返りすぐに戻ってきた。そして僕に小さな紙袋を手渡した。
「これ、お口に合うか分かりませんが、差し上げます」
「えっ?」と驚く僕をよそに、彼女はほんの一瞬だけ微笑むと、今度こそ颯爽と現場へと帰っていった。

まるで、雪解けのような柔らかな温もりを感じながら、僕は袋を開けた。そこには、デパートなどでよく見かけるシンプルな市販のチョコレートが入っていた。そこでようやく、僕は今日がバレンタインデーだと気がついたのだ。

「……これはずるいよ、田中さん」

クールビューティーな田中さんが見せた、一瞬だけのチャーミングな素顔。そのギャップの余韻に、僕の胸は。


おしまい


🍫🍫🍫

「チャレがや企画」に参加しています。

今回のテーマは【バレンタイン】です。
職場で義理チョコをもらっただけのなんてことない話をそれっぽく書いてみました。1000文字を大幅に超えちゃいましたが、お許しください。

2/28(土)まで応募を受け付けております。どなたでも参加可能です。ご参加お待ちしております。


#チャレがや
#バレンタイン
#みくまゆ会

いいなと思ったら応援しよう!