見出し画像

【ワインレッドの心】

うちの介護施設の食堂には60インチほどの大きなテレビがある。普段はNHKの情報番組などを映しているが、入居者さんのリクエストで大相撲や歌番組が流れることもある。食事の時に何かしらの賑やかさがあればいいな、そんな風に思っていつもテレビを点けている。


あれは数年前の夕食時の出来事だった。
テレビには情報番組が何気なく流れていた。当時の僕は仕事が立て込んでいて忙しい日々を送っていた。その時も食事をする入居者を見守りながら、頭の中では仕事のことを考えていた。山積みの書類のことや急に休んだスタッフの穴埋めのことなど、何をどう処理すればいいかと、グルグルと思考を巡らせていた。けない問題ばかりで頭が痛かったが、責任者の僕がやらなければならない。こういう時に力を発揮してこそ、スタッフからの信頼を得られると思っていた。

しばらくすると、食事を終えて入居者たちが部屋に戻り始める。スタッフたちも介助のために忙しなく動き出した。テレビをオフにしようと僕がリモコンを手にした時だった。テレビの中の女性アナウンサーが声高に叫んだ。


『女性必見!この夏!けないブラジャー特集~!!』


……いやブラジャーってなんだよ。
画面の中ではしゃぐアナウンサーとは対照的に僕の心は冷めていた。ブラジャーには全く興味がない上に、その時の僕の心境はそれどころではなかった。けないブラジャーのことよりもけないモンダイの方が遥かに重要だ。ただ、なんとなく気になった僕はテレビをそのままにして、しばし番組に目をやった。

番組では、マネキンにいろんな色のブラジャーを装着させて、白のTシャツ越しに透け具合を確認する実験が始まった。
「どうせ白のブラジャーが1番透けないんだろ?」と思って番組を眺めていると、意外にも白はくっきりと透けていた。
興味はないが、この事実には驚きを隠せなかった。「へぇ、白って透けるんだな……」と声を漏らしていた。いや本当に興味なんてないが。

次に黒や赤など派手な色のブラジャーが試された。全く興味はないが「流れ的には、きっと派手目の色の方が透けないんだろ?安易な番組だな」なんて高を括ったが、僕の予想は大きく裏切られ、黒や赤のブラジャーはこれでもかってくらい透けていた。黒や赤のブラが透けたところで僕の人生には何の影響もないし、これっぽちも興味はなかったが「結局全部透けるんかい!」と思わず番組にツッコミを入れていた。うん、興味はないんだって。ホントに。

番組が最後に出してきたのが”ワインレッドのブラジャー”だった。頭の中であの名曲が聴こえてくる。

今以上 それ以上 愛されるのに
あなたは その透き通った瞳のままで

安全地帯のこの曲のように、ワインレッドのブラジャーもきっと、白以上黒以上に透き通るんだろうな、と思っていた。
ワインレッドのブラジャーがマネキンに付けられる。「いきますよー、見ててくださいね」とアナウンサーがしたり顔でマネキンに白いTシャツを被せた結果__なんとブラジャーは全く透けていなかった。

え?なんで?こんなに鮮やかなワインレッドなのに?なんで透けないの!?
僕は興味深々で食い入るように画面を見つめた。画面ではアナウンサーが得意気に解説を始めた。いや興味なんてな……ごめん!めっちゃ興味あるわ!!

「どうやら色彩の関係でワインレッドのブラジャーは白いTシャツには透けないようです」

「す、すごい!!」僕はテレビに向かって叫ばずにはいられなかった。解けない問題に悩ませていた頭の中にワインレッドの風が吹き込んだ。心の中が透けないブラジャーでいっぱいになった瞬間だった。まさに”ワインレッドの心”だ。

『ワインレッドのブラジャーが透けない』そんな有益な情報を得た僕は誰かに話したくてウズウズしていた。そんな僕の元に、1人の女性スタッフが利用者の支援を終えて戻ってきた。僕はすぐにスタッフに声をかけた。

「大事な話があるんだ!」
「なんですか?」

スタッフはにこやかな笑顔を僕に向けた。いつも僕の話を真剣に聞いてくれるとても信頼しているスタッフだ。
念願のワインレッドのブラジャーの話ができる喜びに興奮していた僕は、話の前後を全部すっ飛ばし、こう言い放った。


「ねえ?ワインレッドのブラ、持ってる?」


スーっとスタッフから笑顔と信頼が消えていくのが分かった。それどころか冷ややかな視線が僕に突き刺さる。我に返った僕は、自分の発言がセクハラ中のセクハラだということに気が付いた。

「いや違う!違うんだ!さっきテレビでブラジャーの特集やってて!思わず興奮しちゃって!」
「ブラジャーに興奮したんですか!?」
「違う!そうじゃない!ワインレッドは透けなくて!僕の心がワインレッドに染まって!」

説明すればするほど、どんどんと泥沼にハマっていった。スタッフは完全に呆れた顔で僕に軽蔑の眼差しを向けた。
これまで施設を引っ張ってきた頼れる責任者だったはずの僕は、この発言によってただのセクハラワインレッドブラ野郎に成り下がったのだった。


ワインレッドのブラジャーは透けないのかもしれない。けれどその時の僕はスタッフの瞳から透き通って消えてしまいたいと強く願っていた。


そう、まさに”ワインレッドの心”の歌のように。


おしまい


#創作大賞2025
#エッセイ部門
#あやしもさんに捧げるエッセイ
#エッセイって言えるのか

いいなと思ったら応援しよう!