【姉の隣りを弟は歩く】
「いや、ちょっと待ってよ!それ、弟の役目じゃなくない?」
「お願い!もうあんたしかいないの!」
純白のドレスに身を包んだ姉が、まるでハリウッド女優みたいな輝きで両手を合わせて僕に懇願する。その目は真剣なのに、どこか企みを隠してる表情が気になる。
「なんで今言う!?式の30分前だよ。姉ちゃんとバージンロードを歩くとかありえないんだけど!!」
僕の叫びは、ヤシの木の間を抜けてハワイの空に吸い込まれていった。鮮やかに広がるスカイブルーの下で姉が悪戯っ子のようにニヤリと笑った。
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僕には五つ離れた姉がいる。
弟か妹が欲しかった姉は、僕が生まれた時には声を上げて喜んだらしい。幼い頃から共働きだった両親の代わりに姉が率先して僕の面倒を見てくれた。
おやつを用意してくれたり宿題を見てくれたりと、幼少期の僕の隣りにはいつも姉がいてくれたような気がする。
あれは僕が小学1年生の時だった。
クラスメイトの友人の家に学校帰りに遊びに行くことになった。友人の後ろに付いて初めての道を進んだ。帰り道のことなんて考えてもいなかった。友人の家で楽しく遊び尽くした後、帰ろうとした僕は自宅までの道が分からないことに気が付いた。不安と絶望から玄関先で泣きじゃくる僕を見かねた友人のお母さんが自宅に連絡をしてくれた。電話に出たのは姉だった。
「私が今から迎えに行きます」
姉は平然とそう告げたらしい。当時は姉もまだ小学生だった。心配してくれた友人のお母さんをよそに電話を切った姉はすぐにこちらに向かった。30分ほど経った頃、友人宅のチャイムが鳴った。玄関を開けると自転車にまたがったまま息を切らした姉がそこに立っていた。
弟がお世話になりましたと、姉は友人のお母さんに礼を言って、ヘルメットを僕に被せた。自転車のサドルに僕を乗せるとそのまま自転車を引いて友人宅を後にした。帰り道は自転車を漕いでも30分はかかる道のりで、歩くとさらに時間がかかった。辺りは次第に薄暗くなっていった。けれど、隣りに姉がいれば不思議と怖くはなかった。僕を安心させるためか、姉が大きな声で僕が好きだったアニメソングを歌ってくれた。暗い夜道を姉と二人で歌を唄って帰ったことを、僕は今でもはっきりと覚えている。
中学、高校と成長するにつれて姉と一緒に行動することは少なくなっていったけど、姉と仲が悪くなることはなかった。僕が反抗期を迎えた時も、姉とケンカらしいケンカをしたことはなかった。恋の相談を姉にしたり、姉の運転で一緒にドライブに行ったりした。
そんな姉が僕が大学4年の時に結婚することになった。旦那さんとなる方との付き合いは長く、僕ら家族にはとても馴染みのある人だった。
「お前に娘はやらん!」なんて、昭和のドラマみたいな展開は一切なく、とんとん拍子で姉の結婚は進んでいった。両家の顔合わせや入籍も無事に済ませると、姉は実家を出て新居に引っ越していった。残されたイベントは結婚式を挙げるだった。姉たちはハワイで結婚式を挙げようとしていた。僕の父親は大の飛行機嫌いだったため、家族でハワイに行くのは母親と僕だけだった。
僕にとっては、これが初めての海外旅行だった。姉の挙式は旅行の3日目に予定されていた。初めて訪れたハワイはとても楽しかった。美しいビーチ、美味しいご飯、楽しいショッピングなど親戚たちとハワイを満喫した。
この後に姉から無理難題を突き付けられることを、当然知る由もない僕は「ワイハサイコー!」と終始浮かれていた。
姉たちの式場は元横綱曙さんの故郷ワイマナロビーチにあった。こじんまりとした小さなチャペルだったが、青く澄んだビーチが一望できて、雰囲気は最高だった。当日は太陽の光が眩しいほどの快晴で、まるでハワイ全体が姉の結婚式を祝福しているかのようだった。式場に着くと姉の姿は見当たらなかった。どうやら控室にいるみたいで、姉の友人たちが向かうところを目にした。僕と母親はそのままチャペルに入って、式が始まるのを待った。
まもなく式が始まるというタイミングで急にスタッフが僕に声をかけた。「お姉さんがお呼びです」そう言われて一緒に控室に向かった。扉を開けるとドレッサーの前に一人で座っている姉が目に映る。純白のドレスに身を包みメイクを施した姉は本当に綺麗で、僕の知らない人のようだった。姉は僕に気付くと少しバツが悪そうな顔をして言った。
「急で悪いんだけどさ……一緒にバージンロードを歩いてくれない?」
一緒に?バージンロード?
姉の言っている意味がよく分からなかった。頭の中で姉の言葉を咀嚼するが理解に苦しんだ。
「今日、お父さん来てないじゃん。だからあんたが代わりに私をエスコートして欲しいんだよね」
「は?え?それってつまりどういうこと?」
「だから、私の隣りで一緒にバージンロードを歩いてほしいの。分かった?」
姉の言葉の意味を理解した僕は、ここでようやく冒頭のセリフを叫ぶのだった。
「いや、ちょっと待ってよ!それ、弟の役目じゃなくない?」
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父親がハワイに行かないと決めた時から、姉はバージンロードを僕と歩くつもりだった。だけど事前にその事を僕に伝えたら、嫌がってハワイに行くのをやめてしまうのではないかと危惧した姉は、結婚式が始まる直前まで黙っていたのだった。
「わかったよ!やるよ!もうやるしかないじゃん!」
父親が現地に来ていない以上、僕に断るという選択肢はなかった。渋々引き受ける僕に、少しホッとした顔した姉だったがすぐに真剣な表情になり、「もう時間ないから!早くスタッフさんから段取りを聞いて!」と慌てて言った。いや時間がないのは誰のせいだよ。
まさか姉の隣りでバージンロードを歩くなんて、夢にも思っていなかった僕は、困惑しつつもスタッフからの説明を真剣に聞いた。リハーサルもないまま、姉と僕はチャペルの入口前に二人で並んだ。
姉が僕の左腕にそっと手を添える。どこからか音楽が聴こえてくる。入口の扉が開くと、チャペルの中にいた参列者から盛大な拍手が起こった。スタッフから促された僕らは、一歩また一歩とゆっくりと歩みを進めた。
姉の隣りでバージンロードを歩きながら、僕は姉との思い出を頭に浮かべていた。恋の悩みを真剣に聞いてくれたことや姉の車の窓から見えた夕焼け。そして夜の帰り道、一緒に歌を唄ったこと。
まるで走馬灯のように次々と蘇る思い出に僕は寂しさが募るのを感じていた。こうやって姉の隣りを歩くことは、きっともうないんだろうなと痛感する僕に、姉がポツリと漏らした。
「ありがとね」
それは隣りにいる僕にしか聞こえないくらいの囁きだった。姉が言った「ありがとう」は、一緒にバージンロードを歩いたことに対してなのか、それとも「今までありがとう」と言う意味なのか、僕には分からなかった。けれどもし後者の意味だったとしたら、それは僕のセリフだと思った。
「俺の方こそ今までありがとう!」そう伝えようと思った瞬間、僕の目の前には旦那さんの姿があった。旦那さんの前で立ち止まると、僕は左腕に添えられていた姉の手を外してそっと差し出した。旦那さんは姉の手を握ると優しい目で僕を見つめた。その目はまるで「ありがとう」と伝えているようだった。この先、姉の隣りにはこの人がいてくれる、そんな風に思いながら僕は旦那さんを見つめ返した。
役目を終えた僕は母親の隣りに座った。その後、結婚式は滞りなく無事に終わった。とても素敵な式だった。姉は旦那さんの隣りで、ハワイの太陽に負けないくらいの眩しい笑顔を見せていた。弟の僕がこんな風に言うと本当に気持ち悪いけど、今までの姉の中で1番綺麗だと思った。僕は寂しさを紛らすように力いっぱいの拍手を二人に贈ったのだった。
姉の結婚式から20年以上が経った。幸せ太りした現在の姉には、純白のドレスに身を包んだ美しかった面影は残念ながら、全くない。だけどあの日、姉の隣りでバージンロードを歩いた思い出は僕の記憶にしっかりと残っている。そしてその姿を思い返した時、僕は少しだけ幸せな気持ちになるのだった。
恥ずかしいから姉には絶対に内緒だ。
おしまい
