初海外ひとり旅で撮影交渉したら、一番心に残ったのは人の温かさだった🇵🇭
学生時代にやり残したことってなんだろう。
ある面接でそう聞かれ、学生の残り時間を短く感じるようになりました。
その答えを探すように訪れた初めての海外は、フィリピン・マニラ🇵🇭
まさか現地の国鉄へ直接撮影許可をもらいに行き、スラムの子どもたちと触れ合う旅になるとは、この時は思ってもいませんでした。

2025/7/10 マニラへ🛫
なぜひとり?なぜフィリピン?簡単に言えば、刺激に溢れた旅を期待できたから。
右も左も分からない、頼りになるのが自分しかいない環境でこそ自分の力は発揮されるはず。
そして何より今回の旅の目的は、自分を試すことに加えて刺激にあふれた変化を感じること。
それだと韓国や台湾みたいな、日本人観光客が多くて近い場所はなんだか違うし、タイとかベトナムみたいな「みんなが行くとこ」より、少しコアな場所を選んでみました。


途中ハプニングに見舞われたもののなんとか乗り込み(航空券の姓名を逆にしちゃうとまじで詰むので気をつけてください)、最後はおそらく和歌山県串本町あたりを見下ろし、日本とは5日間さようなら。
航路がほぼ海上だったので、やがて陸地を見た時の興奮はいつも以上。
飛行機の窓からでも交通量の多さや住宅のつくり・密集具合はよくわかり、車が右側通行なことも、いよいよ海外に来たことを実感させました。
こういう時に自分のペースで自分の楽しみ方ができると、やっぱりひとり旅はいいなぁって思います。
いざ入国🛬
初海外の空港は、「世界で最も危険な空港」に選ばれたこともある「ニノイ・アキノ国際空港」。特に異様な様子はありませんでしたが、貴重品は厳重に管理し、やっとの思いで入国と両替を済ませ空港を出発。
それから初めてマニラの街へ出た時は衝撃でした。
ホームレスと野犬とゴミだらけで空気は決して綺麗じゃない、車のクラクションは途切れない。
一言で言えば・臭い・汚い・うるさい。
言語も常識も通用しない、カオスな環境でひとりっきりは、ご飯にありつけるだけでも精一杯。
本当に満足して帰れるのか。そんな不安からこの旅は始まりました。
7/11 国立博物館、マニラ大聖堂など🛺
タイトルにある鉄道写真は最初から目的だったわけではありません。
初日、まずは手堅く観光地へ。本当は天気次第でやることを決めようと思っていましたが、雨季のフィリピンは全く天気予報があてになりません。


訪れたのはマニラ中心部の観光エリア。
やはりどこを歩いてもいろいろな声かけに遭います。
けど正直、・ぼったくり・盗難・腹痛 は海外旅行でつきものだろうし、一回くらい声かけに乗ってみるのも…と思っていたところ、「歩いていけば時間がかかるぞ」と男性が声をかけてきました。

この旅最初の出会い、ベンさん
今でこそこういう声かけは無視してしまいますが、少し日本語を話せて値切りに応じてくれるなら乗るしかない。この旅初めての出会いです。
押し売りの帽子をかぶってバイクに乗り、今日はコミュニケーションも案外うまくいっている。
そして昨日の空港とは違い今日は親切な人ばかり。
強い日差しの下、すれ違う人々と挨拶を交わし、街めぐりを心の底から楽しめていると実感した時、この旅がすでに成功したように思えました。

結局予定通り、相場的には少し高めのお金を払い、この後の昼飯でもお釣りを誤魔化され、洗礼を浴びたわけですが、これもこれで良い経験だったかな。
だんだんその楽しさは濃くなってきた頃、やっぱり・・・
電車を撮りたい
という思いが。
しかし、フィリピンでは鉄道が軍事施設の一種と見なされ、撮影が難しいことも知っていました。
正直バレないとは思いますが、無断で撮影して問題になったらその尻拭いをひとりでできないし、こうなったら直接交渉しに行くしかない。ダメ元で国鉄事務所のあるtutuban駅を訪問しました。
普段の自分なら絶対そんなことできないのに、海外ひとり旅におけるドーパミンと鉄道愛で、体が勝手に動いていた感覚に近いです。
全く英語が堪能なわけではありませんが、「大学の勉強で使いたいから列車の写真を撮らせてほしい」くらいなら言えます。
ふさわしくない格好でも拙い英語でも、Office General Manager(OGM=所長?)は丁寧に交渉に応じてくださいました。
「I came here to get permission. That is because I wanna use those pictures in my sociology study. So would you…」
⚠️Only personal purpose⚠️
とのことで、こちらの写真の掲載は控えます。
長い交渉の末OKを出してもらえました。
フィリピンでは日本で使われていた電車が中古で譲渡され、第二の人生を送っています。だから、それをうまく使えば日本からこのために来たと信じてくれるだろうという魂胆で交渉に臨んだのですが、まさか乗務員室まで入れてもらえるとは思いませんでした。
初の海外旅で国鉄事務所をひとりで訪問し、片言の英語で交渉してみたことは、自分にとって大きな経験です。
また我ながらその行動力と勇気が自分に大きな自信をつけてくれたと思っています。
というわけで、休止中の駅構内(国鉄は高速鉄道建設の本格的な工事により、部分的に長期運休中)には入れてもらえたのですが、ここで調子に乗った自分は、営業中の列車も撮りたいと思い始めます。
翌日、ピックアップした候補地は同じく休止中だったため、いま営業している中で最も近い駅、Calambaへ。

気合いのバス移動
でも言葉は通じないからバスターミナルを歩き回って、「Calamba? Calamba?」と聞きまくるゴリ押しスタイル。
車掌も乗っていて高速道路を走るのに料金は125ペソ(日本円で325円くらい)。これだけ安いのに人件費を賄えるのか不思議でした。
そしていざ乗ってみるとさらに驚きます。譲り合いの精神はないけど煽り運転をしても喧嘩にならない、優れた車幅感覚や運転技術で絶対にぶつからないし擦らない、乗り慣れた市民はシートベルトなし・急発進急ブレーキでも平然、またいろいろなことが気になりだして疲れます。
会社ごとに塗装も統一されていないようで、初心者はかなり難しいかもしれません。
Google Mapsで現在地を追いながら、1時間半ほど南下して到着。
⚠️No permission, No picture⚠️
早速昨日と同じ要領で交渉を試みました。
しかし駅員の女性によれば、許可の交付は昨日自分が訪れたtutubanでしか受け付けていないと。
図々しくも、訪れたばかりで自分のことは覚えているはずだから、電話で尋ねてみてくれないかと言っても、やはり難しい様子。さらに今日は土曜日。平日しか許可の申請は受け付けていないそうです。おまけに今日は故障で運休なことも発覚。この日は、最初から撮れる日ではなかったようです。
これまでで感じたこと
出鼻をくじかれたのでホテルの近くへ戻り、洗濯物を取りに行きました。
フィリピンでは、購入費や電気代を考えるとコストが高くつくため、家庭における洗濯機の普及率が非常に低いそうです。
だから街には洗濯屋さんがたくさんあり、バックパッカーにとって嬉しい都市です。
そしてここは経済格差が酷な地域だと思いました。
社会保障も行き届いておらず、自分の身は自分で守るしかない。だからホームレスは恥ずかしげもなく乞食をして、ストリートチルドレンは信号待ちの車を勝手に洗ってお金を請求します。
途中、少し東に位置するマカティという場所を訪れました。マニラ中心部が西成区とすれば、ここは銀座のような場所。お手洗いを使うにもお金が必要です。
そうなるとホームレスはおろか、屋台や野犬も見当たらなくなります。日銭を稼ぐので精一杯の人々が行き交う賑やかな街から、資本の匂いを感じざるを得ない落ち着いた街まで、LRTで数駅。経済成長の裏側にある現実を目の当たりにしました。
月曜日にならないと目的は達成できないので、翌日4日目はタガイタイ・シティの景色を見に行くことにしました。

適当なところから乗ってきて適当なところで降りる

このほかには基本的に何もないところで、このためだけに2時間かけてきたとなると、正直不完全燃焼な気がしなくもないですが、雷鳴も聞こえたためマニラに戻り、週末マーケットへ行きました。
再び交渉へ📸
いよいよ月曜日。再びtutubanを訪れました。同様にセキュリティに説明と名簿の記入をし、中へ。
しかし今度は別の場所で待機を促され、3日前にはいなかった3人目のセキュリティに、「お前の許可は重要なものだから時間がかかるんだ」と言われ、難色を示しているようでした。
なんだか不穏な空気ですが、ここまできたら諦めたくない。粘り強く待ち、いよいよOGMと再会。
営業路線であるせいか、ここから60kmも離れているせいか、3日前よりも交渉は長引きました。そして出た結論は、
「あっち着いてから電話して」
英語力が拙いので、そう指示されたのに不安が払拭しきれません。なんだか情報がふわふわしたまま事務所を出て、再びCalambaへ。
この日のスコールはなかなか止まず、街も冠水一歩手前。列車の時刻に余裕を持って着いた自分は、ショッピングモールで雨が止むのを待ちました。
しかし1時間ほど待っても止まないため、諦めて駅へ向かうとピタリと止みました。この時、なんとなく「今日はうまくいく」と確信しました。
駅に着くと、土曜日にお会いした駅員の女性がいました。そして運休していた列車も今日は停泊しています。早速電話を貸してもらおうとすると、
「話は聞いてるわよ。外観だけだけどぜひ撮って!」
願いが叶いました。国鉄関係者の方々には本当に感謝しています。
⛰️Calamba station🚞
こちらの写真は掲載の許可をいただいています。

最初はめちゃめちゃ怪しまれました。続々と近くに住む関係者が集まってきて、パスポートもいろいろな人の手に渡りました。
でも次第に会話をしていくうちに打ち解け、言葉は通じないけどその場全体が幸せな空気になりました。
できない英語も、話しかけられたら話すしかない。頭をフル回転させて捻り出す。けど通じない。でも自信を失うどころか、むしろ自信が湧いてきて、言語の壁はパッションでなんとかなる。もう少し噛み砕くと、コミュニケーションの本質は発音でもボキャブラリーでもないと感じました。
関係者が口を揃えて言うのは、どんなものもやはり日本製が一番優れているということ。「また日本製の列車が欲しい」と言われるほど、海を超えた遠い地で日本は大きく信頼されています。
(営業列車はインドネシア製ですが、側線に日本製の列車が止まっています。)
線路沿いにある生活
やがて出発時刻が迫ってきたので、少し歩いて生活区域へ。
「マニラの線路際なんていつ体ごと攫われるかも知らない」
そう先輩から警告されていましたが、やはり、いわゆるスラム街で目立つ日本人が、ましてや2桁万円するカメラを出すことは勇気が要りました。
でもここでビビったらもったいない。勇気を出してまずは青年に、「Can I take a picture of you?」と尋ねました。


やはり予想通り、日本人もカメラマンも珍しかったのでしょう。
遊んでいた子どもたちもこちらを気にしている様子で、「Hello」と言うと何人か声をかけてきました。 「My name is Yuto. From Japan. I'm taking pictures.」と言うと、さらに子どもたちが集まってきて、すっかり囲まれてしまいました。
子どもたちはタガログ語を話すので、明確な意思疎通はできません。身振り手振りで子どもたちに家の中を案内されたり、日本語を教えたりしているうちに、遠くからタイフォンが聞こえてきました。発車時間です。
線路を干渉するように置かれていたバイクや椅子も、通過の時刻になると綺麗に移動されます。列車は徐行しながら、見通しの悪い線路を進んできました。


撮り終わるや否や、子どもたちが再び集まってきたので写真を見せると、歓声が上がりました。自分も同じ気持ちです。
本当は日が暮れるまで遊んでいたかったものの、お世話になった関係者へ一言お礼がしたかったのと、水を飲み切って喉がカラカラだったので、最後はみんなでバスケットボールをしてさようなら。
何人かは「see you」と言ってもしばらく後ろをついてきて、ほんの1時間もない関わりでしたが名残惜しく感じました。
子どもたちにも関係者にも、きっとまたマニラへ戻ってくることを約束し、バスへ乗り込みました。
そして最終日にやっと、世界三大夕日のひとつ、マニラの夕日をバスから見られました。雨季だから諦めていましたが、この日を一生忘れません。
あとがき
この旅を終えて思うのは、生き生きとしていることこそが幸せなのではないか、ということです。
「スラム街はやばいところ」「そもそもマニラがやばいところ」「貧乏」
そんな偏見が思い出せないくらい、そのイメージは根底から覆りました。
確かにやばいスラム街はありますし、経済的には決してゆたかとは言えないかもしれません。そして自文化中心的な見方では、「臭い」「汚い」「うるさい」街ではあります。
しかし、日本とは全く違う文化と社会に触れたことで、たとえ家に洗濯機がなかったり、そもそも家のつくりが安定したものでなかったりしても、そこには間違いなくゆたかな暮らしがあると感じました。
そして自分もその幸せを分けてもらった1人です。出会った人々は、日本からやって来た見知らぬ若者を笑顔で受け入れ、子どもたちでさえ我々が持てない魅力をたくさん持っていました。
面接の質問をきっかけに、自分で旅を決め、現地で交渉し、失敗し、また挑戦。自分の選択によって完成した「勇気を出して人と関わった旅」は、自分自身に明らかな変化をもたらしました。
お金に依らない幸せと、言語の壁をも越える人の温かさは、まさに「百聞は一見に如かず」です。

そして、この経験で得たもの。それは、「行動」と「自信」の大切さです。
何かをやる上で、「できるかわからない」は無駄な考えです。もちろんリスクマネジメントは必要ですが、できなかったらその時に考えればよい。見切り発車もよくないけど、腰が重いのはもっと損だと自分は思います。
Can I take a picture?
この旅で一番言った言葉です。
写真趣味の人間だから、貴重な経験や思い出に残る瞬間は全て写真に収めたい。しかし、写真とはどうしても一方的なものになりがち。さらに先述の通りセンシティブなこともあるから、慎重にシャッターを切りました。
だからこそ、自分の行動力と自信で勝ち取りに行ったフィリピンのカットは、一生の宝物です。

2025/7/10〜15 Manila with Canon EOS6D
