『赤い信号の向こうに』エピローグ
エピローグ「明日が来る道」
あれから半年。
波多野善蔵は、海の見える丘の上のケア施設で暮らしている。
リハビリ室の窓際の席からは、季節ごとに色を変える木々が見えた。
彼の記憶は、時に曖昧で、時に鮮明だ。だが、それを気にしすぎる様子はない。
「今日は、何曜日だったっけな」
そんな呟きにも、隣の席の女性は笑って返す。
「今日は“ちゃんと笑える日”ですよ」
善蔵も笑い返す。
その穏やかさが、かつて教室で生徒に向けたまなざしと、どこか重なるようだった。
彼の部屋の棚には、一冊の冊子が飾られている。
村井真司が制作した、地域向けの啓発パンフレットだ。
表紙には、善蔵の横顔をもとにしたイラストと、ひとつの言葉。
「赤を渡った人が、明日を教えてくれた。」
冊子の中には、事故の顛末や、高齢者との関わり方、日常に潜む「気づき」の大切さが、温かく、けれど具体的に記されている。
村井は、それを高校や自治体に無償で配布し始めていた。
長谷部杏は、パンフレットを学校に持ち込み、道徳の時間にそれを読み上げた。
「事故の話って、怖いだけじゃなくて、考えることがいっぱいあるんだ」と言ったクラスメイトがいた。
それを聞いたとき、杏は初めて、自分が“誰かの気づき”になれた気がした。
佐久間拓也は、あの事故以来、営業の出発時間を10分早めた。
「イライラする前に、ゆとりを持てばいい」と、誰に言うでもなく習慣にした。
取引先の待合室で読んだそのパンフレットの“教師の言葉”に、かつての自分がギクリとしたという。
事故の被害者も、加害者も、偶然そこにいた人も、
すべてが“当事者”になった3秒間。
だがその後には、それぞれが“考える人間”になっていた。
*
その日、善蔵はベンチに座り、穏やかな空を眺めていた。
スタッフが声をかける。
「善蔵さん、午後は外に散歩しませんか?」
「……いいな。今日は信号、あるとこ行こう」
「え?」
「信号がある道が、いい。“止まれ”って言ってくれる場所が、今は安心なんだよ」
スタッフは笑い、彼の横に立つ。
波多野善蔵は、少しずつ立ち上がる。
かつて、誰かの前で教壇に立っていた彼が、
今は誰かに支えられて、また別の道を歩いている。
「赤信号を渡った人間が言うのも変だが……」
そう言って、善蔵は前を向く。
「止まることで見えることが、あるもんだな」
彼の一歩一歩は、ゆっくりだ。
だがその足元には、明日へと続く道が、確かに伸びていた。
*
あとがき
この物語は、たった一つの信号無視から始まりました。
「もし、あの時、誰かがほんの少し違う判断をしていたら」
そう思う場面は、日常の中にいくつもあります。けれど、私たちはその“いつも通り”を、深く考えることなく通り過ぎてしまいます。
高齢化社会の日本において、認知症や判断力の低下は避けられない現実です。
それを「迷惑」と切り捨てるのではなく、知ることで、少しだけ優しくなれるのではないか。
この物語には、そんな願いを込めました。
波多野善蔵という人物は、誰かの親かもしれないし、自分自身の未来かもしれません。
彼が信号を無視したことが、誰かの「止まる理由」になったように、過ちや弱さもまた、社会を前へ進めるための力になり得ると、信じています。
読後、もしあなたの中で「信号を待つ時間」が少しだけ変わったとしたら――
この物語は、生きる価値を持てたのだと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・技術・地名等は実在のものとは関係ありません。
また、現実に存在する技術や製品が登場しても、それらの使用や推奨、批判を目的とするものではありません。
(エピローグ/了)
(『赤い信号の向こうに』――完)
