表彰もされた、信頼もされた──それでも自分のために働けなかった私が、ようやく底を打つまで
これは恋愛の話ではない。
仕事と、生き方と、自分をどう扱ってきたかの話。
そして、ここからもう一度やり直すと決めた話。
得意なことだけで、生きてきた
できることは、いくつかあった。
人の話を聞くこと。
相手の課題を見つけて、提案に変えること。
信頼関係をつくること。
人前で話すこと。
顧客からは、
「ただの業者じゃなくて、寄り添ってくれるパートナーだ」
と言ってもらえたことがある。
「あなたがいるから」と言われたこともある。
自分で作った仕組みが社内で表彰されて、
全国に展開されたこともあった。
でも、全部が中途半端だった。
成果は続かない。
評価は安定しない。
年次のわりに昇進は遅れていた。
悪くはない。でも、任せきれるほどでもない。
そんな、なんとも言えない位置にずっといた。
数か月に一度、身体が限界を迎えて、長く倒れるからだ。
吐血。
血便。
ご飯が食べられない。
眠れない。
頭がずっとぼんやりして、思うように考えられない。
入社してから、それを何度も繰り返した。
かろうじて出勤はしているけれど、
こなせる業務量ががくっと落ちる。
そうなると、既存の顧客を回すだけで精一杯になる。
新しい商談に行く余裕がない。
守りで手一杯で、攻められない。
調子のいい時に積み上げたものが、
倒れるたびにリセットされる。
全部が、続かなかった。
自分のために働けなかった
今振り返ると、私はずっと、
自分のことを後回しにして生きてきた。
世のため、人のため。
誰かの役に立つことが、自分の存在意義だと思っていた。
仕事もそうだった。
私はずっと、仕事を
自分の人生を良くするためのものとして扱えていなかった。
認められたいとか、
もっと成果を出したいとか、
昇進したいとか、
そういう欲がまったく無かったわけじゃない。
成果を出したい気持ちはあったはずなのに、
それを自分の欲として認めるのが、どこか怖かった。
生活のために働いているはずなのに、
自分の生活を守るために働く、という発想だけが抜け落ちていた。
そんな欲は浅ましいものみたいに感じていたし、
目の前の相手のために尽くしていれば、それで十分だと思っていた。
でも当然、そうやって自分を後回しにすれば、身体は壊れる。
壊れるから、成果は途切れる。
成果が途切れるから、評価もついてこない。
「あなたがいるから」と言ってもらえるのに、
自分では、自分の価値がまるでわからない。
その構造に、私はずっと気づけなかった。
苦手なものに居場所はなかった
母はよく、人をこき下ろす人だった。
私のクラスメイトのことを、
勉強ができないとか、
容姿が微妙だとか、
そういう理由で笑った。
「○○もできないなら、死んだ方がいいよね〜」
冗談みたいな口調で、でも、何度も言った。
一方で、私が特に練習もなく、最初から勉強ができたり、
音楽や美術でうまくいったりすると、
「天才だ」と持ち上げた。
「努力してもできない人に申し訳ないと思え」
と言いながら。
その世界で育った私には、
何かができないことを克服するとか、
上達するとか、
少しずつ慣れるとか、
そういう概念が育たなかった。
できないことは、練習するものじゃなかった。
見つからないように、隠すものだった。
苦手=死。
大げさじゃなく、本当にそういう世界だった。
だから私は、苦手を必死に隠して、
得意なことだけでここまで乗り切ってきた。
取り繕うことがやたらと上手くなった。
その代わり、自尊心は削れていった。
身体の声に蓋をしてきた
体調管理も、苦手なことのひとつだった。
自分の身体の声が聞こえない。
疲れを認識できない。
限界が来るまで気づけない。
それも全部、根っこは同じだった。
自分を大切にするということを、誰にも教わらなかった。
そして、自分でも、教わる必要があることだと思っていなかった。
嫌だと思うこと。
腹が立つこと。
つらいこと。
しんどいこと。
そういうものを感じる前に、
「こんなの大したことない」
「私が悪い」
「もっとちゃんとやらなきゃ」
に変換していた。
そうやって感情を封じ込めた結果、
身体の感覚まで曖昧になった。
眠いのか、しんどいのか、怒っているのか、ただ胃が痛いのか、
その区別すら曖昧なまま働いていた。
ストレスをストレスとして受け取れないまま、
全部を自責に変えてきた。
でも当時の私は、
そこまでいっても、
自分がへとへとだということにさえ気づけていなかった。
壊れるべくして壊れていた
自分のために成果を出すという気持ちが薄かった。
だから体調管理も後回しになった。
苦手なことは避けてきた。
得意なことだけで表面上は回してきた。
全部が絡み合っていた。
そしてその結果が、吐血と血便だった。
感じないことと、傷ついていないことは、まったく違った。
今年度、離婚やいろんなことが重なって、
ついに限界が来た。
休職した。
一人になって、
初めて、自分の生活を自分だけで立て直す必要ができた。
何を食べたいのか。
何時に寝たいのか。
どこまで働くと苦しくなるのか。
誰と会ったあとに、どっと疲れるのか。
どんなことが嫌だったのか。
何が嬉しかったのか。
そういうことを、
一つずつ、ようやく見直し始めた。
こうして一度立ち止まって、
生活と心身を見つめ直してみたら、
私はもう、ずっと前からへとへとだった。
慢性的な寝不足でつらかったことすら、
今、ようやく体感としてわかる。
実家との距離も、ようやく少し置けた。
関係性も、以前よりはずっと穏やかになってきた。
その中で、ようやく見えてきた。
今までの私が、どれだけ自分を粗末に扱っていたか。
仕事で成果が出なかったのは、能力の問題だけではなかったこと。
自分を大切にできなかったことの、当然の帰結だったこと。
壊れるべくして、壊れていたのだと思う。
ここから、立て直す
自分が何を食べたいのか。
どんな生活が心地いいのか。
何が嫌なのか。
何が嬉しいのか。
そんなことすら、私はようやく少し見えるようになった。
私の中にも、
得意なこと、苦手なこと、人並みなことが、ちゃんとある。
そして、苦手なことが少しずつできるようになっていく楽しみだって、
この世にはある。
今まで、知らなかった。
自分がどう生きたいか。
何を大切にしたいかを軸に、
もう一度、道筋を立て直す。
武器になるものと、
これから伸ばしていかなきゃいけないものを見つめて、
一歩ずつ前に進むことを、今度こそ楽しみたい。
仕事も同じだ。
自分の生活のために、仕事は仕事としてやりきる。
身体を整えて、安定して稼働できる土台を作る。
得意なことだけで乗り切るんじゃなくて、
苦手なことにもちゃんと向き合う。
来期は、守りで精一杯の自分を終わりにしたい。
更地に立っている
離婚して、気づいたことがある。
今まで頑張ってきたのは、全部、母に喜んでほしかったからだった。
有名な大学に行けば。
有名な会社に入れば。
成果を出せば。
母がこっちを見てくれるんじゃないかと思っていた。
もちろん、それなりに褒めてはくれた。
でも母が見ていたのは、私に増えた肩書きであって、
私自身ではなかった。
そして母にも、
そうする余裕がなかったのだと、今は思う。
与えてくれない人に愛を求めて、
いつか芽吹くはずと信じて献身し続ける。
それを、ようやくやめた。
人が驚くほどのバイタリティを、これまで発揮してきた。
でも何度も身体を壊した。
ずっと壊れていた。
私のためじゃなかった。
社会のため、顧客のため、そして母のため。
周りからの期待に応えようと、ただただ走っていて、
自分が置き去りだった。
限界が来て、築いてきたものが壊れて、
更地に立ってみて──
初めて、自分の人生を取り戻した。
自分を愛することを始めたら、
生活が少しだけ楽しくなった。
母とも距離を取り直した。
絶縁するか、というところまでいった。
でも、“こうあってほしかった”母を諦めたら、
今ある愛情を受け止められるようになった。
母も母で、関わり方が少し温かくなった。
今は、割と良好だと思う。
私の人生は今、更地だ。
仕事も、家庭も、人間関係も、一度ぜんぶ崩れた。
でも、更地だからこそ思う。
誰のためでもなく、私の人生。
私の生活。
その中の一つの幸せに繋がる手段としての、私の仕事。
ようやく今、そういう地点に立っている。
映画グレイテスト・ショーマンの「From Now On」という曲が、今の私にずっと響いている。
何年もずっと、誰かの歓声を追いかけて走り続けてきた。
でも立ち止まって気づいた。
これは誰のためだったのか。
さあ、ここから何を積み上げようか。
大変だけど、これ以上失うものもない。
だから、ある意味ワクワクしている。
この暗い底から、光のほうへ
今までの私は、倒れるたびに
「ここが底だ」と思っていた。
でも本当は、
底を打ったんじゃなくて、
同じ場所に何度も沈み直していただけだった。
仕事で成果を出すなり、
転職するなり、
やり直す方法はいくらでもある。
でも、そのどれも、
自分のために生きると決めないと始まらない。
人より遅いのかもしれない。
でも、遅すぎることもない。
生きているのだから。
人生で、今がいちばん若いのだから。
私はここからもう一度、
人生を愛しなおす。
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