人生は、追いかけるより手放すほうが難しい| 「こうあるべき」を手放したときに、人生は動き出す
「もう何もない」
人生で一度くらい、そう思う日はないだろか。
仕事を辞めた日。
病気になった日。
子どもが生まれ、それまでの働き方を手放した日。
生きているのに、自分だけが終わったような気がする。
「頑張ればなんとかなる。」
長いこと、その言葉を信じていた。
そして頑張った。
頑張って、頑張って、ちゃんと行き止まった。
元の場所に戻りたかった。
また「できる人」になりたかった。
でも人生には「もう無理です」と白旗を振るしかない日がある。
悔しいけれど、あの日の白旗は、降参じゃなくて方向転換の合図だった。
先日読んだ『自分とか、ないから。』に、「社会的な死」という話が出てくる。
人は、生き物としての死だけを恐れているわけではない。
仕事を失うこと。
肩書きを失うこと。
役割を失うこと。
「自分らしさ」だと思っていたものを失うこと。
そういう出来事は、生きているのに、一度死んだような感覚を連れてくる。
だから、苦しい。
でも、この本を読んでいて思った。
あのとき死んだのは、本当に私だったんだろうか。
終わったのは人生ではなく、「こうでなければ価値がない」と思い込んでいた自分だったのかもしれない。
この本には、ひとつの逆説がある。
求めれば求めるほど、求めていたものは遠ざかる。
そして、手放したときに、向こうからやってくる。
読んでいて、思わず苦笑いをした。
人生って、本当にそういうところがある。
認められたい。
ちゃんと働ける自分でいたい。
誰かの役に立ちたい。
そうやって必死に握りしめていた頃は、いつも苦しかった。
でも、一度手放さざるを得なくなって、「もう前の自分には戻れない」と受け入れた頃から、不思議なくらい新しい出会いが増えた。
今書いているこのnoteもそう。
もし、以前の自分に執着したままだったら、きっと出会えなかった。
欲しかったものは、追いかけた先ではなく、執着を手放した先にあった。
もちろん、この本は仏教を厳密に解説した本ではない。
仏教に触れてきた人なら、「そこは少し違うかもしれない」と感じるところもある。
それでも、この本が伝えようとしていることは、とてもシンプルだった。
私たちは、「何者かにならなければ」と思い込みすぎている。
だから、「何者か」でいられなくなった瞬間、自分の人生まで終わったような気がしてしまう。
でも、本当に終わるのは人生ではない。
「こうあるべき」という思い込みのほう。
何かを失って、立ち止まっている人へ。
もしかしたら、その喪失は、人生の終わりではなく始まりなのかもしれない。
人は何かを手に入れて変わることもある。
でも、本当に人生の向きが変わるのは、何かを失ったときなのかもしれない。
失った先にしか見えない景色がある。
そんなことを、静かに思い出させてくれる一冊だった。
