キルギス・ボステリ原点記――イシククリ北岸ノースショア・クロニクル――NOMAD weekly No.8
生き馬の目を抜くような資本主義の街をいくつも見てきたあとで、キルギスに降り立つと肩の力が抜ける。
空港では一応タクシーの客引きに身構えるのだが、ふっかけられても3割増し程度で、こちらが「いいよ」と答えると、なぜか相手が申し訳なさそうな顔をする。
ホテルでも同じだ。高い部屋を押しつけてくるくせに、こちらがあっさり受け入れると、どこか居心地悪そうに笑う。
キャピタリズムに染まり切れない、いろいろ頑張っているのに憎めない――ボステリのあるキルギスという国には、そんな不器用な優しさが今も残っている。
キルギス・ボステリ原点記
――イシククリ北岸ノースショア・クロニクル――
NOMAD weekly No.8
第1章 ビシュケクの冬、湖の写真フォルダ
ビシュケクの冬は、静かだ。
外はしっかりと氷点下まで冷え込んでいるはずなのに、室内はセントラルヒーティングがよく効いていて、薄手のシャツ一枚でも少し汗ばむくらいだ。窓の外の街路樹には霧氷がついて、街灯の光を淡く返している。

新しい年のカレンダーを壁にかけ直しながら、ふとスマートフォンの写真フォルダを開いた。スクロールしていくと、夏のイシククリ湖、秋の天山山脈、見慣れた北岸のビーチが次々と現れる。その中に、少し色褪せた一枚の写真があった。2012年、5月。はじめてボステリを訪れた時の写真だ。
あのとき、ここが自分の“拠点”になるなんて、まったく思っていなかった。むしろ「キルギスに来るのは最初で最後だろう」と決めつけていた。人生というのは、だいたいそのくらい当てにならない。
第2章 フランクフルトから、最初で最後のつもりの旅へ
フランクフルトでの仕事がひと区切りついたのは、2012年の春だった。少し疲れていたこともあり、そのまま一週間ほどフランクフルトに滞在して、ライン川沿いを歩いたり、カフェでぼんやりしたりしていた。
そんなとき、ランニング仲間から連絡が入った。
「イシククリ湖でマラソンがあるんだけど、来ない?」
イシククリ湖、と言われてもピンとこない。地図アプリを拡大してみて、ようやく中央アジアのど真ん中に青い湖が現れた。湖の名前の横に、小さく「Kyrgyzstan」と表示されている。右も左も知らない国の名前だった。
「まぁ、一回くらい行ってみるか。どうせ最初で最後だし。」
そんな軽い気持ちで、モスクワ経由ビシュケク行きの航空券を購入した。飛行機は押さえたものの、宿は決めていない。マラソン大会の詳細もろくに読んでいない。今思えば、ずいぶん行き当たりばったりの旅支度だった。
第3章 ビシュケクのゲストハウスと親父さん
夜明け前のマナス国際空港に降り立つと、冷たい空気とともに、タクシーの客引きたちが一斉に寄ってきた。大型ワゴンの運転手たちが、口々にロシア語とキルギス語で何かを叫んでいる。こちらの戸惑いを見逃さない目つきの鋭さに、思わず苦笑いがこぼれた。
「ビシュケク、ゲストハウス、○○ソム(現地通貨)でどうだ」と、誰かが片言の英語で言う。
料金交渉らしきものをしながら、なんとか一台の乗り合いタクシーに乗り込んだ。薄暗い車内で、見知らぬ人たちが淡々と前を向いて座っている。窓の外には、まだ色の少ない草原と、遠くの山並みが伸びていた。
ビシュケク市内の小さなゲストハウスに到着すると、フロントの奥から小柄な親父さんが現れた。
「ベッドは空いてますか?」と聞くと、彼はじっとこちらを見てから、こう言った。
「あなたみたいな人は、相部屋に泊まってはいけない。」
何か悪いことをした覚えはないので、一瞬ドキッとする。
「いや、マラソンで来ただけだし、雑魚寝で十分なんですけど」と言いかける間もなく、親父さんは鍵をひとつ手渡してきた。案内された部屋は、妙にだだっ広く、ベッドがぽつんと置かれているだけだった。
褒められるとその気になる単純な性格なので、少しだけいい気分になった。どう考えても、マラソンしに来た人間に必要以上の部屋ではないのだが、せっかくなのでありがたく受け取ることにした。
友人の到着は二日後だと言う。その間、ビシュケク市内を軽くジョギングして回ることにした。当時のキルギスでは、道を走っている人などほとんどいなかった。
「走っているのは、悪いことをして逃げているやつぐらいだ」と、誰かが笑っていたのを覚えている。マラソン大会のためにお金を払って走るという発想は、たしかに、ここでは少し奇妙に見えたのかもしれない。
ゲストハウスの親父さんは、最初に高い部屋を押しつけた後ろめたさからか、何かと気を配ってくれた。車で一時間ほどのところにある温泉に連れて行ってくれたり、バザールを案内してくれたり、夜はチェスの相手をしてくれたり。言葉は半分しか通じていないのに、不思議と気まずさはなかった。
第4章 ウォッカのバスとオーロラの岸辺
二日後、ようやく友人が到着した。
「会場まで車で六時間くらいかかるらしい」と、彼は当たり前のように言った。
「で、どうやって行くの?」と聞くと、
「さぁ……。こっちにいる日本人の誰かが、バスを出すとか出さないとか……」
あまりあてにならない答えだったが、その“誰か”は幸いすぐに見つかった。ビシュケクで活動をしている日本人の方が、マラソン大会に参加する人たちのためにバスを一台チャーターしていたのだ。ありがたいことに、そこに同乗させてもらえることになった。
六時間の道のりなら、移動中は寝ていけばいい。そう思ってバスに乗り込んだのだが、その目論見はすぐに崩れた。出発してしばらくすると、どこからともなくウォッカのボトルが現れ、紙コップが回りはじめた。誰かが歌い出し、誰かが拍手でリズムを取る。自己紹介は、いつのまにか飲み比べに変わっていた。
窓の外を眺めると、町の建物が次第に低くなり、乾いた草地と、遠くの山々が近づいてくる。やがて湖が見え始める。最初は小さな水面だったのが、バルイクチを過ぎる頃には、視界の半分を青い帯が占めていた。
チョルポンアタを通り過ぎ、さらに東へ進んだところで、バスはゆっくりと減速した。そこが、イシククリ湖北岸にある旧ソ連時代のサナトリウム、「オーロラ」だった。広い敷地に、ソ連時代を思わせる建物がいくつか並んでいる。

「宿はどこ?」と聞かれて、ふと我に返る。
そういえば、宿を取っていなかった。
「予約は……してないんです」と答えると、周りの人たちは、特に驚いた様子もなく笑った。
「じゃあ、みんなが泊まるボステリのゲストハウスに行こう。」
誰かがそう言い、話はあっさりまとまった。行き当たりばったりもここまでくると、少しひんしゅくを買ってもおかしくないのだが、キルギスの人も、ここに住んでいる日本人も、そんなことは日常だと言わんばかりに落ち着いていた。
第5章 ボステリ初日と、標高1600メートルの息切れ
ボステリに着いたのは、もう夕方に近い時間だった。
湖沿いの道の両側に、ゲストハウスや小さな商店がぽつぽつと並んでいる。塀の向こうには、古い別荘なのか、夏だけ開くのか分からない建物が見えた。

予約も何もないまま訪ねたゲストハウスの主は、「明日のマラソンの人たちか」とだけ聞いて、空いている部屋に通してくれた。簡素なベッドと、軋む床の部屋だったが、走るだけならそれでじゅうぶんだった。
その夜、宿の食堂には、キルギス人ランナーと日本人ボランティア、日本から来た参加者たちが集まった。長いテーブルに料理が並び、ウォッカやビールが次々と空いていく。マラソンの話、キルギスの生活の話、日本に帰るかどうか迷っているという話、それぞれの事情がひとつのテーブルの上に放り出されていた。
外に出ると、ボステリの夜は驚くほど暗かった。街灯が少ないぶん、頭上の星がよく見える。湖のほうを見ると、黒い塊のような水面がじっと静まっている。波の音もほとんど聞こえない。

マラソン前日ということで、軽くジョギングをしておこうと思い、湖沿いの道を走り始めた。ところが、100メートルもしないうちに、息が苦しくなった。胸が早鐘のように鳴り、脚が急に重くなる。標高1600メートルの洗礼だった。
「これは、フルは走れないかもしれない。」
本気でそう思いながら、息を整えるために足を止めた。
呼吸が落ち着いてきたところで、ふと湖のほうに目を向けた。明かりはほとんどないのに、どこか水の気配だけがはっきりと伝わってくる。足元で拾った水を指先にとって舐めてみると、ほんの少しだけ塩の味がした。
「この湖はね、入ってくる川はたくさんあるけれど、出ていく川はないんだよ。」
翌日、誰かがそう教えてくれた。
塩湖で、冬でもなかなか凍らない湖だとも聞いた。
不思議な湖だと、素直に思った。
第6章 湖底に眠る時間の層
イシククリ湖のことを調べ始めたのは、その少しあとだ。
マラソンの前後で耳にした話や、その後自分で読んだ本や記事を重ね合わせていくと、この湖のまわりには、いくつもの時間の層が重なっていることが分かってきた。
玄奘三蔵がインドに経典を取りに行く際、わざわざこのイシククリを回り、この周辺を治めていた人に挨拶をして道中の安全を確保した、という話が残っている。湖底には、まだ調査しきれていない遺跡がいくつも眠っているらしい。
旧ソ連時代には、この湖は軍事的にも重要な場所だった。魚雷の試験場があり、周囲の山では鉱物資源が採掘されていたこともあって、長い間、外国人は立ち入り禁止だった。湖畔にはソ連高官向けのサナトリウムがいくつも建設され、湖と山の景色を背景に、静かな保養の日々が続いていたのだろう。
世界で初めて宇宙に飛び立ったガガーリンも、宇宙から帰還したあと、このイシククリ湖でしばらく休養していたと聞く。宇宙から見た地球と、湖畔から眺める山と湖。その景色が彼の目にどう映っていたのか、想像してみる。
湖の透明度は世界のなかでも指折りで、資料によってはバイカル湖に次ぐ透明度と紹介されている。たしかに、晴れた日に水辺に立つと、足元の石がくっきり見える。遠くまで続く青さは、海ともまた違う、少し硬質な色合いをしている。
走るためだけに来たはずの湖畔で、いつのまにか歴史の話に夢中になっている自分に気づいたとき、この場所は、自分にとってただのマラソン会場以上の意味を持ち始めていたのかもしれない。
第7章 変わる北岸と、ノースショアの現在
あれから十二年ほどが経った。
そのあいだに、イシククリ湖北岸の景色は、少しずつ、しかし確実に変わっていった。
チョルポンアタは、今や北岸観光の中心都市になっている。湖沿いにはホテルやゲストハウスがぎっしりと並び、夏には中央アジア中から観光客が押し寄せる。ペトログリフの野外博物館や、文化センター、ビーチクラブ、フェスティバル。かつては静かな町だった場所が、季節限定のリゾート都市に変身している。
ボステリも、あの頃とはずいぶん雰囲気が違う。
湖に面したビーチには、リゾートホテルや家族向けのコテージが増え、別荘地の中には高級感のある建物も目立つようになった。それでも、メインストリートを一本外れると、松林と砂の道が残っていて、ふとした瞬間に2012年の記憶と重なる。
宿泊施設の数も、当時とは比べものにならない。素朴なゲストハウスが肩を寄せ合っていた時代から、今では、ノマドワーカー歓迎をうたうゲストハウスや、Wi-Fiとワークスペースを売りにするリゾートマンションまで揃っている。冬でも営業を続ける施設が増え、湖畔の生活は、“夏だけのもの”ではなくなりつつある。
ボステリには、競馬場もある。
競馬場といっても、日本のように馬券を買って歓声を上げる場所ではない。北岸の外れにあるそのスタジアムは、二年に一度「騎馬民族のオリンピック」とも呼ばれるワールドノマドゲームの会場になるヒポドロームだ。
このワールドノマドゲームは、各地の騎馬民族のあいだで持ち回り開催される。キルギスが開催国になるときには、イシククリ北岸のこの競馬場も、世界中から集まった騎馬民族の舞台になる。開会式は首都ビシュケク、主要な競技はイシククリ周辺や各地の会場へ散らばり、その一角としてボステリの競馬場でも、伝統馬術や馬上競技のメインイベントが行われる。
湖と山を背景にして、色とりどりの民族衣装をまとった騎手たちが馬を走らせる光景は、観光用に“作られたショー”というよりも、この土地に長く続いてきた暮らしの延長線上にある祭りのように見える。

最後に。 ここまでは、僕が12年間見てきた「物語」としてのボステリだ。 もしあなたが、この文章を読んで「いつかこの湖畔へ行ってみたい」と少しでも思ったなら、ここから先を受け取ってほしい。
ここから先は、感傷的な話ではない。 実際に現地で過ごすための**「生存戦略(ガイド)」**だ。
・絶対に外さない現地の料理とレストラン ・目的別に選ぶべき宿のリアルなリスト ・そして、大人だけが知っている「秘密の隠れ家」と「遊び方」
ガイドブックには載らない、居住者としての「正解」をすべてここに置いておく。 100円の鍵を持っている人だけに、ボステリの最深部を案内しようと思う。
① コラム|ボステリで食べる・泊まる
② 地図には載らない、僕の隠れ家と裏技リスト
③ 第8章 冬のボステリと、「原点」としてのボステリ
ここから先は

NOMAD weekly
「NOMAD weekly」は、毎週土曜日にお届けする小さな旅の雑誌です。 仕事の傍らにふらりと立ち寄った街、滞在のすき間に見つけた景色、…
現在、キルギス共和国に住んでます。キルギスでは幼稚園が圧倒的に不足しています。いただいたチップは幼稚園の設立の為に使わせていただきます。
