アムステルダム【NOMAD weekly No.25】
泥と水の上に築かれた、徹底的なる「合理と寛容」。 私が初めて海を渡り、デザインの深淵に触れた、原点の街を歩く。
序章:凍てつく夜と、すべてが始まった場所
私が初めて海外の土を踏んだのは、オランダのアムステルダムだった。
クリスマスも過ぎ、年末がすぐそこまで押し迫った、骨の芯まで凍りつくような寒い夜。スキポール空港から乗り込んだ冷たい金属質の鉄道が、どんよりとした鉛色の空の下を滑るように走り、アムステルダム中央駅に吐き出された瞬間の、あの鼻腔を突く冬の匂い。恩師と二人、重いトランクを引きずりながら石畳を歩き、運河沿いの小さなホテルにチェックインした。部屋の隅にある古びたラジエーターの鈍い温もりと、窓の外の暗い水面で揺れる街灯のオレンジ色の光を、私は今でもはっきりと覚えている。
それ以来、オランダという土地は私に数え切れないほどのチャンスを与えてくれた。初めての海外でのデザイン仕事、初めてのプレッシャーに震えた英語でのスピーチ、そして初めてのデザインアワードの受賞。あの冬の夜から始まった縁は、今も私を支えてくれる多くの現地の友人たちとの出会いへと繋がり、私のクリエイターとしての人生の骨格、ひいては「世界を視るためのレンズ」そのものを形作っている。
なぜ、私はこの街にこれほどまでに惹かれ、またこの街は異邦人である私をこれほどまでに自然に受け入れてくれたのか。

その理由を探るには、まずこの国と日本の、古くからの因縁を紐解く必要がある。
オランダという国は、古くから日本と極めて数奇で、深い関わりを持っている。 「はるか昔、織田信長はオランダにのみ、長崎の出島で交易を許した」——歴史のロマンとして、そんな風に記憶している人もいるかもしれない。しかし、ここで少しだけ歴史の針を正確に合わせておこう。日本を訪れた宣教師たちを厚遇し、南蛮貿易を推し進めたのは確かに信長だが、長崎に扇形の人工島「出島」を築き、最終的にヨーロッパのなかでオランダだけを唯一の交易相手として選んだのは、のちの江戸幕府(徳川家光の時代)である。
だが、「なぜ、カトリックの布教と領土的野心を隠さなかったポルトガルやスペインではなく、オランダだったのか」という謎の核心は変わらない。
その答えは、オランダという国が持つ恐るべき「合理主義」にある。彼ら(オランダ東インド会社=VOC)は、宗教的なイデオロギーや布教には一切興味を示さず、「私たちはただ、商売がしたいだけです。神の教えより、目の前の帳簿を重んじます」という徹底した実利主義を幕府に約束したのだ。 イデオロギーより、実質的な利益。教条主義よりも、目の前の課題解決。この極めてクールでドライなプラグマティズム(実用主義)こそが、鎖国下の日本が彼らを選んだ最大の理由であり、同時に、アムステルダムという街の美しさと強靭さを読み解く最大の鍵でもある。

今週のNOMAD weeklyは、私が「世界を視る目」を養った原点の街、アムステルダムを歩く。 ここは、ヴェネツィアやブルージュのような「最初から水に愛された街」ではない。泥と海から、人間の狂気じみた執念で「水を支配し、創り出した街」である。
第一章:光を編む夜 —— アムステルダム・ライト・フェスティバル
アムステルダムの真髄に触れたいなら、絶対に冬に訪れるべきだ。春のチューリップの華やかさも素晴らしいが、この街の美意識の奥底にある「暗さ」と「光への渇望」を理解するには、凍えるような冬の夜風に吹かれる必要がある。
なかでも、毎年12月から1月にかけて街全体を覆い尽くす「アムステルダム・ライト・フェスティバル(Amsterdam Light Festival)」は、この街が単なる保存された中世の古都ではないことを雄弁に語りかけてくる。

世界中のアーティスト、建築家、デザイナーたちが参加するこの祭典は、アムステルダムの歴史的な運河(グラハト)という遺産を、巨大な現代アートのキャンバスへと変えてしまう。 街の広範囲にわたって光の彫刻やインスタレーションが点在し、それらは単に陸地から眺めるだけでなく、運河を巡るガラス張りのボートに乗って「水上から見上げる」ことで、初めて完成するよう設計されている。漆黒の水面に光のオブジェが反射し、揺らぎ、古いレンガの橋と現代のLEDテクノロジーが交差する瞬間、日常の風景の輪郭は鮮やかに書き換えられる。
なぜ、彼らはこれほどまでに「光」に執着し、大規模なフェスティバルを催すのか。それは、一年の多くをどんよりとした鉛色の空の下で過ごす北国の人間にとって、光は単なる夜の照明ではなく、精神の均衡を維持するための切実な「装置」だからだ。 このフェスティバルを見に行くだけのために、冬の航空券を手配する価値は十分にある。冷たい風に打たれながら見上げる巨大な光の網は、この街が持つ「革新性」と「アートを都市インフラとして使いこなすしたたかさ」そのものである。
第二章:狂気と静寂のあいだ —— 二つの聖地を巡る
アムステルダムを語る上で、旅人が決して避けて通れない場所が二つある。 一つは、一人の男の燃え盛るような命の記録が沈殿する、**「ゴッホ美術館(Van Gogh Museum)」**だ。

ここには、フィンセント・ファン・ゴッホの初期の暗いオランダ時代の作品から、南仏アルルでの爆発するような色彩、そして最晩年の狂気を孕んだ風景までが、彼の弟テオへ宛てた書簡とともに時系列で展示されている。 特に注目すべきは、オランダの農民を描いた初期の傑作『馬鈴薯を食べる人々』の、あの重苦しく深い「泥の暗さ」だ。イタリア絵画のような神々しい光はどこにもない。そこにあるのは、ランプの薄暗い灯りの下で、土にまみれた手でジャガイモを分け合う名もなき人々の、粗野だが圧倒的に誠実な姿である。この暗さこそがオランダの原風景であり、後にゴッホが求めた鮮やかな『ひまわり』の黄色が、いかに血を吐くような渇望から生まれた色であったかを物語っている。
私が初めてこの場所を訪れ、うねるような厚塗りのキャンバスの前に立ち尽くしたとき、デザインという「調和と整理」の仕事をする自分が、いかに「不調和」の持つ暴力的なまでのエネルギーに飢えていたかを思い知らされた。
そしてもう一つ。街の喧騒から隔絶されたような静寂を湛える、「アンネ・フランクの家(Anne Frank Huis)」。

運河沿いに立つ、何の変哲もない建物。その回転式の本棚の裏に隠された急な階段を上り、秘密の隠れ家を歩くとき、人は「自由」という言葉の重みを、皮膚感覚で、あるいは喉の渇きとして理解することになる。 息を潜めて生活した日々の気配、壁に貼られた映画スターの切り抜き、そしてアンネが日記を綴り続けたあの小さな机。窓からは、彼女が日記に書き留めた西教会(Westerkerk)の時計塔が今も同じように見え、15分ごとにカリヨンの鐘の音を響かせている。
アムステルダムという街が、現在これほどまでに「自由と寛容(Gedoogbeleid)」を国是として掲げ、異なる人種や価値観を飲み込もうとするのは、この凄惨な迫害の歴史を、都市の消えない傷跡として抱き続けているからに他ならない。寛容とは、余裕があるから生まれるのではない。不寛容の恐ろしさを骨の髄まで知っているからこそ、必死に守り抜こうとする「意志」なのだ。
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