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69点と70点の間

「おらぁ!」

息子からLINEが来たのは、2025年7月23日の午後2時33分だった。
添付された画像を開くと、試験結果の紙に大きく「合格」の文字が見えた。日商簿記2級。70点。合格基準ぴったり。

その一週間前、息子は69点で落ちていた。

私は画面を見ながら、「あー良かった」と打った。
続けて「合格は合格や」「おめでとう」「お疲れ様」と、4つのメッセージを送った。

泣かなかった。感動で震えもしなかった。
ただ、本当に良かった、と思った。
それだけだった。

一週間前の7月16日。
息子から届いた試験結果は、69点だった。

合格基準は70点以上。あと1点。

試験結果の画像が届いた時、息子は何も言わなかった。
「…………………………」という、点だけが並んだメッセージを送ってきた。

私は「あー」と打った。
もう一度「あー」と打った。
三回目も「あー」と打った。

それ以外に言葉が出てこなかった。

69点で落ちる人間が、目の前に現れるとは思っていなかった。
そういう話は聞いたことがあった。友人の知り合いの話とか、ネットの体験談とか。でも実際に自分の息子がそうなるとは。人から聞く話だと思っていた。我が身に起こるとは、一ミリも考えなかった。

息子は「おかしい、こんな事は許されない」「なんなんだよこれ」と打ってきた。
私は「お家芸的な落ち方😭」と返した。
慰めではない。ただの事実の確認だった。

内心、ヒヤヒヤしていた。

ここで「もう受けない」と言い出すのではないか。
69点まで来たら、あと1点だ。でもその1点が取れなかった現実は、人によっては心を折る。

私はしばらく間を置いてから、さりげなく打った。
「次はいつに試験受けるー?」

息子は「そうだねー」と返してきた。

その一言で、私は安堵した。

正直に言えば、頭にあったのは感情より先に計算だった。
ここでやめられたら、TACの受講料も受験代も全部ドブに消える。愛情深い親なら「息子が傷ついていないか」を真っ先に心配するのだろう。私が真っ先に心配したのは、投資の回収だった。

気を取り直して、私は分析を始めた。
「スケジュール的に7月中にあと2回はイケる💪」

励ましではなかった。計算だった。

息子には高校3年として受験勉強もある。簿記に使える時間は限られている。ネット試験は会場と日程を選ばなければ、わりと予約が取れる。キャンセル拾いという手もある。7月中にあと何回受けられるか、頭の中でざっと弾いただけだった。早く受かって、受験勉強に向いてほしかった。

感情論ではない。
ただの工程管理だった。

私がこういう母親になったのは、生まれつきではない。

息子が小学6年の時のことがある。

友達の一人がカードゲームのカードを取ったという話を耳にした。息子はそのゲームをしていなかったが、一緒に遊んで嫌な思いをするといけないと思い、私は言った。

「その子と遊ぶのやめたら?」

息子は激怒した。
「僕の友達のことを悪く言うママなんて大嫌いだ! ディズニー絶対行かない!」

2人で行く予定だった卒業旅行のディズニーは、本当にキャンセルになった。ホテルも新幹線も。数か月、口を聞いてもらえなかった。

正直に言うと、私の方がミニーちゃんのイベントに行きたかった。

後から思えば、息子は私に与えられる最大限のダメージを、ピンポイントで選んだのだと思う。
この子は昔から、ナイフの刺しどころを知っている。

その時に気づいた。

私は息子に根拠のない期待をかけ、自分の価値観を押しつけていた。そして期待通りにならない時、その苦しさを言葉にして息子にぶつけることで解消しようとしていた。お互いにいいことは何もなかった。感情でぶつかって、大事故になるだけだった。

そもそも私自身、親の言うことを聞く子どもではなかった。
なのに、自分の子どもは従うと、なぜ信じて疑わなかったのか。

息子は私のお腹から生まれてきたけれど、意志を持った一個人だ。彼の人生の主人公は彼だ。
強烈なNOを突きつけられて、私は初めて境界線を理解した。

息子は私の従属物ではない。

それ以来、私は意識するようになった。
息子に対して、できるだけ「選択肢を提示する」だけにしようと。

選択肢の提示とは、判断する根拠の幅を広げる行為だと思っている。
ただし選択権は、あくまで本人にある。
決めるのは本人だと、私は決めた。

高校生になった息子は、第一志望の高校ではなかった。野球もやめ、部活にも入らず、毎日まっすぐ家に帰ってきた。

毎日その背中を見ながら、私はただ思っていた。
青春を、各駅停車してほしかった、と。

息子は小中と野球をやっていた。
小学生の頃は体が大きかったから、パワーで打てた。でも中学に入るとみんな大きくなり、技術も能力差も出てくる。そううまくはいかなくなった。

息子は自分で頭打ちを感じたのか、中学卒業とともに野球を見る専門に回った。
やり切った、だからもういいと本人は言っていた。
引き際は、自分で決めた。

私はその時、息子に何かを強制しようとは思わなかった。
ただ、高校生のうちにこれをやった、というマイルストーンを何かで置いてほしかった。

その前年、私はTACに通って簿記3級を取得していた。
小さな会社で経理まがいの仕事を任されていたのに、貸方と借方の区別もあやふやなまま仕訳を切っていた。曖昧なことが苦手な性分だったので、ちゃんと理解したくなった。ただ、それだけの理由だった。

3級の勉強を始める時、私は高校1年の息子に声をかけた。

「私TACに通って簿記の勉強するけど、君もやるか?」

選択肢を提示しただけだった。
答えがどちらでも、構わなかった。

息子は「通う」と言った。
ふと「ふーん、そうなんだ」と私は思った。

私が住んでいるのは愛知の田舎だ。
TACまでは片道1時間半かかる。車で20分、電車に乗り換えてさらに名古屋の中心部へ。

毎週日曜日、その道を2人で通った。

3か月後の11月の統一試験は、2人とも落ちた。すぐにネット試験を受けて、2人とも合格した。忘れもしない勤労感謝の日。祝日で賑わう商業施設で、お祝いにラーメンを食べて帰った。

翌年、2級コースが始まる前にも同じように聞いた。

「今度は2級やるけど、君も通うか?」

息子は「うん、やる」と言った。
「ああ、そうなんだ」と私は思った。

今度は半年。
毎週日曜日、朝から晩まで授業を受けた。昼は毎週吉野家だった。

「勉強にエネルギー使うから好きなもの食べよ」と言ったが、息子は必ずクーポンのあるメニューから選んだ。私は毎週それを見ながら、この子は堅実だなと思っていた。私は期間限定メニューを順に注文した。

息子は真面目に講師の顔を見ていた。寝なかった。ぼーっともしなかった。授業の合間にミニテストが入るから、そう眠くなれない構造になっていた。それでも午後になると眠気が来る。息子は毎回コンビニでハードグミを買って、咀嚼しながら耐えた。

私はその姿を特別だとは思わなかった。
ただ、隣にいた。
それだけだった。

手は貸さなかった。教えなかった。わからない問題を一緒に解いたりもしなかった。
ただ同じ時期に同じ科目を勉強している人間が、隣にいた。それだけの関係だった。

ただ、同じ問題で詰まる気持ちは共有できた。
「連結決算の問題ほんまにふざけんな」という感覚も、
「仕訳でミスると全部狂う」という焦りも、
同じ土俵に立っているから話ができた。

親子というより、同じ試験を受ける人間同士として。

後になって、TACの講師から話を聞いた。初回授業の日、私を見て「息子の受ける授業がちゃんとしているか、付き添いに来た保護者かな」と思ったそうだ。ところが私が練習問題を解き始めたので、「え、受講生?」と混乱したらしい。事情を知る3級の講師から「親子で通っている」と聞いて、ようやく合点がいったと言っていた。

「直接聞いてよ」と私は笑った。

11月の統一試験、2人とも落ちた。

モチベーションが一気に下がった。
基礎はついている手応えはあった。でも試験になると、何を問われているのかがわからなくなる。得点にならない。1月まで、2人とも簿記から少し遠ざかった。

2月、私は勉強を再開した。
TACの授業を再度受けることは考えなかった。基礎はできている。あとは問題傾向に慣れるために、ひたすら問題集を解いた方が確実だと判断したからだ。

ネット試験で1回落ち、2回目で合格した。

TACの講師がこう言っていた。

「簿記2級は2回3回受けてようやく受かると思ってください。4回5回落ちる人もいます。ただ勉強し続けさえすれば、必ず合格できます」

その言葉は本当だった。
少なくとも、私にとっては。

私が合格したのを見て、息子は高校3年になってから勉強を再開した。
私は何も言わなかった。
本人が決めたことだから。

息子には最初にこう伝えてあった。
「得意な問題の組み合わせに当たるまで粘れ。何回受験してもいい」

これも計算だった。

もう一度TACの2級コースを受講する費用と、ネット試験を何度も受け続ける費用を比べたら、10回以上受験してもおつりが出た。そして10回受け続けられる根気があれば、実力はそれに伴って必ずついてくる。その根気と実力の積み重ねが合格に届く。

そういう構造の話だった。

6月15日、1回目。34点。
6月27日、2回目。56点。
「希望あり。仕訳強化と第2問対策かな?」

7月12日、3回目。63点。
「はい、次行こう」

7月16日、4回目。69点。
「あー」
「あー」
「あー」

7月23日、5回目。70点。合格。

統一試験を含めれば、計6回。

69点で落ちて、70点で受かる。
どちらか片方なら聞いたことがある。でも、1人の人間が両方を経験するとは。どんな確率だろうと思った。

合格の連絡が来た後、息子はこう言った。
「テスト問題をざっと見た瞬間、これは受かったと思って、震えた」

私は即座に返した。
「それ90点取って受かる人のセリフやん」

息子は「第5問目の問題を間違えたのかな」と即座に分析していた。簿記2級の第4問・5問は、出だしで躓くと連鎖的にコケる。0か満点かの世界だ。

合格した瞬間にすでに次の課題を探している。
この子らしいと思った。

合格した息子はその後、経営や経済系の学部に進むのかと思っていた。簿記2級という武器を手に入れたのだから、それを活かす進路を選ぶだろうと。

「もう簿記はいいや」

息子はそう言って、文学部に進んだ。
経営や経済をやってもいいけど、4年間学び続けるほど興味が保てなさそうだと言っていた。就職のための資格を取りに行くのではなく、本気で学べるものを学びに行く。そういう判断らしかった。

それもまた、自分で決めたことだ。

正直、拍子抜けした。
でも次の瞬間、良かったと思った。入学してから「やっぱり違う」となるより、ずっといい。大学は卒業してほしいから。入る前に気づいたなら、それが一番だ。

普通科の高校生が簿記2級を持っていると聞けば、優秀な子だと思われるかもしれない。
取るまでの過程をあえて言う必要がないから言わないだけで、こんなにも泥臭く取得したのだ。なのに取ることが目的で、それを率先して活かそうとは思っていないらしい。

それでいいと思っている。
選択肢を提示した。
選んだのは本人だ。
使い方も、本人が決めることだ。

子育てとは何だろうと、時々考える。

導くことだろうか。
正しい道を示すことだろうか。

世間一般の「愛情深い親」像からすれば、私のやり方は冷たく映るかもしれない。褒めない。励まさない。「あー」と三回打って、次の受験会場を検索する。

でも私は、これが私にできる最大限の愛だと思っている。

信じる、という言葉が正確かどうかはわからない。
ただ、どんな結果でも、どんな状態でも、それはあなたの一部だし、あなたはあなただと思っていた。それだけは揺らがなかった。一度も言葉にしたことはない。でも、ずっとそう思っていた。

根拠のない期待を一方的にかけて、勝手に裏切られて、その苦しさを息子にぶつける。
それが愛ではないと、ディズニーのキャンセルで学んだ。

だから私は期待を捨てて、仕組みを作った。
1人で判断して、1人で立って、1人で生きていけるように。
その構造だけを、隣で整え続けた。

親から子への愛情の表現は、一つではない。

後日、あの夜の気持ちを息子に聞いてみた。
少し面倒くさそうに、こう言った。

「受かったから、そんなこともうどうでもいいんですぅー」

あの69点の夜に、のたうち回った息子はもういない。
手に入れた瞬間に苦労ごと放り投げて、次へ行く。

「おらぁ!」という小さな叫び声は、私のスマホの中に残っている。
70点の試験結果の画像と一緒に。
合格基準ぴったり。
無駄のない点数。

この子らしい、と思った。

69点で一度落ちた子の、70点だった。

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