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健康は、自分のためだけのものじゃなかった

食べることが好きだという気持ちは、昔からずっと変わっていない。
料理をつくる時間も、ひとりでお茶を飲む時間も、私にとっては暮らしの中の小さな楽しみだ。

正直、「自分の健康について深く考えるようになるのは、もっとずっと先のことだろう」と思っていた。
体調のことを気にするようになるのは、子どもがある程度大きくなってから。
なんとなく、そんな未来図を思い描いていたのだと思う。

けれど、母になった瞬間から、体との向き合い方は一気に変わった。

熱が出ても、寝込むという選択肢がなくなる。
咳が止まらなくても、食事や遊びやお風呂の時間は待ってくれない。
「今日はちょっとしんどいから休もう」
かつては当たり前だったその判断が、いつのまにか難しくなっていた。

もちろん、誰かに「休んではいけない」と言われたわけではない。
ただ、「責任感」という名前のスイッチが、静かに、でも確実に入っていたのだと思う。

乳幼児をそのままにして横になるわけにもいかないし、「体の声を優先したほうがいい」と頭ではわかっていても、現実の生活はそんなに単純ではなかった。

気合でなんとか乗り切る日が続くようになると、不思議とこれまで気にしていなかった「小さな不調」が、少しずつ色濃く感じられるようになった。

寝ても取れない疲れ。
元気なはずなのに、なんとなく体が重たい感覚。
理由ははっきりしないけれど、心だけが晴れないような日。

病気ではない。
でも、暮らしのスピードに体が追いついてこない日が増えていった。

母になる前なら、「少し休めば、そのうち治るだろう」と済ませていたような不調も、いまは「治るまで待つ」という選択肢がなかなか持てない。
自分が立ち止まると、その分だけ家の中の時間も止まってしまうような気がした。

*

娘が少しずつ大きくなり、抱っこから手をつないで歩くようになって、一緒に笑ったり話したりする時間が増えていく中で、ひとつ気づいたことがあった。

「私の体調がいい日ほど、親子の時間はやわらかくなる」

私が元気な日のほうが、娘の表情はどこか落ち着いていて、
私に少し余裕がある日のほうが、娘も安心するように甘えてくる気がした。

「健康」というものを、自分ひとりの問題だと思っていた頃には気づけなかったけれど、実は家の空気そのものまで変えてしまう力を持っているのだと感じるようになった。

それから、特別なことを始めたわけではない。

湯船につかる日を、ほんの少し増やしたり。
寝る前のスマホを置くタイミングを、ほんの数分早めてみたり。
朝、ひとくちだけ多めに水を飲んでみたり。
昔の私なら「そんなことで?」と思っていたような、小さな小さなセルフケア。

けれど、そういう日が重なると、暮らしがほんの少しやわらかく感じられることがある。

私が少し軽やかになると、娘との会話のトーンも、自然とあたたかくなる。
そんな小さな変化を何度も経験して、ようやく思うようになった。

健康は、贅沢でも、自己満足でもなくて、家族が安心して過ごすための、静かな土台なのかもしれない、と。

「#健康を考えることになって」というお題を見たとき、母になってからの数年で、自分の体との距離感がどれほど変わったのかを、あらためて思い出した。

昔は「データとしての栄養」を見ていたけれど、いまは「暮らしの中で聞こえてくる、からだの小さな声」に、少しずつ耳を澄ませられるようになってきた気がしている。

完璧じゃなくていい。
いつも強くいなくてもいい。

ただ、自分のペースで、元気でいられる時間を、少しずつ増やしていけたら……
それが、いまの私にとっての「健康」なのかもしれない。


#健康を考えることになって

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