声を上げられない誰かのそばにも、風が吹くように
「たいへんだね」って言われるたびに、「全然、大丈夫」と返していた。
でも、ほんとうは、たいへんだったのかもしれない。
小さな子どもと過ごす日々。
外にも出られず、誰とも会えず、一日中ワンオペ。
それでも、特別だとは思わなかった。コロナ禍だったから、誰だって孤独だったし、みんながたいへんだった。
私だけが苦しいわけじゃない。そう、思っていた。
子どもはまだ言葉も出ない頃で、会話なんてもちろんなかった。
おなじ絵本を読み、おなじリズムで寝かしつける。
そうして、一日中、誰とも話さず、音もなく終わる夜があった。
支援センターや保健師さんとの相談会は、出産後から何度か利用していた。
けれど、コロナの感染対策で中止や延期になったり、人数制限があったり、だんだんと足が遠のいていった。
いざ再開しても、「今さら行っても浮くかな」「あの頃来ていた月齢の近い子たちは、もういないかも」そんなことを考えてしまって、行けなかった。
気まずさでやめられてしまうくらいだから、私はきっと「本当に困っていたわけじゃない」と思っていた。
でも、ほんとうは、ちょっとした気まずさに耐える余裕すらなかったのかもしれない。
誰かと話して説明したり、気まずさを笑い飛ばしたりする元気が、当時の私には残っていなかった。
夜ごはんをつくる気力がなくて、ごはんと味噌汁だけだった日。
スプーンを押しのける小さな手を見ながら、どう声をかけていいか分からなかった日。
癇癪というより、なにかが伝わらないという静かな拒否に、言葉を失った日。
誰にも話さなかったし、自分でも忘れていたけれど、そんな小さなつまずきが、たしかにあちこちにあった。
*
私はいま、noteで、食や栄養のことを中心に書いている。
それは、毎日のごはんが「義務」になっていたあの頃の自分に向けた言葉でもある。
すごいレシピじゃなくても、パーフェクトな食事じゃなくてもいい。
ちゃんとじゃなくても、大丈夫。
そんなふうに思える小さな選択肢を、静かに増やしていきたいと思っている。
たとえば、検索しなくても、フォローしていた誰かの投稿が、「それでも、いいんだよ」「大丈夫だよ」と言ってくれる。
声を出せない誰かのそばにも、そんなふうに風が吹くように。
私は「私は大丈夫」と思っていた過去の自分にも届くような、そんな言葉を、いま書いている。
それが、私にできる未来のための一歩だ。
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