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春は、調子を崩しやすい季節かも。

 お話を聴いていて、人間はやはり自然の一部なのだな、と感じることはよくあります。そのひとつがこれ。春は、心の調子が少し崩れる、という方がいるようです。
 おもには、やはりこの日本の社会制度に影響されてるところがあるのかなと思います。春は、新しい年度を迎える時期。新しい環境に入っていく人がいます。進学、就職。進級だって新しい役割をもっていく変化です。後輩だった少年が、次は後輩でもあるけれど誰かの先輩にもなる、という変化。けっして小さいとも言えません。自分の身をとりまく人間関係が、顔ぶれはあまり変わらなくても、期待される役割が変わる。期待されてた役割を失う。変化、というのは、背負う荷物が重くなること、背負っていたお気に入りの荷物を失うこと、そういうことになってることが多いのです。

 重くなるのはしんどいですし、失うのは悲しい。どうしてもマイナスの感情がわきやすい、ということはあります。その上、それをこの社会では「進級おめでとう」「進学おめでとう」「就職だね。おめでとう」「昇進されましたね。おめでとうございます」と喜ばしいこととして扱われてしまって、負の側面に目を向けられることはほとんどありません。負の感情を持っているかもな、と周囲は少しも見てくれない。負の感情を持っています、などととてもじゃないけれど打ち明けられない。

 打ち明けた途端に、またたく間に「なにをつまらないことを言ってるんだ。あなたの未来はほら明るいぞ。現にほら、あなたは次の輝かしいステップにふみこんだのだよ。かみしめなさい」などと励ましと説教の入り混じった力強い言葉で否定されそうです。そしてその言葉には説得力があるのです。そしてその励ましと教訓は自分の内面にも前からとりこまれていて、自分から発する言葉でもあります。だれだって進級はめでたい。私だって人が進級したら「おめでとう」っていうだろう。だれかが不安がってたら「大丈夫だよ。誰だって通る道。あなたならやれるよ」って友情厚く背中をどーんとたたいて押し出してやるだろう。だから私も、今この背中をどーんとたたいてくれる人の方が正しいのだ。元気出すのが正しいのよ頑張れ私、って、内なる自分はまわりといっしょになって自分を励まします。背中をたたきます。

 失って悲しい自分、重くなってつらい自分は、かえりみられなくて孤独なのです。この、自分にみとめてもらえなくて、自分からも孤独、というのがなにより効くのでしょう。ひとさまや近い家族から見ても進歩の大きさからすると不安など小さい、ささいな不安だとしか見えない不安は、意外と打撃が大きいわけです。この「おめでたいバイアス」と名付けたくなるような変化への見方が、春の人間たちを追い込んでいく……そんな感じがあります。

 まず、自分が、この負の感覚を持つことを受け容れてあげることが第一歩ではないかな、と考えています。こんな負の感覚、もつのが自然だし、当然なんだよね、と自分のことを認めてあげること。しかたないよ、春だもんね。みんながなんとなくしんどくなるんだよね。と。

 そしたら、しばらくは心沈ませてあげましょう。時間はかかる。時間が治してくれることが多いのがこのしんどさではあると思います。人間は適応する生き物なので、新しい環境は入ってしまえばたいてい新しい能力を開発するとかむつかしいこと言うまえに、慣れてしまうものです。慣れにはストレスに付き合う時間が必要です。新しいステップに踏み出して、新しい技能を身につけるためにそのストレスは役立つ、と言ってもいい存在なのですから、それはそれでいいストレスなのです。

 だけど、ストレスであることを知ってストレスを抱えておくのと、もっちゃいけない感情だ、と否定しながらストレスを抱えるのとでは適応のプロセスのしんどさが違うのじゃないかなと思います。適応はしんどい。慣れるまでしんどがるのは、当然で、しんどくていいのよ。筋トレがしんどいのと同じで、しんどいねえ、って口に出しながら、できれば誰かと苦笑いしながら、共感しながらすごせたらいいですよね。

 いや言うは易く行うは難し、と言います。桜の花の咲く冷たい空気に、緊張するのは私だけではないのだと私は今日も感じながら、木々のつぼみを見ています。

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