比べることでしか愛されなかった私が、それでも安心できた日
新人ちゃんの成功に、すぐに「すごいね」と言えなかった。
自分でも驚くほど、心がザワついた。
――その理由を探っていったら、私の深い場所に触れた。
営業をガチでやっていた、ある日のこと。
新人ちゃんが、契約をとってきた。
すごい!普通なら、素直にほめるべき場面だった。
でも――私の心は、なぜかザワザワしてた。
正直、すぐに「すごいね!」って言えなかった。
その違和感の正体を探って、私は自分の内側へと潜っていった。
最初に浮かんできたのは、
「正直、大丈夫かな…?」って、どこかで心配してた相手だったということ。
だからこそ、想定外の成果に、
私の中の“安心していた立ち位置”が崩れたような気がした。
そして、ハッとした。
ああ、そうか。
私はいつの間にか、その人のことを
「自分より少し後ろを歩いている存在」だと思っていたのかもしれない。
そして、心のどこかで比較していた。
「この人と比べて、私はどうだろう」
「私のほうが評価されていたい」
そんな無意識の願いが、自分の中にあったことに気づいた。
それは、きっと昔からの思考のクセ。
妹と比較されて育った子ども時代、
“誰かより優秀でいること”が、愛されるための唯一の戦略だった。
そうしなければ、選ばれない。そう思い込んできた。
だから誰かが成果を出すたびに、
「私の価値が減るような気がする」――
そんな恐怖が、無意識の奥から顔を出していたのかもしれない。
でもね。
たとえ誰かが評価されても、
たとえ誰かが成果を出しても、
私の価値がなくなるわけじゃない。
私は私として、ここにいていい。
比べなくても、捨てられない。
そんな安心感が、少しずつ私の中に育ちはじめている。
そう思えたら、やっと言えたんだ。
「すごいね!よかったね!」って。
ちょっとだけ、心がチクっとしたけど。
それはもう、手放していい痛みだった。
そして、そのあと――
自分と繋がったような、あたたかい感覚がやってきた。
「私は、もう大丈夫。」
そう心の奥で、静かに確信できた。
もしこの物語が、あなたの中の“なにか”に触れたなら、
他の記事も、静かに綴っています。
「こともり」の記録に、そっと耳を澄ませてみてください。
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