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読書感想文が苦手だった私から、今の子どもたちへ


――かつて書けなかった、すべての“感じる子”たちへ

夏休み。
読書感想文に苦しむ子どもたちと、頭を抱える親たちがいる。

「ちゃんと読んだんでしょ?」
「何か思ったこと、あるでしょ?」
「なんで書けないの?」

その苛立ち、よくわかる。
でも、どうか忘れないでほしい。

書けない子どもは、「何も感じていない子」じゃない。

まだ、言葉にできないだけ。
まだ、“感じたこと”に名前がついていないだけ。


私も書けない子どもだった

私は、読書感想文が大の苦手だった。
なにを書いたらいいのか、わからなかった。
何かを感じていたはずなのに、それがどこか遠く、ぼんやりしていて、
うまく掴めなかった。

だから、「書けない」んじゃなくて、
「感じているのに、表現できない苦しさ」の中にいた。

けれど、周りからはそれが“感じてない”ように見えた。
“やる気がない”“感受性がない”って、決めつけられた。

そしていつのまにか、私自身もそう思い込んだ。

「私は感想が持てない人間なんだ」と。


だけど今なら、わかる。

私の中には、ちゃんと“感じる心”があった。
ただ、誰もそれに気づいてくれなかった。
ただ、ことばにするための道筋を、誰も教えてくれなかった。

だから――

どうか、今の子どもたちには、
そんな思いをさせないでほしい。


「感想を書きなさい」の前に、伝えてほしいこと

「何を感じた?」じゃなくて、
「どこが気になった?」と聞いてみて。

「心が動いたところ、あった?」と、そっとたずねてみて。

「感じること」には、正解も順序もいらない。
感じたものに、名前がつくまでの時間が必要なだけ。



そして、かつての私たちへ

もし、あなたが「感想が書けなかった子ども」だったなら。

あなたは感じていなかったんじゃない。
“感じたことに触れるのが怖かった”か、
“ことばにする力を持ってなかった”だけ。

今からでも、大丈夫。

あなたの中の“感じる力”は、
眠っていただけで、ずっと生きている。


最後に。

どうか、「感想が書けない子ども」を責めないでください。
そして、「かつて書けなかった自分」も、責めないでください。

感じる心は、誰の中にもある。
ことばになるには、時間が必要なだけ。

その小さな芽を、引きちぎらずに、
ただ、見守ってほしいのです。



もしこの物語が、あなたの中の“なにか”に触れたなら、

他の記事も、静かに綴っています。

「こともり」の記録に、そっと耳を澄ませてみてください。

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