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優しさが伝わらないのは “基準”が違うからかもしれない

ある日、性転換を経験した方の言葉を目にした。

「男性になれて、本当に嬉しい。
でも同時に、扱われ方が急に雑になったと感じるようになった。
女性だった頃、どれだけ大切にされていたのかに、はじめて気づけた。」


この言葉が、心に引っかかった。


どこかで、誰かが守ってくれていたこと

たとえば、何かをツッコまれるときの強さ。
叱られるときのトーン。
怒りのエネルギーのぶつけられ方…。

社会のなかには、「男性は少し雑に扱っても平気」という空気が、静かに存在している気がする。
強くて当然。受け止めて当然。そういう“前提”のようなもの。

一方で、女性にはどこか「守るべき存在」としての扱われ方がある。
私自身、女性として生きてきたなかで、思い返せばそういった経験はたくさんあった。
でもそれは、当たり前すぎて、気づいてすらいなかった。

改めて思う。
そういった“扱われ方の違い”が、確かに存在しているのだと。


優しさの「当たり前」は、人によって違う

人は無意識に——

「これくらいで優しさは伝わるはず」
「ちゃんと気を遣ったつもり」

そんなふうに、自分基準で“やさしさ”を測ってしまう。

でも実際は、優しさに対する“期待値”は、人によって大きく異なる。
それは、性別によっても同じことが言える。

特に女性は、日常的に“優しくされること”に慣れている人が多い。
だから、「ちょっとした優しさ」くらいでは、心が動かないこともある。

たぶん——

「俺って優しくしてるのに、なんで伝わらないんだろう?」
そう思ったことのある男性は多いんじゃないだろうか。

でも残念ながら、男性視点の“優しさ”って、
女性からすると「普通レベル」「当たり前」の範囲に収まっていることが多い。
むしろズレてることも……あったりする(笑)


印象に残る優しさって、なんだろう?

それはきっと、“ほんの少し先の気づき”なんだと思う。

「こうしたら喜ぶかな?」という自分発信の想像ではなく、
「この人の世界では、どこが満たされたら嬉しいんだろう?」という、相手発信の想像。

そのひと手間。
そのまなざし。

それこそが、誰かの記憶に静かに残る“優しさ”なんじゃないかな。


おわりに

優しさって、“自分から見たやさしさ”ではなくて、
“相手の世界に届くやさしさ”であってほしい。

自分の価値観や感覚だけで「これが優しさ」と決めつけないように。
優しさとは、相手の視点に一歩踏み込む想像力と、
その想像をそっと行動に移す勇気のことかもしれない。

そんなふうに、少し遠くに手を伸ばせる人が、
きっと、誰かの心に長く残るのだと思う。

——私も、気をつけよう。



「なんだか、少し思い出した気がする」
そんな感覚が残っていたら──

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