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千尋の名前が奪われたように、私たちは日々“自分”を忘れていく。

忙しい日々の中で、「自分って誰だったっけ?」って思う瞬間ありませんか?

私は最近、自分のことを言葉にすることが増えた。noteを書いたり、感情を見つめ直したり。

そんな中でふと、ある映画のワンシーンを思い出した。

「千と千尋の神隠し」

湯ばあばが千尋の「名前」を奪う、あの印象的なシーン。

そのときはファンタジーだと思って観ていたけれど、
最近になった今、その意味がようやく“腑に落ちた”気がした。

千と千尋の神隠しで、湯ばあばが千尋の名前を奪ったあのシーン。

「名前を奪われると、帰り道がわからなくなるんだよ」

そうハクが言ったあの言葉が、ずっと胸に残ってた。

たかが名前を奪われたくらいで、そんな影響ある…?

けど、「名前」というのは、それだけのパワーがあるということを最近感じる。
映画みたいに帰り道が分からなくなるなんてもんじゃない。
名前は、存在そのものをゆるがす行為。



名前を奪われるというのは、
存在としての自分を奪われること。
「私は誰か」「どこに帰るのか」「なぜここにいるのか」
その輪郭がぼやけていくということ

子どもが生まれたとき、
まず与えられるのは「生命」。
でも、それだけではまだ“命”じゃない。

そのあと、親が「名前」を与える。
この子は〇〇として生きていく、と世界に宣言する。
その瞬間、
生命としての命と、
存在としての命の、両方がそろう。

生きているだけじゃ、足りない。
誰かに「あなたはここにいる」と呼ばれることで、
はじめて人は“自分”としてこの世界に根をおろす。



私たちは大人になっても、
ときどき自分の「名前」を忘れる。

私はどんな人で
何が好きで
どう感じているのか
何を大切にしたいのか

湯ばあばに名前を取られた千尋みたいに、
毎日の忙しさや人の目の中で、
少しずつ“自分”を見失っていく。

でも、だからこそ、
自分で言葉を紡ぎ、自分を呼び戻すことが大切なんだと思う。

書くことで。
言葉にすることで。
ぼんやりとしていた自分の感情や願いに、“名前”をつけてあげる。

「わたしはここにいるよ」って。

だから私は、書きたいんだ。
そして気づいた。

私は、書くことで、言葉で、自分を取り戻してる。
自分のことを思い出している。
忘れていた私を、取り戻しているんだ。


きっと、あなたの中にも“忘れていた名前”がある。

その名前を、どんな言葉で、いま呼びたいですか?


「なんだか、少し思い出した気がする」
そんな感覚が残っていたら──

こともりの他の文章にも、あなたの答えのヒントがあるかもしれません。

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