「食物連鎖」の外側にいる我々
現代において人間とは、(よっぽどの例外的な場合を除いて、)食肉にされる可能性のない、唯一の動物の種かもしれない。
百獣の王ライオンですら、屍となれば、ハイエナの餌になったりもするだろう。
――その事実を鑑みて。
「いけしゃあしゃあと、我が物顔で、のさばりやがっているなあ、人間は。」なんてことも「個人的には」思う。
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昨日の金曜日は、急に気温が下がって、私の暮らす街でも、大変寒かった。――今知らべてみたところ、日中の最高気温が11.4℃だったようだ。(そりゃあ、寒いわ。笑)
おまけに土砂降りの雨。
昨日はうっかりいつもより、3時間ほども遅く起きてしまった。(たまにこういうことがある。)しかし「寝坊」というわけではない。私の平日のタイムスケジュールは、だいたい朝のうちに起きて、でも出勤は午後からなのだ。(で、夜遅くまで勤め先にいる、という感じ。)――昨日目が覚めたのは、午前10時半くらいだったろうか。――ただその準備をして出勤するだけなら、余裕を持って、間に合う時間なのだ。
で、ここ最近、毎日noteに記事を出すようにしているが、あー、今日は午前中の時間がほとんどないし、書くのは無理かな、ま、「絶対毎日続けよう」とは思っていないわけだしな、……と、頭を過りつつも。
せっかく数か月も続けているのだから、と、しかしPCに向かって書き出してしまう私なのであった。
そんなこんなで、昨日の記事になったわけであるが。――「書くことを始めから考えている時間のない時にはこれでいこう」と、予め頭の中に留めておいたネタを昨日は使ったのだが、思いのほか興に乗ってしまって(そう、フザけた書き出しで始めると、私は結構筆が進んでしまうのである。笑)――とはいえ、どんなにノリはしても私は遅筆なもので、それなりに時間をそこで食ってしまい――気づけば出勤時間になってしまっていた。
そう、いつもなら、食べる時間のない時はないなりに、PCを見たりキーボードを叩いたりしながら、買い置きのポタージュスープなんかを飲むくらいのことは必ずするのだが、うっかり、昨日は書くのに熱中し過ぎて、そのことすら忘れてしまっていた。
まあ、いいか、と、そのまま出勤。
私の勤務先、夕食休憩が午後四時台だったりするので(早すぎるでしょ?そのまま次の食事はするとしても帰宅してからになるので、午後11時とかになったりするんですよね~)(と、関係ない所で関係ないボヤキを入れつつ、笑)どうせあと数時間すれば、何かしら食事を口にすることはできるわけだし、と考えたのである。

――しかし。
昨日は、寒かったのである。
そして、元来は、寒さには強く暑がりな私なもので、すっかり油断して、長袖ではあったものの(長袖を出したことで「もうこれで大丈夫だろう」と安心してしまった)Yシャツ1枚で出掛けてしまったわけである。(つまり、着ている生地の薄さとしては、夏物とそんなに変わりがなかったわけである。)
外は土砂降りの雨。――車を所有していないので、雨合羽を着て自転車か、そうでなければ、傘をさして歩きで通勤するしかない。――最近は意識的に歩くようにしているので、歩きで家を出た。
職場まで20分。――図体のでかい男である私の身体は、しばしば、傘からはみ出てしまう。――だいたい雨の降りの激しい時はいつも、肩と腕と、膝から下の足元はびしょ濡れとなる。
実はこの時点で、天気予報の気温のところまでは見ていなくて、そこまで寒い日であるということに、まだ気づいていなかったのである。(暑さ寒さに鈍感なのである。)――しかし、職場について、さすがに「寒いな。」とは思った。――でも、服が乾いてくれば、収まるだろう、と見ていた。
勤務開始時はその建物内に一人きりでいるので、「暖房付けちゃおうかな」とは過りつつも何となく「自分一人しかいないのに、真冬でもあるまいし、暖房付けたらもったいないかな」とか、こういう時、妙な遠慮をしてしまうのは、オッサンの性であろうか。――しかし、朝から天気が悪くて陽が射すことのない雨の日だったりすると、その建物は、構造的なものだろうか、キンキンに(ってビールかよ笑)冷えこんだりする建物なのである。(そして晴れた真夏の日は逆に、サウナにできそうなほど暑くなるのである。ホント、どういう構造なの??笑)
そんな半濡れ状態で、一時間半。――こんなに「カラダの芯から冷え切った」のは、久しぶりのような気がした。――「底冷えのする寒さ」が、外気ではなく、自分の体内にあるかのような――そこまでの寒さではないはずだが、手だけでなく、腕がかじかんで、うまく動かない感じすらあった。
(おい!おかしいだろ!私のカラダには、こんなに燃料の備蓄「体脂肪」があるはずなのに!何故それを燃焼させんのだ!?!?笑)
――いや、ここで気づいたわけなのです。
「人間、何か食べないと、ダメなのだな。」と。
(今更。)(……「備蓄燃料」だけでは、ダメなものなのですね。笑)
入ってくる食べものの栄養があってはじめて、血も巡るし、筋肉も動くのだな、と。――栄養の補給がないと、身体って、温まらないし、思い通りに動かないのだな、と。
食べないと、ああ、人間って、生きていけないんだなあ、と。
(そこまで考えます?笑)
(いや、でも、しみじみこう気づいたんです、本当に。)
考えて見ると、昨日の午後四時台の食事から、丸一日、二十四時間近く、お茶と、昨晩の就寝前のヨーグルト1カップ以外、つまり「食べものらしい食べもの」を、口にしていなかったわけである。――そういうことをすると、そうか、こういう感じになるのか、と昨日は気づいてしまった、というわけなのである。
それは、体温が上がらないと、自分の身体はただの「血と肉と骨」という物体でしかなく、――燃やす燃料を補給しないだけで、まるで死体みたいに、自分の身体が冷たくなっている、という感じがしたのである。
(ちょっと大袈裟かもしれませんが。)
(多分、普段は冷え性的なものとは無縁のカラダなので、殊更感じたのかも?)
(でもホントに「身体が芯から冷え切る」ってこういうことか、と、久しぶりに感じました。)

いや、それにしたって、食事する時、「これによってエネルギーが補給されるから、体温も維持できるし、頭も体も動くんだよなあ」なんて、毎度毎度は、感じてはいないわけではないですか。
そのせいなのだろうか。
我々人間、「自分達人間だけの力で生きている」って気に、どうしてもなりがちだが、そうではないのだ、「食べものからの栄養によって、かろうじて生かされている」のである。――たまに仮の「飢え」状態を作ってみると、しみじみこれを、思い出せたりするものかもしれない。
植物のように(「日光・水・二酸化炭素」という材料はいるにせよ、)自分に必要な栄養すら自ら産出することもできないのである、動物って。
――他の動植物の何かしらを、いただかないと、生きてもいけない。
そう、「食べもの」とは、他の生物から「いただいている」もので、主に構成されているものなのである。――水と塩を除けば、ほとんどの食べ物が、なんらかの「生物」、つまり「動・植物」由来のものばかりなのである。
例えば、別に植物も、「他の生物に食べてもらうために」生きて実を実らせたり葉を茂らせたり根を太くしたり種に栄養を蓄えたりしているわけではないのである。――それにも関わらず私達は、「植物が、その植物自身を生かすために、あるいは、自分達の子孫へ命を繋ぐために、がんばって産み出している」そういうものを、ちゃっかりと、横から奪い取り、いただいてしまっている立場なわけなのである。
これが食肉――つまり「動物の命」なら、言わずもがなだ。
それでも、もし人間が自然界の中にいれば、「弱肉強食」のルールも適用され、お互い様の食ったり食われたりの持ちつもたれつの関係の中にいるところもあるのだろうが。
私達は、知恵がついてしまって、「自分達だけ」そこには組み込まないようにして、そのままで、やはり「ちゃっかり」と、場合によっては「他生物の命」なんかまでいただきながら、生きていくそんな「システム」を、構築してしまっているわけだ。

昨日の、身体が芯から冷え切った時にいただいた「24時間ぶりの食事」は、美味しいを通り越して、骨と身に沁み渡る感じだった。
――身体が、人間の意識のもっと手前で、生物として「栄養を待っていた」というのを、感じたのである。
胃が消化しているんじゃなくて、身体全体が食べ物を消化し、小腸が栄養を吸収しているというより、もう骨とか内臓全体が、栄養を直に吸収しているような感すらあった。

*
まとめると。
動物って、他の動植物から、何かしら「奪うこと」を続けてないと、生きてはいけないんだよなあ。
と、あらためて、「身体で」しみじみ、昨日は感じた、という話であった。
誰かから栄養は得ても、誰かの栄養になることはなく――つまり、自然界の食物連鎖に「貢献」もしていない我々なのだから。
「もらうばっかりの我々」は、もっと「慎ましい気持ち」で、食べ物に向き合ってもいいものかもしれない。

