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「時間の流れ方」は生命体ごとに違うのだから(ならば自分の場合は?)


早送りで見ると、 植物もまるで動物のように動いていて。

つまり、 みんな時間の流れ方がそれぞれ違うだけで。

でも、みんな生きている、 ってところはそれぞれが同じで。

――なんてなことをふと思ったりして。


生物ごとにそれぞれ、 いや、同じ生物でも、 例えば人なら、 その人その人、それぞれに、 時間の流れ方、その速度は、どうやらバラバラな様子で。(いや、同じ人の中ですら、時間の流れる速さは、時と場合によって変わっていたりもするし。)

しかし、 そんな「それぞれ」が、 「今現在」という同じ「瞬間」の中になら、同時にいられるという。

――時間とは、 なんと不思議なものだろうか。



いろんな種類の時間の流れ方があるのだから、 「自分が当たり前と思っている」「自分基準の」時間の感覚は、 「時間」というものに対しての感じ方のうちのごく一部分でしかない。
……というのに加えて、 自分自身の中にもいろんな種類の時間の流れ方の感覚があることも、 つい忘れがちな自分である。


基本、ここ何十年かの自分は、 何だかいつも急いでいる気がする。

いや、急いだほうがいい時はいいんだが、 「いつも」急いでいる必要はまったくないし、 そこには「無理」があるような気もしている。

「時短」「時間の節約」「ハイスピード」になればなるほどいいというのは( 個人的にはだが)、「何か違うような……?」という気がこのところしてきている、ということだ。


パソコンの起動の時間を待てない、 待つくらいなら他のことを始める、 ネットの次のページが開かない、 検索結果が出ない ……ってこれらのこと、 「数分」ではなく「数秒」待つだけなのに、 それくらいの「間」すら、何だか心静かに待てなくなっている自分。
――いや、PC・スマホ周辺だけでなく、 生活全般こうなってしまっている。

という、これは個人的な感覚の話でしかないのだけれども。――「元からハイスピードな人」はいるのだから。

しかし、自分は「元々が」そういうタイプではなかった。 (…ということを、ここのところ、何だか頻繁に思い出すのだ。)


「時短」「時間の節約」自体は、 まったく否定する気はなく、 ――しかし自分みたいなタイプの人間は、 どうやらそれによって取りこぼすものが多いようだ、と。

だから、多分「もともとテキパキ早いタイプの人」には、今回のこれは関係ない話だとは思うのだ。
――あくまで自分の場合の話でさらに進めるのだが。
いうなればこういうのって、「焦っている」「慌てている」が、常態化している感があり。
でも、それにも慣れてきてしまったから、 そういう感覚のままでも、 「ある程度は」上手に「こなせる」ようにはなっている ……のだが。

さてさて。

――「それによって取りこぼしているものが、 何だか思ったより多くある気がしてきた」ということを、考えるにつけ。

常に「焦っている」「慌てている」 ……けど、「常に」な分、それが 久しく当たり前になり過ぎていて、 そのことに気づかなくなってきている、 という、そんな「標準装備」を、 一回外してみたいな、と。


あ、但し、職場での仕事は、 つまり「給与が発生している時間内」は、 とにかく急いでテキパキやりますよ。
だってそれは 「自分の時間」ではないからね。
(自営業ならここらへん、 自由にしてもかまわないと思うんだけどね。)

……という、そんな公私のメリハリはつけつつ。
一日の中における時間の流れ方の「緩急」を、 意識してみようかと。