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「人生のリセットボタン」を押す前に

「生きる」とは、
「学ぶ」であるよなあ、と、しみじみ。

いや、この「学ぶ」は、
学校の勉強とか、
○○教室とか○○レッスンとか、
そういうのだけではなくて。

例えば、
「同じ過ちを繰り返さない」というのも
「学びの結果」であるわけだし。

言い換えれば。

「記憶しているすべて」は、
「学び」であるとも考えられるわけである。


昨日の記事で、
人生の「リセットボタン」があるとして、

「わかったよゴメン、じゃあ、やり直すね!」
って神様が爽やかに言って、
今の私自身を「完全清算」するために
現世から「完全抹消」しにかかったら、
どうですかね?
本当に、それでOKですかね??

※ここで言う「リセット」とは――
都合よく「この時点からやり直して」とか、
「良い記憶だけは消さないで」とか、
「編集するみたいにこの部分だけ断片的に消去して」とか、
それはできない前提ですね。

という問いかけを私は書いたのだが、
(で、私自身の答えは
「OKではない」なのですが、)
でも、読者の皆様に向かって
「ほら、OKではないでしょう?」とまでは
書かなかったのは。

「これまでの全記憶を失っても、
それと引き換えでもいいから、
人生を始めからやり直したい。」
という人がいてもおかしくはないのか、
と、思ったからである。


――まあ、私の場合は。

「悪い記憶」ですらも、
もしそれを失って始めからやり直した場合には、
「またやらかす」可能性も高いな、
と、そう考えたもので。

で、それが
「同じ過ち」ならまだしも、
「更に悪い過ち」となることもあるのか、
と。

だから、これまで通過して
「学習」(大半はそう認識していないけど)
してきたことを
忘れるわけにはいかないと考えるので、
私としては
「リセットボタン」は押したくないのだよなあ、と。

「更に悪い運命を辿る可能性が
たとえあったとしても、
それでもいいから一か八か
この人生を始めからリセットしたい」
と、
そう考える人もきっといるであろう中で、
自分自身は
「そこまでではない」だけ、
まあまあ、これはこれで、
「良い人生」と言えるのではないかなあ、
と感じている。

――「すべてが勉強です(でした)」と
しみじみ今思えている、
これこそが実は
「生きている」喜びなのかもしれない。
(「わかりやすい喜び」ではないですけど、
そういう「わかりにくさ」って
喜怒哀楽にはつきものですよね。)


同じく昨日の記事で、
これまでの感情を伴う記憶について、

「喜・楽」だけではなく
そう考えると、何なら、
「哀・怒」すらも、
それは「自分だけのもの」で、
時を経て俯瞰して今見てみると、
自分にとっては
「かけがえのないもの」のように、
今なら、思えてきたりもする。

と、書いたのは、
そういう意味で書いたわけである。

「次は良い方向へ引っ張っていく」
「同じ過ちを繰り返さない」という
「学習能力」があれば、
人生は、すこしずつ、
「研ぎ澄まされて」いくのだと思う。


――いや~、まだまだ更に
「研ぎ澄ます」余地はあるよなあ、
自分の人生。(笑)

人生にしんどさを感じる場合は。

「何故しんどいのか」と考える好機、
つまりそれを「格好の教材」にして、
そこから
「どうしたらより良くなるのか」を
見つけにいくようにして、
一つ一つ賢くなっていけたら……。

自分のこの先の人生、
そういうイメージでいけたら
いい……のだけどなあ。
(そう、「理想論」とは
まず言ってみるものだ!笑)