「化粧箱の中の世界」の完璧さより
この世界を、
「ある範囲までのもの」として
「限定」しないかぎり、
「完璧な世界」というものは
成立し得ない。
これを言い換えると、
「完璧」の世界には、
「完璧外」のものが、
(「実際に存在するもの」であっても)
立ち入れなくなるのである。
「自分の頭の中で描ける世界」は
「実在の世界」よりも
相当狭いはずである。
この意識を持ってしまうと、
「完璧主義」というものも、
「基準」「設定」を設けている時点で、
「描かれたもの」となる気もするし、
するとどこか
「自分の頭の中で描いただけの絵空事」
みたいな感じすらしてきてしまう。
(それでもいいから完璧主義、
という考え方もアリだとは思うけど。)

最近の私は
「完璧主義」的なもの
――「完璧なら尚良し」という考え方を、
意識的に自分の感覚から
外すように心がけている。
「予想外」の展開とか、
ウェルカムだしな、と。
そして、
この世界は割と、
「明確なもの」ではなく
「漠然としたもの」で
構成されている気もするので、
自分の頭の中も、
ある種「漠然」のほうに
チャンネルを合わせておかないと、
どうもこの
「ありのままの世界」との親和性も
薄くなる気もするしな、と。

ただの風景一つとってみても。
曇った蒼や、
色褪せた紅や、
漆黒でも純白でもない
隙のある黒と白や、
そういったもので、
この世界は構成されていて。
――もしもこの世界が、
数色に限定された
「ペンキの塗り絵」みたいな
そんな風景だったら、
そもそも私の心は
こんなに動かされることはないだろう。
50%50%のグレーすら実在しない、
そんな世界だからこそ、
――その「曖昧さ」にこそ、
自分の心の機微にも触れてくるものが
何かしら生じてくるわけであるからして。
偶になら、
綺麗な化粧箱にしつらえた
自分の世界を作るのもいいけど。
「自分の世界の全てが
化粧箱の中に収まっている」
というそんな「完璧」は、
私にはどこか、
物足りなく感じられるものとなったのだろう。

