「結果」より「経過」で人は育つ
と、タイトルのように考えるので。
「経過を辿っている」こと自体を
もっと喜べたらいいなあ、と思っている。
「結果」に注目するのは、
そりゃそうなるものなんだけど、
でも
「経過を辿っている」とか
「スタート地点に立てた」とか
それができていること自体もまた、
一つの幸運だったりするわけだもの。

――しばしば、
「経過」が「線」なのに対し、
「結果」は「点」でしかない。
というようなことを
私は例えとして出すのだが。
履歴書とか経歴とかは、うん、そう、
確かに「点描画」で書くしかない、
つまり、
「点」でその多くを描くものかもしれないけど、
しかし、
本当に「その人自身」を「描ける」のは、
即ち「育てている」「作っている」のは、
私は「線」だと思っている。
時間の感覚で考えても。
「点」は、瞬間だったりする。
もちろん、「結果」は「残る」し、
自分自身も、
例えば「学歴」とかは、
ずっと使っていたりはするわけだけど、
でも一度得た「結果」自体には、
何か「動き」があるわけではない。
もちろん、
その「結果」を使って
それをスタート地点としてそこから動き始める、
とか、
得た「結果」を使って新たに考え始める、
とか、
そういうことはあり得るけど、
それは自分でまた新たな
「経過」の機会を作って、
改めてそれを始めた、ということなわけで。
早い話が、
「結果」は「駅」であり、
――そう、「駅」は大切だけど、
で、それが「最終目的地」ということで
いいならいいのだけど、
でも、
「線路」の上に乗って「動く」がないと、
「はい、おしまい」となってしまうというか、
「今生きている」って感じがしない気もする。
せっかく「旅」に出ているのに、
辿り着いた「駅」で
ずーっと動かないのも、
(偶にならいいかもしれないけど、でも)
まあ、「面白くない」わけであるからして。
――やっぱり、
「移動」という「経過」がないと
そもそも「旅」自体を「退屈」に感じそうだし、
ならば、
「経過」をもっと面白がっていきたいな、と
私は思うわけなのである。

そう、今回の記事で
一番言いたかったことは。
「結果」が出る・出ないばかりに
目を向けていないで、
「経過」自体を、
もっと注目して面白がろう。
そうしないと、
生きていても面白くなりにくい。
「点」の「瞬間」より
「線」の「時間」を面白がったほうが、
本当は、生きていくにあたって、
より手応えもあるはずだ。
と、いうことだったわけである。

