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「ハングリー精神」はもういらない

もっとシンプルに、幸せを求めればいいのかもしれない。

あんまりゴチャゴチャ、今ここにない「条件」を並べ続けるのではなく。

今ここに漂っている、そしてこの手に今触れられる、「楽しい」「うれしい」「素敵」「心地いい」を、ただただ、集めていけば、まずは結構幸せなのではないだろうか。

小賢しい計算を続けることはかえって、今ここにあるそれらを「感じること」を、遠ざけてしまう気がする。――そう、「考える」より、まずは「感じる」。それこそが幸せというものの「正体」のような気もする。

「感じられる」すぐそばにあるもの。

例えば。

自分の街で(なのに出掛けはしないんだけど、笑)いつもの花火大会やお祭りがあるというだけで、(その気配くらいは自分の家や勤め先にも届くので、)なんだか今年は「いい夏」であると気づく。
で、あるいは、そうかそうか、いつもこんな「いい夏」をこれまでは過ごさせてもらっていたんだなあ、と、美味しいアイスクリームなんかをいとも容易くそこいらの近所で入手して食べながら感じている、という、「日常的な」これもまた、幸せ。

気づけば、自分、結構既に「幸せ」を手元に集めている。
そんな一つ一つをしっかり「実感」しながら、こんなふうに集め続ければいいだけのことなのかもしれない。

結構満腹なはずなのに、それに気づかないだけで、「もっと!もっと!」と「勝手に飢えている」。――そんなのは、最近お題にすることの多い「不機嫌」の発生源にもなるしね。

「ハングリー精神」なんてものがなくても、夢を見ることくらいできる。――どうせなら私は、夢すら「機嫌よく」見たいのだ。