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「正直者は、馬鹿を見ない。」

「人は美しいものを好み、
それを集めながら
生きていきたい生物なのではないか。」

昨日の記事は、
そんなふうに考えたからこその
結論だったわけであるが。

で、これは
「多くの人」に当てはまると
私は考えたわけであるが。

――「そうではない人」も、
もしかするといるのかもしれない。


例えば、
「暴力(身体的精神的どちらも)」。

例えば、
「人を陥れる嘘」。

これらの
「けっして美しくないもの」
いや、ハッキリ言って
「醜いもの」について、
「平気」または下手すると
「好んでいる?」というタイプの人も
世の中にはいるわけで。

上から目線の物言いに
聞こえたら申し訳ないけれど。
(と、言いつつ、
たぶん、こんな内容をここまで
わざわざ目を通してくださるような方々は
「そうではない人」がほとんどだと思うので、
あえて以下「私個人目線」で続けてしまうが。)

「暴力」「陥れる嘘」が全く平気な人は
ある意味、
この世の魑魅魍魎であるな、と、
私は思っている。


以前、
「天国も地獄も、
あの世ではなくてこの世にあるものだ」
と、私は言い表したことがあるが、
魑魅魍魎うごめく「異界」も実は
「この世」に併行して、
いや重なり合って、
存在しているのだろうなあ、と
私は感じている。
(だから時々、
自分もそこに紛れ込むわけである。)

「正直者が馬鹿を見る」
なんて言葉があるけれど、
はたして本当にそうだろうか?

――私はこれ、どこか
「表面的な部分」しか
言い表していない気がするのだが?

自分自身は、
「人を陥れる嘘をついても平気」
だろうか?
――それで心地いいだろうか?
安らぐだろうか?
罪の意識に苛まれ続けることはないだろうか。

いや、もちろん、
「跋扈する魑魅魍魎ども」は、
そこらへん、平気なのだろうと思う。
――腐ったドロドロの世界を、
そうして嬉々としていつまでも
徘徊しているがいい、と私は思う。

でも、私は、
そんな世界、
「絶対行きたくない」わけであるから。

ただただ、
その「正直者」に、
「自分自身は」、
なりたいのか、
なりたくないのか、
それだけのこれは「問い」なのだ。


もう一度、自分に問いたい。

「正直者」は、
本当に、
「馬鹿を見る」だろうか?

「あいつら、うまいことやりやがって、
うらやましい、
自分もそうありたい。」
と、自分自身で
本当に心から願うなら、
「そっち」へ行ったらいい。

でも、私は自分で選んで、
「そっちの世界」を遠ざけたいのだ。

「できる限り、誠実に生きていく」
それができるだけで、
自分自身の気持ちが清々しい。
――それだけでも既に、
実は結構、ハッピーな気がするのだが、
いかがだろうか?


改めて思う。

「醜いもの」はいらない。

「美しいもの」だけ、
私は集めて生きていきたい。


清々しいのが好きだ。
心安らかでいたい。
なるべくなら、
罪の意識に苛まれ続けたくはない。

私は、それを願っている。
そうしたいから、そうする。

だから、
私は損などしていない。


「正直に生きる」――できる限り、
私自身がそうしたいし、
そうありたいのだ。

だから、
「正直者は、馬鹿を見ない。」
というのが、
私個人の結論である。