「表現の自由」との絡みで
TwitterがXへと変わったとき、イーロン・マスクさんは「表現の自由」を保障することを買収の理由の一つにしていましたね。他の理由もあるでしょうが、表現者が発信したいことについて、それをプラットフォームの「検閲」による封じ込めから解放するということについては、全面的に賛成したいと思います。SNSの運営会社による「検閲」というのは、もちろん民間企業なので「嫌なら他のSNS使えば~」と言い放つことも可能で、どのようなルールを策定したとしても、それもまた自由であり、ユーザー数が増えようが減ろう自由な権利を行使した結果なのでそれを甘受してもらえばいいだけの話だとは思います。しかし、上から目線でユーザアカウントを凍結してくるようなSNSで何かを発信する気にはなりません。逆にそういったものから解放されているSNSへの投稿は非常に気楽にすることができます。子供の目に触れては問題になるとか、犯罪の手段(Twitterが「闇バイト」の求人に使われていたということもありましたね)として使われるとかいうことには注意が必要だとも思えますが、それは実社会でも同じことなので、SNSにおいてだけそういったことに気をつけなければならないという必要を感じません。自由なSNSでやらかしてしまったことに対する責任は実社会でやらかしてしまったことと同じように追及すればよいだけのことではないでしょうか。
ネット上の言論の自由に関する私の考え方は以上です。そして自由に発信されたことに対する批判を加えることは私に保障されている自由です。
新しい教育のあり方、5年後すら何が起こっているか読めない現在、これからを生きていく児童・生徒たちにどのような内容を、どのような方法で学んでもらうことにするかを考える私にとって、非常に不快なYouTube動画が流れてくる時がたまにあるので、それについて批判したいと思います。
YouTube動画は本当に玉石混交であります。良いものは非常に良いと思います。具体的なチャンネルを挙げることはここではいたしません。しかし酷いものは本当に酷いです。
その一つに、予備校講師が登場して予備校の裏事情、特に講師の報酬について暴露するような動画を上げているチャンネルがあります。そしてそれがかなりの再生回数を得ているのを見て、暗澹たる気持ちになります。他の講師の報酬について真偽が定かではない(たとえ真実であっても聴きたくもない)内容を事情通ヅラして語っているのですが、品性というものが感じられません。教科の指導に関してはそれなりのものをお持ちなのかもしれませんが、人として尊敬できない輩から何かを学ぼうという気にはなりません。私は note に投稿するために「予備校レクイエム」という原稿を書いていますが、私が学恩を受けた予備校の講師の方々の知性のレベルと現在人気講師として崇め奉られている人たちの知性のレベルを比較すると、明らかに低下しています。浪人が忌避される傾向にある現状において、予備校は浪人生から現役生を重視する方針にシフトしてきています。少子化が大きな影を落としていることが根本にあり、かつては最大500人くらいの大教室で満席どころか立ち見まで出るという盛況ぶりだったのですが、今ではひとクラス50人、100人いたら「おっすごいな」というくらいでしょう。生徒数が10分の1にシュリンクしているのですから、そこからあがってくる授業料収入も想像がつきます。そして講師の人件費もそれなりのものだと想像できます。それも講師の質の劣化に関係していることでしょう。
「お金」についての話に多くの方が興味を示すというのは分からなくはありませんが、少なくとも「教育」に携わろうという方々には、そうした俗っぽい話から距離をおいて頂きたいと思うのは私だけでしょうか。
逆のこともいえます。教育に携わる人たちに「お金」のことについて気にしなくてもいいような待遇を保障するような社会を実現することも考えた方がいいでしょう。現に学校現場から悲痛な叫び声が上がっていますが、先生方は仕事に見合うだけの報酬を得ているとは思えません。児童・生徒にものを教えることを生きがいとして割に合わない仕事をこなしている先生がほとんどでしょうが、生きがいでご飯を食べることはできません。

