【育児】雨の日の朝、私だけが覚えている涙
雨の日になると、
今でも思い出す朝がある。
上の娘が2歳だった頃のこと。
その日は、朝からザーザーと雨が降っていた。
「今日は、歩いて行きたい。」
小さな傘を嬉しそうに持って、娘は言った。
きっと娘は、
雨の日のお散歩を楽しみたかったんだと思う。
水たまりを踏んでみたり、
傘にあたる雨音を聞いたり。
子どもにとって雨の日は、
少し特別な日なのかもしれない。
仕事に間に合うだろうか。
私は心の中で少し焦りながらも、
「わかった。歩いて行こうか。」
そう言って家を出た。
けれど、小さな足ではなかなか先に進まない。
時計を見ながら、
私の心には焦りが積もっていった。
よりによって今日の朝は、あまり時間がない。
「急ぐからあとは抱っこするね。」
そう言って手を伸ばした時だった。
娘は大きな声で泣き始めた。
持っていた傘は、ぽとりと手を離れ、
雨の中に転がった。
娘は、泣きながら空を仰ぎ、
雨に打たれながら、その場に立ち尽くした。
私も立ち止まりたかった。
でも、立ち止まれなかった。
濡れた傘を拾って、
泣きじゃくる娘を抱き抱えて、
残された保育園までの道を歩いた。
あの日、雨空を仰いだ娘の目には、
どんな景色が見えていたのだろう。
保育園に着くと、
泣き声を聞いた先生が駆け寄ってきてくれた。
娘を抱き上げ、
「お母さん、〇〇ちゃん、大丈夫ですよ。
朝から大変でしたね。」
そう声をかけてくださった。
その一言で、
張りつめていた心が、ふわっとほどけた。
雨の日のお散歩を楽しみにしていたこと。
その気持ちを、
あの朝の私は受け止めきれなかった。
それでも先生は、
ずぶぬれの私達を責めることもなく、
温かい言葉で迎えてくれた。
何故だか、私はあの日をずっと覚えている。
少し前、小学生になった娘に、
そっとその時の話をしてみた。
「そんなことあったんだ。私ってよく泣いてた?」
と笑っていた。
娘は覚えていないそうだ。
そう言われて、少し救われている自分がいた。
親は、
子どもを泣かせてしまった日を、
いつまでも覚えている。
「あのとき、もっとこうできたかもしれない。」
そんな思いを抱え続ける。
でも、子どもは親の後悔の思いとは裏腹に、
前を向いて歩いていく。
私も、自分を責めるのはほどほどにして、
前を向いていきたい。
また、雨の日になるたびに思い出す。
娘の涙。
先生の
「大丈夫ですよ。」
の温かい一言。
あの日の涙も、
あの日にもらった優しさも、
きっと私は、
これからも忘れないのだろう。
過ぎ去れることを追うことなかれ。
いまだ来たらざることを念うことなかれ。
ただ現在の法を、
そのところにおいてよく観察すべし。
「一夜賢者経」(増谷文雄訳)
私も、今日という一日を大切に過ごしていきたい。
