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日毎の文箱 ¦ 好きのふるさと


わたしは、「好き」がたくさんある。


果物も野菜も好き。
自然の中を歩く時間も好き。


そんな「好き」について考えたのは、
おとといの夜だった。


夕ご飯のあと、
手に取ったプラムをじっと眺めていた。

そのとき、ふと気づいた。


この「好き」は、いつからだったんだろう。


十通目の記事で父と母のことを書いて以来、
気づけば数通以上の日毎の文箱を書いてきた。


久しぶりに、また二人のことを思った。
そう考えていたら、ふたりの姿が浮かんできた。


農家の娘として育った母は、
季節の野菜や果物を、
いつも当たり前のように食卓へ並べてくれた。
だからわたしは、
野菜も果物も好きになったんだ。


そして、父。
田んぼが広がり、山に囲まれたまちで
育った父のおかげで
風の匂いも、
草の音も、
木漏れ日も。

自然の中で過ごす時間が、
大好きになった。
(虫さんは今でも少し苦手だけれど笑)


そう、だからね。

考えてみたら
わたしの「好き」は、
自分ひとりで
見つけたものばかりじゃなかったなあって。


母は、静岡県御前崎市で生まれ育った。

高い場所へ行くと、
その向こうに海が見えるまち。


父は、福岡県大牟田市で生まれた。

大蛇山のお祭りで知られる、
穏やかさと活気が同居するまち。



そんな二人が大学進学をきっかけに
愛知へ来て、出会ってくれた。


そのおかげで、わたしがいて、
弟と妹がいる。



福祉を学ぼうと決めてくれたことも、
愛知で暮らすことを選んでくれたことも、
そのどれか一つでも違っていたら、
今のわたしはいなかったのかもしれない。


そう思うと、
人生って、本当にたくさんの選択の先に
つながっているんだなあと感じる。

ありがとう、なばかり。
その一言だけでは、少し足りないくらい。



そして、少し前に母の日と父の日があった。


日本には、いつもより
親を想う日がある。

それって、とても
素敵な文化だなあと改めて思う。


そして、まだまだわたしは
かっちょいい二人のようには
背筋を伸ばしても、なれそうにない。


それでも、
二人から受け取った「好き」は
これからも大切に育てていきたい。


好きな野菜を食べて、
好きな果物を味わって、
好きな自然の中を歩く。


そんな時間を重ねるたび、
わたしはきっと、
父と母から受け取った「好き」の中で、
ゆるりと生きていく。

生きていたいと思う。


p.s.みなさんが誰かから受け取った
自分にとっての「好き」はありますか?

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