・あらすじ
割り当てられた性と性自認のズレに悩む中学生すずは『あたしがあたしでいられる唯一の相手』衣毋(えな)を心友と慕っていたが、彼女の幼馴染みである晶に対して性的な好意を寄せていた。
同性の友達がいないすずを思い、衣毋は晶を誘い3人で過ごすようになる。だがある日、すずと晶が肌を重ねるところに出くわしてしまう。
『変態』
衣毋のその言葉は友達に手を出す晶に対して発せられたものだったが、すずの信頼を失わせた。
心の拠り所を失ったすずは自身を性的に求めてくれる相手を出会い系で誘い、身を預ける。我を忘れるほどの激しい行為で意識を失う瞬間、すずは衣毋に一番好きだと抱擁され、カラダを持って産まれたことに感謝するのだった。

・本編(全2話)
まだ誰も来ていない早朝の教室で、あたしは裸になっていた。
これは夢ではなかった。
ペニスを触ったらちゃんと気持ちよかったから。
裸になる理由なんて気持ちいいからだけで十分だった。
散々馬鹿にされてきた、あたしじゃないこのカラダを、今更クラスの誰かに見つかったところで痛くも痒くもない。
こんなことはきっと誰にも真似できない。
今までに味わったことのない優越感を覚えながら、あたしはカバンから大量の印刷物を取り出す。
それは理想の体型のAV女優にあたしの白目ダブルピース顔の写真をコラージュしたものだ。それをクラスの男子全員の机に入れてやった。
阿鼻叫喚の教室と気持ち悪がる男子たちの様子を想像するだけで気分がスッキリした。
女性の裸を見るたびにあたしのことを思い出して勃たなくなるトラウマを植え付けてやる。
もしくは何人かがこっそり持ち帰ったあたしの写真をオカズにオナニーさせてやる。
そんな様子を妄想して、教壇の上に座って一発抜いてやった。
机と床に撒き散らした精子もそのままに、あたしはヒラヒラの私服を身につけて教室を後にした。
もうこんなところに二度と戻って来る気はなかった。
たとえ、えなちゃんが待ってくれていても。

えなちゃんがあたしの心友になったのは、クラスの男子に無理矢理制服を脱がされそうになっていたところを助けてくれた時だった。
「仕草もいちいちキモいんだよ、女みたいで」
あたしがあたしでいることを否定するような罵倒に、そうだよなと心の中で自嘲する。
あたしは生まれた時からあたしじゃなかった。
きっと物心つく前から。
だから標的にされるのだと思う。
悪いのは異質なあたしのほうなのだ。
カラダが男のくせにスカートを履いてるから悪いのだ。
「見ろよ。また内股になってる」
同調を煽るように笑い、あたしの制服のスカートを前後から引き下げようとしてくる。
「ほら、このままじゃホントに男だってバレちまうぞ」
「男なら少しは反抗してみせろよ」
まるでそう言えば反抗できなくなることを知っているかのように。
男子は皆、あたしのことを気持ち悪がっていた。
女子は皆、怖がって近づいて来ようともしなかった。
助けてくれる人なんて、ずっと誰もいないと思っていた。
「男ばっかで女の子取り囲んでいじめるなんて、最低!」
けれど、えなちゃんだけは唯一、女の子のあたしをかばってくれた。
あたしをあたしとして、あたしよりもあたしを認めてくれた。
だから、心友だった。
「ごめん、なさい……あた、し……」
「大丈夫だよ。ほら立てる?」
えなちゃんはクラスの中で一番綺麗だった。
あたし含め、男女問わず憧れられているような人だった。
だから、そんな彼女からは想像できないような怒気のこもった声で最低と侮蔑され、男子たちは一瞬で怯えさせられてしまっていた。
「な、なんだよ……こいつ男じゃんか」
唯一そう反論した男子にも聞く耳を持たず、えなちゃんはあたしのカラダを優しく抱き起こしてくれる。
「逃げよ、すずちゃん」
ためらいなくあたしの手を取り、教室から引っ張り出して守ってくれた。
嬉しかった。
いじめられっ子だからではなく、あたしを女の子として助けてくれたことが。
あのまま脱がされて、カラダが正真正銘男であると烙印を押される前に一緒に逃げてくれたことに、あたしは救われた心地を覚えたのだった。

クラス替えの結果は人生を左右する。
大袈裟に思われるかもしれないが、少なくともあたしにとってはそうだった。
もし中学入学時、えなちゃんと同じクラスでなかったら、あたしはもうこの学校にはいないと思う。
もっと言うと、生きていたかもわからない。
そんな重要な決定を先生たちが独断と偏見でおこなうから、春休みのあいだ、あたしはずっと気が気ではなかった。
「おはよ。今年も一緒だね」
命拾いしたあたしは、少なくともまた一年間はあたしとして生きていけると、胸を撫で下ろした。
「うん……よろしくお願いします」
「なんで敬語? こちらこそ、よろしくお願いいたします」
二年生になっても変わらない笑顔をあたしに向けてくれて、自分の席へと向かうえなちゃん。
あたしよりも後ろの席で、なんだか安心する。
いつでも見守ってくれている気になれるから。
「出席取りますよ」
しばらくして、白衣を羽織った年配気味の男の先生が入ってきた。
担任は初めて見る先生だった。
もしかするとあたしの事情を知っていて、えなちゃんと同じクラスにしてくれたのかもと思っていた。
けれど、別にそんな配慮をしてくれたわけでもないみたいだった。
「鈴木和雄(かずお)くん」
「……はい」
もしそうなら先生はあたしのことを名前まで呼ぶようなことはしなかったはずだから。
その点呼に、あたしは仕方なく、できるだけ目立たないように、小さな声で返事をした。
それでも、女子の制服のあたしを見て、後ろのクラスメイトがざわめくのがわかった。
一年生の時はまだ男子の制服だったから、そんなことはなかった。
去年同じクラスだった同級生からはくすくすと嘲笑が聞こえた。
先生は何も悪くない。
この名前を付けたお母さんお父さんにだって悪気はない。
だからこそ、ぜんぶ自分で受け止めなければならなかった。
「続けますよ!」
先生は一つ咳払いをしてからそう教室の空気を仕切り直して、点呼を続けていく。
それでも、ずっとカラダに突き刺さってくる奇異の視線に、顔をうつむけるしかなかった。
「月包(つつみ)衣毋(えな)さん」
「はい。あの、ひとついいですか?」
「どうしましたか?」
えなちゃんは点呼の進行を突然遮ると、淡々とした口調で続けた。
「敬称なんですけど、皆『さん付け』でいいと思います。社会に出たらそれが普通なんですよね」
振り返ることはできなかったけれど、カラダが震えてしまうぐらい嬉しかった。
それは間違いなく、あたしのための指摘だとわかったから。
「そうですね。そのほうが良さそうです。ご指定ありがとう、月包さん」
「いいえ。こちらこそごめんなさい」
先生に嫌われてしまう可能性だってあるのに。
きっと新しいクラスメイトにも。
あたしなんかのために、あんまり目立つようなことをしてほしくないと思うと同時に、もっと頼りたくもなってしまう。
あたしの名前は『鈴木すず』。
そう心の中で唱えた。
それはえなちゃんからもらった、あたしたち二人だけの名前だった。

えなちゃんがあたしをすずちゃん呼んでくれるようになったのは、彼女があたしを初めて見つけてくれてすぐのことだ。
まだ中学入学直後で、ズボンを履いていた頃。
体育の授業のあと、机の中に小さく折りたたまれたノートの切れ端が入っていた。
女子がよく授業中とかに回してるそれをあたしがもらったのは初めてで、一瞬ワクワクした後、またイタズラか何かだろうと怖くなった。
恐る恐る紙を開くと、そこには大きく、けれど少し丸っぽい文字でこう書かれていた。
『放課後、掃除終わったあと教室に来て』
字体だけで判断はできないけれど、また嫌がらせされる可能性を視野に入れても、その差出人のことが気になってしまった。
だから、恐怖心もあったがあたしはその指示に従うことにしたのだった。

「あ。待ってたよ、鈴木くん」
そこに待っていたのは月包衣毋さんだった。
クラスで一番可愛いくて、こんな風になれたらなって、あたしも密かに憧れていた女の子だった。
「あ、あの……なんの用ですか」
「いったん扉閉めて。他の人に聞かれないほうがいいから」
なんだか逃げられないようにされてるみたいで、恐怖心が増す。
言われた通り後ろ手に扉を閉めて、その場を動かずに彼女の次の言葉を待った。
「昨日、隣町のモールにいたでしょ。女の子の格好で」
ドクンと、心臓が危機を察して大きく脈打った。
正直、気づかれないと思っていた。
化粧もしていたし、それに誰もクラスの男子が女の子の格好をして歩いているだなんて思わないだろうと、甘く見ていた。
「ひ、人違いです……」
「ううん。絶対鈴木くんだった。それに、人違いだったらどうしてそんなに声震えてるの?」
月包さんが近づいてきて、あたしの顔を無遠慮に見つめてくる。
その化粧もしてないのに整い過ぎている顔の威圧に、あたしはたまらず目を逸らして、降参した。
「……誰にも、言わないで」
「そんなつもり最初からないけど」
本当だろうか。
彼女はクラスで人気者で、休み時間はいつも誰かと話しているような人だった。
彼女がクラスの誰かに話してしまえば、噂は簡単に広まってしまうように思えた。
「好きなの? ああいう格好」
「それは…………うん」
全身がかぁっと発火する。
誰かにこの衝動を暴露するのはこれが初めてだった。
「学校でも履けばいいじゃん。スカート」
「簡単に、言わないでよ」
彼女は知らない。
あたしのあの服装がただの趣味ではなく、自分を確かめるための行動だということを。
つまり、女装ではなかった。
ただ、あたしらしい姿で、外を歩きたいだけだった。
「私は似合ってると思ったよ。鈴木さんの、ああいう格好」
「…………え」
初めて、誰かに、自分の好きな自分を認めてもらえた。
そのことが、胸が締めつけられるほどに、嬉しく感じた。
「あ、ありがと……ってちょっと、急になにやって!」
突然彼女はあたしの目の前で自分のスカートを下ろし始める。
「貸してあげる。私のスカート」
短パンを履いてたとはいえ、カラダは異性のあたしの目も気にせずに。
それはあたしのことを同性として認め、信用してくれている証明のようにも思えて。
あたしなんて、まだあたし自身があたしのことを苦手なぐらいなのに。
「足、あげて?」
「う、うん……」
だからあたしも、彼女に言われるがままに従って、カラダを預けてしまう。
「ここをね、こうやって止めるの」
まだ動揺の隠せないあたしにさっきまで自分が身につけていたスカートをズボンの上から履かせてくれる。
初めてつける制服のスカートは、少し動くだけでひらひらとして、それだけで胸が踊るような感じがして、心に馴染んだ。
「すずちゃん、可愛い」
その笑顔には嘘がないように感じた。
だから、その日以来あたしは、えなちゃんがくれたあたしを、大切にしようと思った。
あたしらしいあたしを、初めて可愛いと言ってくれたから。

翌日、あたしは先生にカミングアウトした。
その時はえなちゃんも隣にいてくれた。
二人でお願いしたおかげで、あたしは晴れて学校でスカートを履けるようになった。
けれど、それがさまざまな問題を生じさせることは始めからわかりきっていた。

噂はすぐに広まった。
「ほら、あの人だって」
「えーうそっ! あっ、でも確かに脚とかちょっと太い?」
「ちょっとどこ見てんのー」
一年生の時と同じだった。
クラスメイトはあたしの遠巻きに鑑賞して、話の種にしていた。
机でただ本を読んでるだけの、自分とは何の関わりもないはずのあたしを、ケタケタと笑いものにして同調感を強めていた。
「声ちっさって思ったけど、声変わりしてんのかな?」
あたしが気にしていることも目ざとく、無神経に話題にされる。
カラダの変化は止められない。
最近は髭もうっすらと生えてきてしまっていた。
全身の毛の手入れは毎日しているが、学校ではメイクも禁止されているし、これ以上はどうしようもない。
「今はまだマシだけどさ、将来とかどうすんだろうね。アレ」
だから、そんな陰口をされるのもしかたないと思うようにしていた。
それでもあたしは、女の子として生きていたいから。
けれど、そう気を強く保とうとしても、自信が少しずつ削れていくのを感じていた。
「あんたらよりすずちゃんのほうがよっぽど可愛いよ。外見も中身も」
そんなふうにかばってくれるからあたしとえなちゃんはいつも二人だった。
嬉しいけれど、あたしのせいでえなちゃんを嫌われてしまうのを、心苦しく思わずにはいられなかった。

体育がある日は特別にジャージ姿で登校することを許された。
女子の制服を着たまま男子と同じ更衣室で着替える訳にはいかないからだ。
そして、あたしも裸の男子に囲まれながら平常心で着替えられる気はしなかった。
あたしの性的指向は男のカラダの人だったから。
そのせいで、トイレに行くのも大変だった。
中学に入ってからは一番遠い職員室側の多目的トイレを使うようになっていた。
同級生の男子が小便器に向かって性器を出しているところに鉢合わせるわけにはいかなかった。

どうして男女に分かれる必要があるのだろう。
あたしは一人体育館の隅で座りながら思う。
今日、女子の体育は外で50メートル走の測定らしかった。
普段学校ではえなちゃんとずっと一緒だが、この時間だけはあたしたちは離れ離れにされる。
一人で戦わなければならなくなる。
けれど、そんな中でも唯一楽しみなことも一つだけあった。
「こっちパスッ!」
隣のクラスで野球部の佐藤晶(あきら)くん。
彼のことをずっと見ていることができるから。
彼は球技全般が得意で、たった今目の前で行われているバスケの試合でも大活躍中だった。
特にボールをゴールに放るときのシルエットが、妙にカッコよく見えて。
「ナイス! アキ!」
「そっちこそナイスパス」
ブザーギリギリの得点。
同級生とハイタッチした後、彼は額を光りながら流れ落ちる汗を、シャツの裾を持ち上げて拭う。
大胆にあらわになった、同級生の中では明らかに鍛えられている腹筋の凸凹に、目が離せなくなる。
彼が額をシャツで拭って視界が遮られているのをいいことに、そのたくましくて艶かしい裸体を凝視してしまう。
「すーずちゃんっ!」
「ひぁん!?」
うっとりしていたところに急に声をかけられ、つい素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ん? どうしたの?」
「えっ……あっ、ううん。なんでも……」
どうやら女子の体育のほうが早く終わって戻ってきたところらしい。
慌てて目を逸らしたものの、えなちゃんはあたしの向けていた視線の先を追ってしまう。
「あっ、ちょっとアキ! 女子いるんだからそんなカッコしないでよ」
「はぁ!? んなの見なきゃいいだろ」
「見たくなくても目に入るんだっつうの!」
えなちゃんと晶くんは幼馴染だった。
付き合ってはいないとは聞いていたけど、二人は誰が見ても仲が良くて、そしてお似合いの美男美女だった。
えなちゃんは気づいてしまっただろうか。
あたしが晶くんを、性的な目で見てしまっていたことに。
ちらりとえなちゃんを見上げる。
シャツの上からでもわかるその確かな胸の膨らみが、心の底から羨ましかった。

その日の夜、あたしは自慰をした。
「んっ……あんっ」
下半身に生えた、まるで自分のものとは思えない醜いものを握ると気持ちよかった。
だから嫌でも触ってしまった。
彼のことを考えると、勝手に大きくなるソレを、慰めずにはいられなかった。
「ねぇっ、きもちい? きもちい?」
物理的な快感だけでなく、握っているソレを彼のものだと思い込んで擦ると、自分の手が彼を気持ちよくしている気分になれて、二倍高ぶってしまう。
「もう出ちゃうの? ふふっ、いいよっ……あたしの手、タオルだと思って、いっぱい、ぐちゃぐちゃにしてっ……あんっ」
妄想の中のあたしと彼は同時に達した。
体液の溢れ出す先端を手のひらでぐりぐりと押し潰しながら、その温度に彼の体温を思って気を飛ばす。
けれど、意識が現実に引き戻されると、そこにはあたし一人しかいなかった。
そして、自慰の後は決まって自分に対して酷い嫌悪感に苛まれた。
している最中は快感で上塗りできていたこのカラダに対する違和感も増し、またあたしは自分という存在の不確かさにやるせなくなる。
晶くんも、たとえばえなちゃんのことを考えてこういうことをしているだろうか。
お似合い以前の問題があるあたしとは違って、それはとても自然な事のように思えた。
あたしはえなちゃんのことがまた少し羨ましくなった。

調理実習は苦手だ。
いつも自分の役割がわからなくなるから。
「わたし、包丁ってほとんど使ったことないんだよね」
調理台の隅で様子をうかがっていたら、同じ班のえなちゃんが皮の剥き終わった人参をコロコロ弄びながらあたしに声をかけてくれる。
「すずちゃん、できる?」
「え、まぁ……少しは」
「じゃあ教えて教えてー」
「う、うん……ありがと」
「それ、こっちのセリフだってー」
人参を持つえなちゃんの手を取って、指を丸めさせる。
「こうやって、猫の手で押さえるの」
「なんで猫?」
「なんでって……危ないから?」
答えになってないよーと笑いながら、あたしに教えられるままに丸めた手で人参を押さえた。
「それで、包丁の刃を当てて、そう」
「わわ、なんか逆にむずくない、これっ」
「でも、指を傷つけないようにしないとだから」
その様子を見守りながら、あたしはあたしなんかよりずっと白くて柔らかい手を羨ましく思っていた。
「やっぱだめ! すずちゃんお手本みせて」
「お手本ってほど上手くできないと思うけど」
切っ先をこちらに向けないよう包丁の柄の部分を少し空けて手渡される。
「すずちゃんって料理やるの?」
「うん。少しは」
あたしは目の前の人参を猫の手で押さえて、人参の向きを変えながらストンストンと乱切りしていく。
「やっぱりすずちゃん女子力高いなぁ」
料理と女子は関係ないと思いながらも、 クラスの誰よりも可愛いえなちゃんにそう言われるのは素直に嬉しくかった。
あたしたちはそのあとも二人で協力して用意されていた残りの人参を食べやすい大きさに刻んでいった。
晶くんも同じクラスで見ててくれたら嬉しかったのに、なんてことを思った。

調理も食事も終わり、あたしが食器を洗おうと流しに向かうと、そこには人参だけが綺麗に残された皿が並んでいた。
えなちゃんにバレる前に生ゴミに捨てようとしたけれど、手伝いに来てくれたところでバレてしまった。
「なんでみんな人参残すの? もったいない」
あたしの代わりにえなちゃんが、班の人達に向かって言う。
きっと理由を察していて怒ってくれていた。
「やだよ、キモい。オネエ菌が移んじゃん」
「わ、わたしはホントに人参って苦手で……」
「実はわたしも……ごめんねー、鈴木さん」
結局、あたしが切った人参を食べてくれたのはえなちゃん一人だけだったみたいだ。
あたしが手伝わないほうがよかったと思った。
それはえなちゃんにしか食べてもらえなかったからだとかそういうことではなくて。
この手があたしのあたしでない部分を散々慰めてきた汚れモノだということを思い出してしまったからだった。

「すずちゃんってアキのことどう思う?」
「……え?」
えなちゃんの口から突然晶くんの名前が出てきて、あたしは慌てる。
熱くなる顔を逸らしてどう返そうか黙り込んでいると、えなちゃんは続けた。
「いや、すずちゃんって男子の友だちは作らないのかなって思って」
友だちという言葉から、どうやらあたしの彼への気持ちを勘づかれたわけではないとわかって、ほっとした。
「作らないっていうか……作れない、っていうか……」
そもそも、あたしの晶くんに対する感情はそういった類のものではなかったから。
「あいつ男友だち多いしさ。仲良くなったら色々困らないんじゃないかなって」
きっとえなちゃんは、あたしがクラスで嫌われてしまっていることを気にしてくれた。
「……それじゃ、えなちゃんはどうしてあたしとだけ仲良くしてくれるの?」
それはあたしがずっと疑問に思っていたことだった。
えなちゃんはどうして、こんなあたしなんかと仲良くしてくれるのだろうと。
えなちゃんこそ、あたしといるせいでクラスで浮いてしまっているのに。
「わたし、苦手なの。女子同士の付き合いって。あっ、別にすずちゃんのこと女子として見てないとかじゃなくて。なんていうか……」
一生懸命に言葉を紡ごうとするひたむきな姿を可愛いと思う。
えなちゃんはあまり口が達者なほうではないけれど、それでも彼女の言いたいことは不思議といつも本心がはっきりとあたしに伝わってきた。
「例えば、ほら、わたしってアキとそこそこ仲良いじゃん?」
「う、うん」
「一年の入学したての頃ね、アイツのこと好きになった同じクラスの女子がいて、わたしが幼馴染だからって、ちょっと面倒なことになったりもして……」
その言葉にはやっぱり嘘はなさそうで。
だからこそ、現在進行形で晶くんのことが気になってしまっているあたしは、ただ口を噤むしかなかった。
「わたし、空気読んだりも基本できないし、うまく合わせらんないんだよね。噂とか、なんで本人がいないとこでそんなこと、って……」
そこまでなんとか説明して、最後はあたしの目を真っ直ぐに見つめた。
「とにかく、わたしはすずちゃんと一緒にいるときが、一番わたしでいられるの!」
それは、この世のどんな言葉よりも嬉しい気持ちだった。
えなちゃんがあたしと同じ気持ちで一緒にいてくれていたのだとわかって。
あたしは、えなちゃんの隣にいていいんだって。
「でも、すずちゃんはもっといろんな人と仲良くできると思う」
「……え?」
突然心がすれ違って、あたしは取り残されたような心地になる。
「みんな、すずちゃんのこと外見で判断してるだけだし。ちゃんと話せば、今みたいに嫌われることもなくなって、わたし以外の人とも仲良くなれる」
「そんなこと」
「あるの。だから、ね? 試しにアキと友だちになってみよ。あいつ良いやつだしさ。最初はわたしがあいだ取り持つから」
その日、結局あたしは自分の気持ちを伝えられなかった。
晶くんのことはそういう気持ちでは見られないんだって。
あたしにとって友だちはえなちゃんだけでいいんだって。
えなちゃんと同じように、えなちゃんと一緒にいるときが、一番あたしでいられるから。

夏休みに入って最初の日、あたしはえなちゃんに誘われて晶くんの家に遊びに行くことになった。
どんな服で行くか家を出るギリギリまで悩んだが、女子の制服で学校に通ってるのに今さら誤魔化すのもおかしいと思えて、飛び切り可愛いのにした。
「それじゃ行こっか」
「う、うん」
ひとまずえなちゃんの家で待ち合わせをしてから、彼女の先導で晶くんの家に向かう。
「アキ、部活でちょっと遅れるってー」
「そ、そうなんだ」
それじゃえなちゃん家で待ってたほうがいいんじゃ、と訊く前に、えなちゃんは斜め向かいの家の敷地内に入っていた。
表札を見てみるとそこには『佐藤』と書かれていた。
まさかこんなに近いとは思ってなくて、あたしは心の準備ができてなくて心拍数が急上昇する。
「えーと、0、3、0……」
えなちゃんは玄関に着くなり、ポストのダイヤルを回して開いて、その中から鍵を取り出した。
「そ、そんな勝手に、大丈夫なの?」
「いいのいいの。小学生の頃から勝手に上がり込んでたし、アキのママにも言ってあるらしいから」
えなちゃんはこなれた様子で鍵を開けて、二階に上がって一番奥の部屋に向かった。
「変わってないなー、この部屋。お、この漫画の新刊までそろってんじゃーん、ラッキー!」
本棚からお目当ての巻を手に取ると、えなちゃんは普段晶くんが使っているであろうベッドの上に寝転がって読み始めた。
男子の部屋で勝手にこんなにくつろいでいいのだろうか。
あたしはといえば初めての男の子の部屋にただドキドキして立ち尽くしていた。
至る所から晶くんの匂いがする気がして、頭がクラクラしてきた。
「すずちゃんも好きなの読めばー?」
「う、うん」
そう促されて泳いでしまう視線を本棚の方に向ける。
その隅っこに、小学校の卒業アルバムを見つけて、つい手が伸びてしまった。
「なに読んでんの?」
「え、いや、えなちゃん写ってるかなって」
「あー、2組だよ。アキも同じ」
あたしがページをめくるとえなちゃんもカラダを起こして覗き込んできた。
修学旅行の時の写真だろうか、どこかの神社の前で男女数人で楽しそうにはしゃいでる様子が写し出されていた。
あたしもこの中に混ざれていたなら同じように笑えていただろうか、なんてことを思った。
「そうそう! その時わたし迷子になっちゃってさー、大変だったー」
「大変だったのは俺らのほうだろ」
「ひゃ!?」
突然うしろから低い声が響いてきて心臓が飛び出しそうになる。
振り返ると野球部のユニフォーム姿のままの晶くんがえなちゃんに鋭い視線を向けていた。
「お前探すせいで自由時間全部なくなったんだし」
「そうそう。てか、思ったより早かったじゃん」
「母さんの車と時間合いそうだったから乗っけてもらったんだよ。お前来るって言うから、これでも急いだんだからな」
「まだ新刊全然読み進んでないのにー」
「そんなの知らんっての」
勝手に上がり込んでいたのを咎めないあたり、二人は本当に昔からここで遊んだりしていたのだとわかって、少し嫉妬した。
「久しぶりねー、えなちゃん」
今度は晶くんのお母さんと思われる人がお菓子とジュースをお盆に乗せてやってきた。
「アキママっ!小学校の卒業式以来かな?」
「大きくなったわねー」
「ちょっとどこ見て言ってるー?」
「やーねー。全部よ、ぜ・ん・ぶ」
「……一応俺もいるんだけど」
どこかいたたまれないのはあたしも同じ気持ちだった。
えなちゃんの影で小さくなって、楽しそうに会話する様子を盗み見る。
晶くんが生まれたのが納得の美人な母親だった。
「あら、可愛い子。お名前は?」
「あ、そ、その……」
「すずちゃんだよ。わたしの親友」
「そう。すずちゃんも同じクラスなの? 晶、ガサツな子だけど、仲良くしてあげてね」
「え、いえ……はい……」
気づかれていないだろうか。
そんなあたしの心配もよそにお母様はあたしに優しい笑みを向けてから、ごゆっくりと言い残して部屋を後にした。
「俺もすずちゃんって呼んで大丈夫?」
「え、う、うん」
「俺は晶でいいからさ」
「わかった……晶、くん」
初めて話をしてみて、晶くんはえなちゃんの言う通り優しくて良い人だった。
その日以来、あたしがクラスメイトから嫌われているのを知っているはずなのに、たまに教室でも話しかけてくれるようになった。
そのたびに、あたしは晶くんへの友情ではない気持ちを募らせてしまうのだった。

文化祭であたしたちのクラスは喫茶店をやることになった。
「鈴木さんはもちろんフリフリの服で接客だよね?」
「そんなん男の娘喫茶になんじゃん! 人集まり過ぎて大変なことになったりしてー」
クラス会議で勝手に盛り上がられる。
ウエイトレスの格好をしてみたい気持ちはもちろんあったが、なんだか面白がられている気がして素直に喜べなかった。
「すずちゃん、いいの? 決まっちゃったけど」
「う、うん。可愛い服着たいのは本当だし……」
けれど、着替える必要が出てくると必然的に男子更衣室を使わなければいけなくなるわけで。
更衣室に男子がいなくなるまで待ってから入ると、そこにあたしの制服はすでに無かった。
心当たりがある場所に行ってみると、案の定、
男子トイレの小便器の中に捨てられてあった。
一年生の頃、同じようにこの場所に隠されたことがあったから。
「さすがにこれはひどいって」
三人で文化祭を回ろうと待ってくれていた晶くんがあたしを心配して男子トイレまで探しに来てくれた。
彼は普段あたしが男子トイレを使っていないことは知らないのだ。
「晶くん……大丈夫だから、これくらい」
一年生の頃、仕草がオカマっぽいからという理由でズボンを無理矢理脱がされたこともある。
その時よりはマシだった。
幸い、何かをかけられているような様子もなかった。
これもそういう標的になりやすいあたしの責任だ。
それを覚悟のうえで、あたしはあたしらしくいようと決めたのだ。
えなちゃんから勇気をもらったから。
「先生に言ったほうがいいんじゃない?」
「それは、その……先生はあまり、頼りたくなくて」
「どうして?」
「先生にも言われたことあるの」
「言われたって、なにを?」
「あたしが女子の制服きてるのは、自己中心的だって」
晶くんのこぶしが固く握られて、震える。
あたしの代わりに怒ってくれている気がして、嬉しくなってしまう。
「なんだよそれ。どの先生だよ」
「いいの。ある意味その通りだって、あたしも思うから」
学校は規範を教えるところだ。
たった一人のワガママより多数の秩序を維持しようとするのは、先生としてはきっと正しい指導なのだ。
けれど、彼の前ではつい弱いところをさらしてしまった。
えなちゃんにさえ、話したこともないことを話してしまった。
可哀想と思われれば、もっと見ててくれる気がしたから。

その日の帰りはえなちゃんは用事があるからという理由で晶くんと二人きりで帰ることになった。
あたしのことを心配してくれているのが、隣を歩いているだけで伝わってきた。
「強いな、すずちゃんって」
沈黙が心地よかった夕暮れの帰り道。
晶くんが前を向いたまま突然そんなことを言った。
「え……そ、それって、どういう」
「うーん……まあ、つまり可愛いってこと」
見上げると、彼の頬が赤く染まっている気がした。
夕陽のせいかもしれなかった。
期待してはいけないような気がしたから。
「あ、あたしなんて……」
「ううん。ずっと思ってた。なんか、誰とも違う感じだなって」
それは友だちとしてだろうか。
それとも、それ以外としてだろうか。
まるで男の子と女の子みたいな二人分の影を、少しだけ手を伸ばして、こっそり繋げる。
あたしは誰にもバレないようにそのシルエットをそっと胸の奥にしまった。

「えなちゃんは晶くんといつから友だちなの?」
「うーんと、幼稚園のころからかな? ……いや、ママ同士が仲良かったから、もしかしたらもっと前か」
「その頃からずっと今みたいな関係なの?」
「え? うん。そだね」
二人ともお互いに性的には見ておらず、まるでえなちゃんとあたしの関係がそのまま昔から続いているような印象を受けた。
これは、えなちゃんが持つ人柄故なのだと思った。
こんなあたしとも仲良くなってくれたように。
だから、あたしもできれば、二人の友好関係に混ざれればいいのにと思った。
えなちゃんが望むように。
けれど、それはもう叶わないことをあたしは悟っていた。
なぜならあたしは、すでに晶くんのことを性的な対象として捉えていたから。
アタマとココロとカラダが、彼と今のままの関係を続けていれば張り裂けてしまいそうだったから。


・第2話(終わり)URL
https://note.com/preview/n98639210b9da?prev_access_key=f2f325a8c9ccbf3b038a8b2afb2e0196

#創作大賞2024 #恋愛小説部門  


いいなと思ったら応援しよう!