縁あって、猫たちと生きていく ー命を預かるまで7年の物語ー
「生き物を飼うということは、その子の命を預かること。
かわいいだけでは決められない。ママにはまだその覚悟はない。」
ペットショップのガラス越しの仔犬を欲しがる娘に、そう言ったことがある。きっと娘は思っただろう。「いや、高いからだよね」と。
仕方がない。「お金がない」と子どもに言うことはあっても、「命」や「覚悟」なんて崇高な言葉、使うことがほぼない母親だったから。
本当のことを言うとね、ママはいつか来る別れが怖かっただけなんだよ…。
15畳ほどのLDK。今日もいい天気だ。
今窓際には猫3匹と、中を覗いている外猫1匹…そして夫がいる。悟ったようなことを子どもに言ったのは10年前のこと。
この10年で気分が変わったのか?猫のかわいさに勝てなかったのか?
そうだけどそれだけではない。もちろんタダだったからでもない。
「病める時も健やかなる時も、家族として愛することを誓いますか」
「はい誓います」
飼い主とペットの間にある誓い。私は長年その場に立つ勇気すらなかった。
でも誓ったから今がある。
縁があったからこそ、迎えることができた命だと思っている。
この話は7年越しの我が家と母子猫たちとの縁の物語。
そして私の覚悟の物語。
庭にやってくる若い母ねこ
この話の始まりはかれこれ7年前にあった。
一匹のまだ若い猫が義母の家の物置で子どもを産んだ。
同じ敷地に、義母の住む夫の実家と私たち家族の家があった。庭は共通でいわゆる敷地内同居というやつだ。
義母は情に流されやすい性格で、野良猫が家の中を覗くと餌をあげてしまう。
「子どもを産んだらお乳をあげるでしょ。だからママはお腹がすくねん。」
そう言って1日2回。彼女が飼っていた猫と同じ時間に、その野良猫にもごはんをあげる。
たしかに私が出産した時もそうだったな。
「ママはしっかり食べて元気でなきゃ」とたくさんの料理を持ってきてくれた。義母からすれば人間も動物も同じ。命という視点で、母親という物差しで、この母子猫のことも見ていたのだろう。
一方で私はもっとドライな人間だった。
いっときの情で餌をあげることが、かえって彼らを甘やかし苦しませる結果にならないだろうか。そんなモヤモヤが頭の片隅にあった。
結局、姑のやることに「嫁の私」は見て見ぬふりが精一杯の抵抗だった。
いいとも悪いとも言わず、ただ話を聞くことに決めた。
せめて避妊手術さえできないかと思ったが、子どもを産んだばかりの若い母猫は警戒心が強く、強くこちらを睨みつけ近寄らせてはくれない。
そりゃあそうだ。私だって子どもを守る為ならば、指名手配されても簡単には捕まらない。
母猫は、義母の情にあずかりながら仔猫たちに乳をやり、乳離れし始める頃に子どもたちを敷地の外に連れ出した。
気がつくと子どもたちは一匹、また一匹と帰ってこなくなる。それが独り立ちだ。
義母は「カラスに食べられたか」と心配したけれど、私はわからない想像はしたくない。
だから一貫して「仔猫たちは冒険に出た」と信じている。
思えばねこの子育てなんて本当に2ヶ月ほど。
手が離れるのが早いのは羨ましいけれど、お互い親子の記憶もなくなるなんて考えただけでも辛い。
いや、それは人間の感覚であって、猫にはその方が幸せだからそういうシステムになっているんだろう。

きっと今も元気で暮らしているに違いない
親から独立しない大きくなった子猫
母猫は勝手にここを実家と認定した。
お腹が大きくなると物置に帰ってきて里帰り出産をし、時期が来るといなくなる。ここが安全な場所だと知っている。猫って本当に賢い生き物だと思う。
すっかり顔なじみになった母猫を義母は「はなちゃん」と呼んだ。
驚いたことに、かつて庭で産んだ猫を連れてきた時があった。
三毛猫から生まれた白猫だったので、その子は私たちにも記憶があった。
かつて仔猫だった大猫は大人しくママから離れない。猫は単独行動を好むと聞いていたけれど、例外もあるようだ。
きっと骨格的に男の子だろうと、義母はその子を「じろうちゃん」と名付けた。
義母が猫の命名にこだわりがなかったのは、この二匹の名前からお察しいただけると思う。
じろうちゃんは新たに産まれた弟妹の世話をする。私はそんな一家団らんの姿を、隣の家の窓から眺めた。
また野良猫に餌をあげてる…と不機嫌だった頃より、私の心は少し柔らかくなっていた。
飼う気持ちにはなれないが、見ている分にはいつまでも見ていられる。家族の幸せそうな姿がそこにあったからかもしれない。
だからこそ避妊手術さえ済めば、うちの庭にずっと住み着いてくれるんじゃないかと思った。
しかし、はなちゃんはサバイバルしながら生きてきた。察知能力に長けていたのかもしれない。
馴染みのない私が近寄った数日後、独りで姿を消した。
じろうちゃんと仔猫一匹を残して突然帰ってこなくなった。
私の手際が悪かったせいで、子どもが母に捨てられた。
子の元から親が去る。いたたまれない。
猫の世界では当たり前の事かもしれないけれど、私には家族を壊してしまった罪悪感だけが残った。
じろうちゃんに託されたその仔猫は、面白い模様をしていた。
黒い模様が七三分けに見えたから「女の子ならサラちゃん、男の子ならリーマンにしよう」と、娘と私が勝手に名付けた。
義母は命名にこだわりがない。私たち親子はセンスがない。世の猫好きさんたちに土下座案件である。
リーマンは木登りが好きで小さい体でよく木に登っていた。
体が重くておっとりしたじろうちゃんは、下で見守るだけ。本当に母性あふれる子で良かった。
母親はいなくなったけど、二匹は敷地の中でのんびり幸せそうに暮らしていた。

愛嬌のある顔をしていた
あらためて見ると七三よりセンター寄り
リーマン義母の家の子になる
ある冬の日の夜。
義母がうちの勝手口のドアを叩いた。
段ボールを持った義母。
「じろうちゃんが…そこで交通事故にあったみたい」
近所の人が「◯◯さんが餌をあげていたねこちゃん違うか?」と抱っこして連れてきてくれたと。
その時にはもう息がなかったらしい。
私たちは段ボールにブランケットと庭で摘んだ花を入れ、じろうちゃんの突然の死を悲しんだ。リーマンの姿は見えない。
飼い猫ではないので、翌日市に回収に来てもらった。
ゴミのようにトラックの荷台に放り込もうとする回収業者に
「野良猫でも命あったんだから最期まで大切に扱って!」と義母は叫んだと、あとから聞かされた。
生まれてはじめて一人ぼっちになったリーマン。生まれて半年近くになっていた。
次の日のいつもの時間、義母の家の縁側にご飯を食べに来た。
じろうちゃんをずっと呼んでいる。今まで二匹一緒にご飯を食べていたからだろう。
少し待ち、お腹が空いたら仕方なくひとりで食べる。一週間ほど待ち続けたのち、出されるとすぐに食べるようになったらしい。
もう12月だった。週末は寒波が来る。義母は言った。
「リーマンちゃん家に入れてうちの子にしてもいい?
たぶんこの子のほうが私より長生きになるけれど、あとをお願いできるならば…」
ここまで書き記した状況を見てきた私に、NOという選択肢はなかった。
だけどNOと言うつもりもなかった。
母の中だけでなく、私の心の中でもリーマンはもう守ってあげたい家族になっていた。
すぐではない。けれどこの子といつか一緒に暮らすことに迷いはなかった。
義母はリーマンを迎えた。
お風呂に入ると外には出さない。お風呂は義母流の「うちの子になる儀式」である。
義母はその数ヶ月前に先住猫を見送ったので、新たな生きがいを見つけることができてよかった、主人とそう話していた。
とはいえ、猫育てには慣れていても歳は70代後半だ。
生後半年のやんちゃ盛りの男の子を相手するのは、さすがに大変そうだった。
夜な夜ないたずらを繰り返し、部屋の端から端まで駆け回り、カーペットは歪んで、台拭きは引きちぎられ、うっかり捨て忘れた生ゴミを容赦なく散らかす。義母をヒステリックに怒らせる日々が続いた。
窓を閉めていても「リーちゃん!!」と激しくお説教している声が聞こえる。
義母の家に顔を出して、リーマンを抱き上げて私は笑う。
「リーちゃん昨日もあーちゃんに怒られてたね。なにしたの?」
義母はここぞとばかりに、こんなことがあったあんなこともされたと私に愚痴を吐く。リーマンは私を見て目を細める。そして私の手元から降り、義母の足に擦り寄る。
「もぉ!あっぽちゃんはだれですか!」と言いながら義母がリーマンを抱っこする。するとリーマンはまた目を細める。
ふたりのやりとりはまるでコントのようだったが、なんともその姿は可愛いものだった。

私が買ってあげたこたつは彼のお気に入りの場所となった
うちのこを迎える決断
一人暮らしの老女と暮らすリーマンは、昼間は日向ぼっこ、夜はストーブの前に陣取り、すっかり隠居生活に入っていた。
かつてのように走り回るだけの瞬発力はもうない。
「ごほうびあげようね」
ごほうびをもらえることは何一つしていないはずだが、義母がすぐおやつをあげるおかげで、お腹は引きずるほどになっていた。
2歳のリーマン。人間に例えるならば24歳。まだメタボになるには早いはずなのに。

先生にダイエットするように
宣告されたリーマン
そして偶然にも息子の誕生日。夏の暑い日。
はなちゃんに4匹の赤ちゃんが生まれた(1匹はすぐにいなくなった)。
今度こそラストチャンス。義母と相談し、翌月に避妊手術のための捕獲を試みることにした。
仔猫と引き離す必要があるため、仔猫がフードを食べられる程度まで成長を待ち、決行の日は近づいた。
ここで、大きな問題が立ちはだかる。仔猫たちの将来だ。
手術のショックで、子どもを置いて逃げるかもしれない。
外の世界を知らない子どもたちが置き去りになるのは危険だということは、猫の子育てを見てきてなんとなくわかっていた。
義母はもう高齢。リーマンのように家の中で飼うことはできない。
「生き物なんて飼えない」そう思っていた私の心はこの数年で「迎えてもいいかな」と迷える段階まできていた。
今まで出会った猫たちの可愛さもある。けれど義母が猫に奮闘する毎日が、大変ながらもお互いの人生(猫生)を照らしているのを見てきたからだと思う。

カワイイからつい写真を撮ってしまうが
それでも私にはまだ飼う決心はできていなかった
あとは私の決断次第…OKの雰囲気だけ匂わせ、夫は何も言わない。
息子は猫アレルギーで喘息持ちだった。息子の体は私が守るべき最後の砦であり、それがネックだということに夫は気付いていたからだろう。
渋る母親に息子は言った。
「飼っていいよ。俺が飼いたいんだ。猫アレルギーはコントロールできる。」
この言葉で、私は自分の時が止まっていたことに気づく。
息子は20歳。もう大人になっていたということだ。
異変があれば自分で病院にも行ける。
皮肉なことにコロナのせいでマスクにも抵抗がない。
アレルギー物質をあまり出さない猫の餌もあるらしい。
最悪、体調が悪化して一緒に住めないほどになれば、息子の大学の近所で下宿させるという手もある。
なんとかなる!
私は決心した。
幸いにも相談をしていた友人が、仔猫に興味を持ってくれた。
先住猫が男子なので男子がいいと一匹を迎えてくれることになり、トントン拍子で我が家におしゃまな女子二匹を迎え入れることになった。
かつて娘に言っていた「命を預かる覚悟」。
それは長い年月をかけた縁とみんなの後押しにより私の中に宿った。
いきなり多頭飼い。予想外ではあったけれど。

マスクなんて3日でやめたが
対症療法しながら仲良くできている

三毛猫がいろは
命名センスは向上したかもしれない
夫婦二人。ねこ3匹+1匹暮らしになりました
2026年新緑の頃。
リーマンは5歳。うちが迎えた女子二匹、いろはとちとせは2歳半になり、今日もご飯の時間はまだかと叫んでいる。
リーマンは半年前にセラピー猫としての役目を終え、我が家に引っ越してきた。
我が家の方針でおやつはないので、タプタプだったおなかとパンパンだった顔は少しスッキリしたように思う。
さくら耳カットがすっかり馴染んだはなちゃんも、「はなちゃま〜ごはんよぉ」と呼ぶとどこかから急いで歩いてくる。
もう体を削って子どもを産むことも、姿を消すこともなくなった。彼女の耳に咲いた桜は、一人ぼっちじゃない証だ。

さくら猫になってから顔つきも穏やかになった
そして子どもが巣立ち、私は夫と二人暮らしになった。
家の中に人間より猫のほうが多いなんて、思いもよらなかった話。
トイレだって人間と同じ2つ。寝床なんて私たちよりあちらこちらに配置されている。
数年前とは全く違う生活に驚いているのは私自身だった。

ときどきねこたちの別荘となる
そういえば生前義母は、案じてよく私に言っていた。
「子どもや私が居なくなったとき、◯◯(私の夫)のことを見離さないであげてね」と。
見離すどころか、夫は今や共に猫のお世話をしてくれる同志になった。報連相はかかせない。私たちは手分けしながら、朝昼晩、猫様にせっせと奉仕する。
今は、いろはとちとせが先にうちにやってきたのには意味があったのだと感じている。
リーマンを引き取ったときその扱いに私が戸惑わないように。リーマンが慣れない家で寂しくないように。
まるで最初から順番が決まっていたみたい。
「縁」ってちゃんと繋がるんだなと思う。
大切な息子とねこたち。義母はみんな私に託していった。
「よろしくねー」そんな声が聞こえてくる。ちゃっかりした人だ。まぁそれが彼女の魅力でもあったなと、私はちょっと可笑しくなった。
50代。更年期だのミッドライフ・クライシスだのSNSは毎日大盛り上がり。みんな人生を振り返り、これからの未来を考えている。
私はこれからの人生、ねこたちと生きていくことになる。
いたずらされてもツンデレされても毛をいっぱい付けられても…。
それでも、私は幸せだ。
みんなの猫生。私がしっかり預かった。
私の有意義な人生。あなたたちに預けた。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました
あなたのご縁も教えてくださいね🐱🐾
