元薬剤師、前世は魔女でした
実家の写真アルバムには、つい手に取ってしまう不思議な引力がある。ページをめくると、そこには「月に代わって、おしおきよ!」と、セーラームーンの決めポーズをする少女が写っている。動物園でも、上高地の緑豊かな大自然を背にしても、彼女には関係ない。
5歳からバレエを習い始めて、家のリビングでは、テレビを見る家族をお構いなしに踊っていた。夜空が広い田舎道は即席のステージとなり、月明かりの下で、覚えたばかりのステップを練習していた記憶は今でも残っている。「大きくなったら、歌って踊れるバレリーナになる!」と無邪気に信じていた。
あれから随分と時間が流れた今、カフェの片隅で本を読み、文章を綴る内向的な休日のなかに、あの頃の面影はほとんどない。それでも、夜の窓ガラスを鏡に見立てて、ふと我を忘れて踊ってしまうときは、ダンサーとしての性分が顔を出す。
MBTI診断をすれば、きっと当時と今では真逆の4文字だろう。アルバムの中の自分はまぶしくて、少しだけ羨ましくなる。
まさか将来、白衣を着て仕事をすることも、前世は魔女だと言われることも、当時の私は微塵も思っていなかった。
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10代の頃は、バレエと学業の二足わらじの生活だった。放課後、部活へ向かう友人たちの背中を横目に、バレエ教室へ向かった。夜遅い練習のあと、母の迎えの車の中でお団子ヘアをほどき、血豆ができた足の指に手当をする。夕飯を食べながら英語のリスニングを流す。そんな日々だった。
ステージで舞うプリマの背中は神々しく、目が離せなくなる。その場所に立ちたい一心で、漫画も遊びも断ち、勉強以外の時間はすべてバレエに捧げていた。
しかし、そんな努力とは裏腹に、コンクールに出場してもほとんどが予選落ち。悔しい結果とは対照的に、学校の成績表の方が周囲を喜ばせた。両親の喜ぶ顔、バレリーナの平均年収、プリマになれる確率。冷たい現実と数字が、心に住む少女の瞳の輝きを少しずつ奪っていった。
バレエ以外の進路など考えたこともなかったけれど、資格があれば食いっぱぐれないだろうという打算で、薬剤師を目指すことにした。
大学で出会った仲間たちの志は、あまりに純粋だった。自身の闘病経験や、身内の死が出発点となっている彼らに比べて、自分の欲得ずくの動機がひどく恥ずかしかった。
それでも、これから進む先で、私だけの立派な動機が見つかるかもしれない。いや、見つかってもらわないと困るのだ。後ろめたさをかかえながらも、だれかの助けになれるようにと心を決めて、医療の世界へ足を踏み入れた。
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医療現場は日々めまぐるしかった。白衣を羽織り、いざ仕事が始まれば、夢を諦めた虚しさをなだめている暇もないまま、一日が終わった。
専門書とにらめっこで学べることは限られている。現場で出会う患者さんからは、多くのことを教わった。そのなかでも、ある二人の患者さんのことが、今でも忘れられない。
睡眠薬と向精神薬を服用している田中さん。通い始めた当初の処方は3種類ほどだった。薬による副作用を抑えるために新たな薬を重ね、気づけば10種類まで膨れ上がっていた。
糖尿病と高脂血症の佐藤さん。買い物袋にはいつも、菓子パンやシュークリームがたんまり入っていた。「これ、先生にはヒミツね」といたずらな笑顔を向ける彼女を前に、私は何も言えずに、お菓子と薬の山を眺めていた。
田中さんの薬が一種類増えるたびに、健康からまた一歩遠ざかるような気がした。甘いものをやめられない佐藤さんの気持ちはわかる。でもそれが体によくないことは、きっと本人が一番よく知っていて、そんな彼女の葛藤を、私もまた、痛いほどわかっていた。
けれど、なにかが、おかしい。
目の前の人たちは、本当に健やかになっているのだろうか。自分が信じる正しさの所在が、不意に見えなくなるときがあった。
症状という火を、薬という水で抑えたとしても、日々の習慣やストレスが油となって注がれ続ける限り、火はずっと鎮まらないのではないだろうか。
対症療法の限界に直面し、真の健康とは何かを追いかけたい気持ちが暴走しかけていた。この衝動に突き動かされるようにして、私は東洋医学の扉を叩いた。
「病気になっても、人間まるごと元気ならいい」
帯津良一先生のこの言葉を読んだ瞬間、長い間のつかえが溶けるような感覚があった。病気=不幸ではなく、心や生きがいを含めた人間まるごとがエネルギーに満ちていれば、それは健康的な生き方なのだ。一人の人間をとりまくすべてを尊敬し、幸せでありますようにと祈る。そんな心構えを授けてくれた言葉だった。
田中さんや佐藤さんに出会ったあのとき、まだここにたどり着いていなかった。もっと早く勉強していれば、違う言葉をかけられたかもしれない。そんな反省と後悔が、今も胸をかすめるときがある。
身体のことを知れば知るほど、心の不健康がどうしても目につくようになっていた。現代社会では、人間まるごとの幸せを叶えている人は、驚くほど少ない。人生の目的は人それぞれなのに、世間に漂う正しそうなものさしに自分を当てはめて、「こうあるべき」「そうあらねば」と苦しんでいる人が、なんと多いことだろう。
自分も例外ではなかった。激務によるアトピーの再発、PMSの悪化。調剤室の椅子を蹴りながら怒鳴り散らす上司の声。人の健康を支える場所に身を置きながら、周りに迷惑をかけまいと、自分の心と身体は置き去りにしていた。
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しばらくして、呼吸がうまくできなくなって、涙の止め方がわからなくなり、私は医療の世界から去った。
資格という後ろ盾を失くした自分に、一体何が残るのだろう。お先真っ暗だった。
でも、ほんの少しの間だけでいいから、自分のためだけに時間を使いたい。そう思って、ずっと本棚のオブジェと化していた本を、一冊ずつ手に取った。
何十年、何百年前に生きた人たちの言葉は、乾ききった私の心を潤してくれた。アドラー心理学の「課題の分離」に人間関係の概念を覆され、ユダヤ教の「タルムード」に視座の転換を教わり、ブッダの「スッタニパータ」は感情の扱い方のバイブルになった。
ロジカルな世界にいながらも、目に見えない世界というものに昔から惹かれていた。薬剤師をやめたちょうどその頃、偶然出会った霊能者からカードリーディングを教わり、私は占い師になった。「前世は魔女だね」と言われたときの不思議な高揚感は、今でも鮮明に覚えている。全身の細胞が頷くような、妙な納得感があった。なんの根拠もないのに、背中を押された気分だった。
古代ケルトの時代、魔女たちは、薬草を使って病を治し、人々の悩みに耳を傾け、星の動きから未来を読んでいたという。何世代にも渡って受け継がれる知恵、自らの創意工夫で真理を解き明かそうとした姿勢。そんな彼女たちの慈愛と情熱にあふれる歴史を知って、ああ、これがやりたかったんだ、と腑に落ちた。
薬剤師と占い師。一見、矛盾して見える二つの肩書きは、手探りで歩んできた道と重なり、「人を癒す存在」として一本の線でつながった。
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オンラインで多くの方を鑑定させていただき、サイトのトップランカーに選ばれた時期もあった。給料は雀の涙ほどだったけれど、堅いキャリアを手放したばかりの私にとって、目の前の人の助けになることは、自分自身が救われることでもあった。
だれのなかにも、弱さはある。恋をしたとき、自分を見失ったとき。行き場のない気持ちを受け入れるための道具として占いを使う。悩みの渦中にいる人と共に一筋の光を見つけ、その肩の力がふっとゆるむ瞬間を見届けることは、私の喜びでもあった。
SNSでの発信も活動の場となった。地に足をつけた現実世界と目に見えない世界、その垣根を超えて、過去の経験から得た学びや日常の気づきを綴っている。
心身に限界がきて仕事をやめたとき。どれだけ学んでも、人の助けになれているのか自信が持てなかったとき。ふとだれかの顔が浮かんだり、だれかの言葉が脳内で再生されたりして、後悔が押し寄せるまま、眠りにつく日もあった。
自分を犠牲にしないと、人は救えないのだろうか。そんな葛藤がずっとあった。
発信を続けるうちに、「気持ちをわかってくれてありがとう」「背中を押されました」「勇気をいただきました」という声が届くようになった。届く言葉の数々に、かつて同じ孤独のなかにいた自分自身の姿が重なった。あのとき、だれかにかけてほしかった言葉を、ただただ、正直に書いた。
自分の傷が、めぐりめぐって、だれかの救いになる。
そうわかったとき、遠回りだらけで一人でもがいていた過去のすべてが、意味を持ったような気がした。書きたいことを書いて、喜んでくれる人がいる。やっと、呼吸ができるような感覚だった。
だれ一人として、輝けない人なんていない。ただ、自分の光に気づいていない人、忘れてしまった人がいるだけだった。だれもが安心してその光を放てる世界が、きっとある。その確信こそが、私が勇気を持ち続けられる理由になっている。
バレリーナを夢見て、薬剤師になり、魔女が羅針盤となった私の半生。
夢にやぶれ、自分を見失い、また前を向けるようになった。人生のほとんどが、理想の途中なのかもしれない。そのやるせなさを抱えながらも、”わたし”を生きていると、確かに感じられる瞬間を積み重ねていくしかない。でもきっと、それで十分なのだと、今は思える。
情熱を持ちながら、それでいて軽やかに。セーラームーンの決めポーズをしていたあの少女は、文章を書いたり、夜の窓ガラスの前で謎の舞いをしたりして、今日も”わたし”のままで在り続けている。
