【しばまぁ】 Vo.40 初めはほんの軽い気持ちだったまぁちゃんと、缶ビールが飲みづらくなったたっくん
自殺かと思われた女性の死が、実は他殺だった。
そしてたった今、その犯人が暴かれようとしている。
缶ビールを握る力が強くなった。
一体犯人は…
「これ絶対犯人あのおばちゃんだよ」
まぁちゃんが僕のツマミである柿の種をボリボリかじりながら言った。
「良いところなんだから邪魔しないでよ」
僕は柿の種をまぁちゃんの手の届かないところへそっと動かした。
「絶対おばちゃんだよ。横領でもしてそれがバレそうになったから殺したんだよ」
まぁちゃんが僕を押しのけて柿ピーに手を伸ばす。
『犯人はあなたですね』
犯人が暴かれた。
僕が押しのけられてローテーブルの下にうずくまっている間に。
「ほらやっぱり」
まぁちゃんの声で、犯人はやっぱりあのおばちゃんだったのだと判明した。
まぁ、僕もそうだとは薄々勘づいていたけれど。
『最初はちょっと借りるだけのつもりだった。すぐに返せばいいと思った。だけどいつの間にかとても返しきれない額になってしまって』
おばちゃんが嗚咽を漏らしながら言った。
『あの人に横領を公にするって言われて、頭が真っ白になって…気づいたらそこから突き落としてた。殺す気は…殺す気はなかったんです!!』
まぁちゃんを押しのけ、僕はようやく体を起こした。
そして愕然となった。
「あぁぁ!!柿ピーが!!」
空になった皿を手に取り、僕は叫んだ。
「そこそこ美味しかったよ」
「今日のつまみは柿ピーだけだったのに!!」
僕が文句を言うと、まぁちゃんは「ふんっ!」と、鼻を鳴らした。
僕はしばらく皿を見つめてから、まぁちゃんに言った。
「でも珍しいね?お菓子なんて普段食べないでしょ?」
一般的に見たらストイックだ。
体調や目的に合わせて食事をとる。
「美味しさよりも栄養が欲しい」
というまぁちゃんの主張通り、明らかに健康そうな食生活を送るまぁちゃんがお菓子をボリボリかじるのは珍しい。
もっとも、離れ離れになる前、子供の頃はよく一緒にお菓子を食べたものだけど。
「ギクリ」
まぁちゃんの動きが止まった。
そして正座に座り直して、コホンとひとつ咳払いをした。
「初めは、ほんの軽い気持ちでした」
唐突な罪の独白に、僕も身を正した。
「バレーボールの帰りに、みんながコンビニに寄るから付き合いでお菓子を食べました。〝これくらいいっか〟という軽い気持ちでした」
なんの話だ?と思いながらも、神妙に頷く。
「それでね、ちょっと前からストレス多めなんだよ。思うようにいかないことが多くて…」
僕は顔を上げた。
寝耳に水だったのだ。
「ついついお菓子に手が伸びるの。食べたいわけじゃないんだけど、無性に。衝動的に。食べちゃうんだよぉおおぉおぉぉぉ」
まぁちゃんはそのまま突っ伏した。
えんえん声を上げて泣いている。
なんてことだ!!
僕はそんなまぁちゃんの苦境に全く気がついていなかった。
こんなに一緒にいるのに。
大きく震えるまぁちゃんの背中に手を伸ばした。
すっかり弱々しくなった背中に手が届きかけたそのとき、「そう!それが代償欲求!」
「うぉお!!!」
光の速さで体を起こしたまぁちゃんの頭が僕の顎を直撃し、僕の脳が大地震を起こしたように震えた。
『殺す気はなかったんです』と言ったテレビの中のおばちゃんの声がこだまする。
入れ替わりで床に突っ伏した僕に構うことなく、まぁちゃんは人さし指を立てて満面の笑みを携えていた。
「マズローっていう偉い心理学者さんが提唱した人間の欲求は5段階の層状になってて、上位に行くほど手に入りにくいよ!っていうマズローの5段階欲求説っていうのがあるんだけどね!」
脳が痺れている僕は中々再起できない。
まぁちゃんはおもむろに立ち上がり、紙とペンを取り出したかと思うと、何かを一生懸命書き始めた。

「ほら!これだよ!マズローの5段階欲求説」
顎を押さえながら悶える僕の顔を無理やり掴んで、紙を僕の目の前に差し出した。
「下層の欲求が満たされないと上位の欲求は起こらないよ!っていうことをマズローは言ってるんだけどね、私はそればかりじゃない気がしてるの!」
涙目の僕はウンウンと、頷く。
「上位の欲求に喘いでるってことは下位はある程度簡単に手に入る状態ってことでしょ?だけど上位になればなるほど手に入れるのは難しい。それにね、所属と愛情より上位の欲求は心理的欲求なの。測れないの。だから満たされているかどうかがわかりにくいんだよ」
ようやく頭がハッキリしてきた僕は顎の状態を確認した。ちょっとガクガクしているように思えてならない。
「上位の欲求が満た無いフラストレーションを、下位の欲求を満たすことで解消しようとしちゃうんだよ。だけどそれは本物の欲求じゃないから、満たしたところで満たされない。無限ループ。それを私は代償欲求と呼んでいるのだ!!」
人さし指を突き出し、腰に手を当てたまぁちゃんは明後日の方向に向かって叫んだ。
もはや誰に何を主張しているのか。
「そしてこの柿ピーは…」
空になった皿をそっと手に取った。
「私にとっての代償欲求なの。ダメだダメだとわかっていながら、止められない。そう。これが噂の DO·RO·NU·MA ☆」
ふぅ、と色っぽい風の吐息を漏らしたまぁちゃんは、手に取った皿を再びローテーブルに戻した。
「食が乱れてもうかれこれ3か月。この難局を乗り切るために、ちょっとだけ代償欲求の力を借りようと思ったのよ。だけどビックリするほどDO·RO·NU·MA ☆ 流れが悪くなるばかり」
僕はようやく体を起こした。
顎は大丈夫なようだ。
「流れが悪いって?」
「なんかね、頭が働かないの。面白いくらいに建設的な思考も行動もなにも出来ない。〝どうしよう〟だけがぐるぐる回って、それ以上なにも考えられない。考えられないからアクションも出来ない」
テレビの中でおばちゃんが叫ぶ声が聞こえた。
『仕方なかったのよ!!良くない状況だと分かってはいたけど、抜け出せなかった』
『その結果が殺人ですか』
おばちゃんの必死の訴えに、刑事が冷静に答えた。
まぁちゃんが演説を中断した。
『どうしようもなかったの』
『あなたにほんの少しだけやめる勇気があれば。混乱を受け入れる勇気があれば、そう思えて仕方ありません』
おばちゃんは泣き崩れた。
刑事はおばちゃんに背を向け、後ろ手を組んだ。
「代償欲求も結局一緒なんだよね。ちょっとずつ絞殺していくんだよ。真綿で。他でもない自分自身を」
ドラマのエンディングロールが流れた。
切なげな刑事の顔がアップ画面で映される。
僕は残り少なくなった缶ビールに一度手を伸ばして、そして引っ込めた。
