短編小説「いってきます」
さよなら。
ペットのハムスターが昨日、息を引きとった。
こんな時がいつか来てしまうのは分かっていた。
でも、いざその時を迎えると、簡単には現実を受け入れられない。
昨晩は一睡もできなかった。
少しでもあの子のことを思い出すと、涙が止まらない。
小さな体を撫でた感触。
餌を忙しそうに頬張る姿。
私の手の上で眠そうに横たわる形。
どれも愛おしくて、忘れられない。
3年間、あの子は長生きしてくれた。
私は小学生低学年の頃から、両親にしつこく頼み込んでいた。
「ハムスターを飼いたい!」
『毎日いい子に頑張ってたらね』
そんな両親の言葉のもと、学校も家の手伝いも頑張った。
そしてついに、小学校卒業のお祝いとして両親がプレゼントしてくれたのだ。
それはもう、我が子のように毎日可愛がった。
餌やりも、お部屋の掃除も、お世話は全部自分でやっていた。
だからこそ、最期の瞬間まで一緒にいられたことに感謝している。
そして丸3年が経過した今日、私の中学校の卒業式がある。
こんな時に、こんな気持ちのまま、でも、行かなければならない。
鏡に映る自分の顔は、泣き腫らしている。
慣れているはずなのに、制服を着る手がおぼつかない。
玄関に向かう途中、リビングにあるハムスターの部屋を覗いた。
「いってきます」
これが外出のルーティンだった。
いつもはわざわざ寝床から出てきてくれて、ケージの網目をカリカリと音を立てながら、こちらに来ようとしていた。
でも、もうケージは空っぽで、あの子はいない。
だめだ…これから行くっていうのに…。
必死に抗っているはずが、涙が頬を流れていく。
私は逃げるように家を出た。
でも思うように足が前に進んでいかない。
私は俯いて歩いていた。
『おはよー!』
背後から駆け寄ってくる足音と声。
「おはよう」
そのまま前に回り込んで、抱き着いてきたのは小学校からの親友だ。
『もう卒業なんて早いよねー』
「うん…」
『あれ、なんか元気ない? それもそうか、みんなとお別れだもんねー』
お別れ…。今の私にその言葉は痛く刺さる。
『でもさ、私はずっと、友達だよ。それに、感謝もしきれないほどしてる』
親友の言葉に危うく、涙を零しかけた。
昨日からの泣き癖で、今は涙腺が緩い。
『それに、高校では新しい出会いも待ってるんだよね』
普段飄々としている親友はらしくないことを言っていた。
『だから次こそ、いい男捕まえないとね!』
「何それー!」
なんだか、安心した。
『時間やっば、走って行こ!』
親友は先に走っていった。
「ちょっと待ってよー、」
私も親友の後を追って走り出した。
春の暖かい風が全身を優しく撫でていく。
私は笑いながら、天まで届くような声で叫んだ。
「今までありがとー!」
そして、さよなら。
