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守りではなく、前進を祈る

聖書箇所:使徒の働き4:23-37

小樽の今日は22℃、よく晴れている。実はこの記事、いつもの朝の時間に書くことができず、午後の配信になった。週ごとの記事をまとめ、五月ひと月分の歩みを整理しているうちに、気づけば朝の時間が過ぎていた。月末の日曜は、こういうことが起こりそうである。けれど私はいたって元気なので、どうかご安心いただきたい。窓の外には五月末の柔らかな光が広がり、初夏に向かう小樽の空気が部屋へ流れ込んでくる。讃美を二曲歌い、心を静めてから、今日のみことばに向かった。


脅されて帰った二人、そして教会の最初の反応

最高法院で「イエスの名によって語ってはならない」と命じられて釈放されたペテロとヨハネは、すぐに仲間のところへ戻った。そして祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを、残らず報告した(使徒4:23)。脅され、釘を刺されての帰還である。私だったら、まず「これからどうしよう」と不安を口にしたかもしれない。

ところが、報告を聞いた人々の反応は違った。「これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた」(使徒4:24)。彼らは敵への対策を練ったのでも、互いの恐れを語り合ったのでもない。まっすぐに神へと声をあげた。しかも一人ではなく、心を一つにして。

何を、どう祈ったのか

その祈りは、まず神ご自身に目を向けることから始まる。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です」(使徒4:24)。すべてを造られた全能の神――その方を見上げることから、彼らの祈りは始まった。

そして彼らは、詩篇のことばを引きながら、今起きていることが偶然ではないと告白する。「あなたは聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ、異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの国民はむなしいことを企むのか』」(使徒4:25)。ヘロデもピラトも、異邦人もイスラエルも、イエスに逆らって集まった。けれどそれは「あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていたことすべて」(使徒4:28)の中にあった――そう彼らは見抜いていた。迫害さえも、神の御手の中にある。

私が立ち止まったのは、ここから先の願いの中身である。

「主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください」(使徒4:29)。

迫害をやめさせてください、ではない。圧迫から守ってください、でもない。彼らが求めたのは、「大胆に語らせてください」――つまり宣教を、より前へ進める力だった。さらに「あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください」(使徒4:30)とまで願う。禁じられたまさにその名を、なお高く掲げようとしたのである。

祈りに応えられた神

「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した」(使徒4:31)。

神は、その祈りに応えられた。守りを願わなかった彼らに、神は前へ進む力を注がれた。圧迫を取り除くのではなく、圧迫の中でなお語る力を与えられたのである。

自発的に分かち合う交わり

聖霊に満たされた群れには、もう一つの実が結ばれた。「信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた」(使徒4:32)。「彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった」(使徒4:34)。

ここで誤解してはならないことがある。これは全財産を強制的に差し出す制度ではなかった。地所や家を持つ者がそれを売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置き、「必要に応じてそれぞれに分け与えられた」(使徒4:35)のである。各自が自分の持ち分をわきまえ、自発的に、喜んで差し出した。次の章でアナニアに語られる「売らないでおけば、あなたのものであり」(使徒5:4)ということばが示すように、そこに強制はなかった。神への献身から出た、自由な分かち合いだったのである。

その具体例として、一人の人物の名が記される。「キプロス生まれのレビ人で……所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」(使徒4:36-37)。「慰めの子」と呼ばれたバルナバが、前進する群れの中で、静かに自分の持ち分を差し出した。大胆に語る祈りと、惜しみなく分かち合う愛は、同じ聖霊から生まれた一つの実だったのである。

私たちの祈りはどこを向いているか

今日のみことばの前で、自分の祈りを思い返した。困難にぶつかったとき、私はまず「この問題を取り除いてください」と祈る。それは決して間違いではない。神は、そう祈ることを許してくださる。

けれど初代の群れは、その一歩先を祈った。圧迫の中で、なお福音を前へ進める力を求めた。守られることより、語ることを願った。問題の真ん中で、なお神の栄光がより力強く現れることを願ったのである。

私たちもまた、障害にぶつかったときに、助けを求めるだけでなく、宣教の前進を祈る者になれないだろうか。「守ってください」だけでなく、「大胆に語らせてください」と。あなたは今、どんな祈りをささげているだろうか。守りを求める祈りの奥に、もう一つ、前へ進む祈りを置いてみたい。神は、そのような祈りにこそ、聖霊の力をもって応えてくださる方である。

※聖書は新改訳2017を引用しています。 ※本記事は、AI(Claude、Anthropic社)を活用し、筆者の視点と編集を加えて作成しています。内容の最終確認および責任は筆者が負っています。



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