短編【自由意志の行方】小説
「【ニーラカーラ物語】で知られる童話作家、志島佳代さんが殺害されるという痛ましい事件が起きてしまいました。犯行に及んだのは志島さんの姪孫にあたる志島洋容疑者27歳。警察によりますと、容疑者は犯行を全面否認しているようです。容疑者は志島さんの実の弟の孫に当たり、志島さん自身には子供はいませんでした。事件当日、志島さんは入浴介助サービスをうけており、看護師も事件に巻き込まれた様子です」
どの角度から見ても完全に落ち込んでる篠原準子を見て、足跳亮一は、これじゃあ打ち合わせは無理だな、と思った。
「今日はやめておきますか?また日を改めて」
「え?なんで」
「なんでって。志島先生のこと」
「ああ、大丈夫です。すみません。そうですね。しっかりします」
そう言って篠原は音を立てて両手で自分の頬を挟み打つ。
篠原準子が童話作家、志島佳代の大ファンだったという事を足跳は知っていた。
なので志島佳代の事件を聞いたとき、真っ先に足跳がやった事は篠原準子との打ち合わせの中止の打診だった。
「すみません、足跳さん。打ち合わせ、大丈夫です。やりますって言っておきながら、こんな調子で。でも、もう大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「はい…。でも、いったい何があったんですかね。志島先生。あんなに良い人だったのに。まさか身内に…」
「身内の事は身内にしか分かりませんからね…。篠原先生、次のルポ、志島先生の事を書いてみます?篠原先生は志島先生の【ニーラカーラ物語】にも詳しいし」
「実は私も、それ、少し考えてて。でも、他にも書きたい事があって。次のルポの企画なんですけど…」
篠原準子が持ってきたルポタージュの企画は『フィッシャー一家襲撃事件』だった。
珍しいな。と足跳は思った。
今年25歳になる篠原準子が得意とするのは、ヨーロッパの旅行記で【フィッシャー一家襲撃事件】のような血生臭い事件物には興味がないと思っていた。
『フィッシャー一家襲撃事件』
それは1969年、ブルックリンで起きた大量殺人事件だ。
「どうしてまた、あの事件を?」
「え?」
「なんで、フィッシャー事件を?」
「なんでって…。なんでだったかな?」
「なんですかそれは」
足跳は篠原が冗談を言っていると軽く笑って思いコーヒーを啜った。
篠原は真剣な表情で考え込んでいる。
本当に理由がないかのように。
「人間には自由意志はない。って言う論説があるじゃないですか」
「ええ」
生理学者ベンジャミン・リベットの『随意運動と準備電位実験』のことか。
と足跳は思った。
詳しくは分からないが、この実験で人間の自由意思は否定された。
人は考える前に、何者かに『意識』を『決定』されている。
自分に自由意思があると思うのは錯覚に過ぎない。
デカルトの『我思う故に我あり』への逆襲。
「フィッシャー一家襲撃事件の事を私が書こうと思ったより先に、もう、なんて言うか、決まっていたような気がするんです」
「決まっていた?」
「すみません、なんて言うか、うまく説明できないんですけど。何者かに書くように命令されたと言うか。変ですよね。あの事件を書こうと思ったのは、間違いなく私の意志なんですけど。なんですけど…。なんて言うか、私がそう思う前から決まっていたような。………志島先生を殺した犯人も、もしかしたらそうなのかも知れない…」
「え」
「彼も自分の意志なんかじゃなくて…」
「篠原先生…」
「私のように、何者かに命ぜられるままに…」
「先生…」
「自分の意志とは関係のない所で、操られるままに…」
「篠原さん!」
「はい!」
「先生…ご自分で何を言っているのか分かってますか?」
あなたは志島先生を殺した男を擁護しているんですよ。
あなたらしくない。
どうしたんですか?
足跳の目はそう言っていた。
「すみません。私。やっぱり少し疲れているかも。とにかく、取材をしに来週ブルックリンに行きますね」
篠原準子が喫茶店を出て行ったあと、一人残った足跳亮一は何とも言えない不安を感じていた。
その不安さえも、すでに何者かに『決定』されたものなのだろうか。
そんな考えを飲み込むように、足跳は残りのコーヒーを流し込んで喫茶店を出た。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
ニーラカーラ物語『樫の木の人形』
