短編【焼ける匂い】小説
瀬島は肉の焼ける匂いと音で目が覚めた。ぼんやりとした視界の向こうに栗本里佳子が背を向けて立っている。
里佳子はキッチンコンロに向かい肉を焼いている。肉の焦げる匂い。料理の上手い里佳子にしては珍しい。失敗でもしたのだろうか。
肉の焦げる匂いはだんだん濃く強烈になってゆく。そして右胸にえぐるような激痛をおぼえて瀬島はもう一度、目が覚めた。
肉の焦げる匂い。
それが自分の体から発せられているものだと気がつくまで時間はかからなかった。
瀬島の両足は足首と膝関節の二か所をマニラロープで鬱血するくらいきつく縛られている。
胸のあたりに十字に組まれた手首も同じくマニラロープで縛られている。さらに背中、肩、そして、その縛られた両手の上からサランラップのような物で何重にも巻かれて拘束されている。
まるで蜘蛛の糸に巻き獲られた虫のように。
瀬島は両足と両腕の自由を奪われ、さらに胴体はコンクリートで造られた角柱にロープに縛られている。座ったままの状態で。
広く薄暗い倉庫。
倉庫の中央には一辺1メートルに満たない角柱が立っている。瀬島はその角柱に縛られているのだ。
上半身を覆っていたシャツは破られて、あらわになった左胸に鉄パイプが押しあてられている。その鉄パイプは高温に熱せられ濃いオレンジ色に光っている。
胸に巻きつかれていたサランラップの様なものは一瞬で蒸発し、同時に瀬島の皮膚細胞も数ミリずつこの世から消滅してゆく。
倉庫に瀬島の叫び声が響く。
瀬島の叫び声を十分堪能して男は灼熱の鉄パイプを皮膚から離す。瀬島の右胸は棒状の火傷の跡が生々しく燻っている。
煌々と炎が踊る炉の中に男は鉄パイプを差し込む。そして耐熱グローブを外して身動きのとれない瀬島の前に屈んで顔を近づける。
「まさか」
「お前が。って言いたいんですか?部長」
「何が望みだ」
「わかってるでしょ」
「しかし、それはー」
男は芝居じみた溜息をひとつついた。
「まだ、わかってないんですか?ご自分の状況が」
男は立ち上がると耐熱グローブをはめ直し炉から鉄パイプを引き抜く。鉄パイプはサディスティックに光っている。
瀬島は身を固める。死んでもいい。
こんな奴に屈しはしない。
男は、そんなことはお見通しだと言いたげに右の口角を卑しく吊り上げて微笑う。
そして瀬島が縛られている角柱の後ろに右回りで、ゆっくりと回り込む。
瀬島の視界から男の姿が消え足音だけが不気味に響く。
足音がちょうど真後ろに達したときキャスターがコンクリートの床を軋ませる音が聞こえ始める。その音は瀬島の左側に移り男とビジネスチェアに座った女が現れた。
角柱を一周回ってきた男は左手に鉄パイプを持ち右手でキャスター付きのビジネスチェアを押している。
ビジネスチェアに座っているの女も瀬島と同様に手足を縛られている。そして口元はガムテープで長い髪の毛ごと雑に巻かれている。
女は、彼女はーー。
「なんで……どうして……」
「里佳子さんじゃないのか。って言いたいんですか?里佳子さんが良かった?」
そこに現れたのは瀬島の恋人の里佳子の…妹だった。
「だって里佳子さんが死んじゃったら絶対に喋らないでしょ。だから」
男は鉄パイプを里佳子の妹、亜里沙の口元にガムテープごしに押し当てる。
肉と粘着テープが焼ける匂いと焦げる音。
亜里沙は叫び声を上げる事も出来ずに縛られた両足を上下に激しくばたつかせる。
あまりの光景に瀬島は声もでない。
亜里沙の両足が激しくコンクリート床を叩く音だけが倉庫に響いている。
「やめろ!」
コンクリートを叩く音が弱くなったころ、ようやく制止の声を瀬島は絞り出した。
男は光が薄くなった鉄パイプを離す。亜里沙の顔面の下半分は顎を残して焦げ落ちている。両目は白眼を剥き生気はない。死んでいるのか気絶しているのか瀬島には判断が出来なかった。
「これで言わなければお手上げです。もう里佳子さんに手を出すしかありません」
瀬島が勤める琵琶バイオ研修所に小手川裕一が研究員として入社してきたのは三年前の事だった。小手川は出会ったころと同じような爽やかな笑みを瀬島に向けた。
「そんなに大事なんですか?あのデータが」
三日後、廃墟になった製糖工場跡地で顔面が焼かれた男女二体の死体が発見された。その二日後、同じ様に顔面が焼け爛れた女性の水死体が師猪瀬川下流で発見された。
犯人は未だに捕まってはいない。
