短編【淡黄蘗の月】小説
赤に近い濃ゆい橙色の月が高層ビルと高層ビルの隙間から現れては消える。
どういう理屈なのかは知らないが月は地平線に近いほど赤みが強くなるという。だからあの赤みの強い橙色の月は高層ビルを越えることはなく建物と建物の隙間から見え隠れするのだろう。
ハイウェイを時速八十キロで走るシルバーメタルのランボルギーニ。
私は助手席に座って高速で飛んでいくポプラの木々とその遥か向こうでゆっくりと動く月を、ぼんやりと眺めていた。
どこかで私と同じようにあの月を眺めている人がいるのだろうか。
都会の月は、こんなふうにぼんやりとした橙色の月よりも氷の様に鋭く光る淡黄蘗の月の方がよく似合う。
「今日の月は赤いね」
ハンドルを片手で握っている男が言った。その姿があまりにもキザだったので私は男の声が聞こえないふりをした。両手でハンドルを握っていたとしても、それはそれで気に障ったかもしれない。
つまり私はこの男が嫌いなのだ。
あの人の親友だと言うので、きっとあの人と同じような審美眼を持っているのだろうと勝手に思っていた。メタリックグリーンやローズレッドの馬鹿みたいにやかましい色ではなく、控えめで品のあるシルバーメタルのランボルギーニに乗っている姿にすっかり騙された。
二時間前に結婚式場であった男だ。名前を聞いたような気がするけど、もう忘れていた。
月が赤い。男は、そう言った。どこをどう見て、あの月が赤だと言えるのだろう。
あの人は決して赤色の月なんて言わない。
「月ってさ。地平線に近ければ近いほど赤みが増すんだよ」
そう教えてくれたのはあの人だった。
「どうして地平線に近いと赤くなるんですか?」
「知らない」
あの人は、そう言うと髭もじゃの顔を歪めて屈託なく笑った。
「あの月、何色に見える」
「えーと」
「ちょっと待って、一緒に言おう」
「はい」
私たちはお互いに目を合わせて同時に言った。
「銀朱」
私はあの人と同じ色の月を見ていた。それが嬉しかった。あの日も今日のような赤みの強い月が鈍く輝いていた。
あの人は。
先生は、私の想いを知らないまま今日、結婚式を挙げた。
何年経っても私たちの関係は美大予備校の講師と生徒のまま。まるで地球と月のように離れず、そして近づくこともなく・・・。
いや違う。今日を境に私は。私と先生の距離は離れて行くのだろう。先生の隣で幸せそうに涙ぐんでいたあの女は先生と同じ月を見た事があるのだろうか。
ランボルギーニのウィンドウを下ろすと冷たい風が流れこんできた。
「寒くない?大丈夫?」
私は男の声を無視してポシェットから煙草を取り出した。
「あ、吸うんだ」
うんざりだ。ライターで煙草に火をつけた。冷たい煙が目に入った。私はピアニッシモ・ペティル・メンソールの空箱を握りつぶしてハイウェイへ投げ捨てた。男は呆れるような非難するような事を私に言っていたけれど何も聞こえてはいなかった。
銀朱に染まっていた月は高層ビルより高く登り、いつの間にか淡黄蘗に輝いていた。
私と同じようにあの月を眺めている人がいるのだろうか。私はもう一度思った。
やっぱり都会の月は淡黄蘗がよく似合う。
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