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短編【思い出はゴミ箱に】小説





本棚の後ろに思い出が落ちていた。

新年も10か月を過ぎた頃、私はようやく大掃除を始めた。
師走だ、ああ忙しい。
師走だ、やれ走れ!
と遊ぶことや遊ぶことにかまけて部屋の大掃除は年が明けてからと引き伸ばし伸ばして今日。

このままでは大掃除は今年の年末になってしまう。
その頃にはまた遊ぶことや遊ぶことにかまけてしまうのは目に見えている。

本棚の後ろに落ちていた思い出を見つけたのは大掃除も終盤に差し掛かった頃だった。
薄い綿埃わたぼこりをまとった緑色のアルバムが一角だけ床につけて不安定な格好で佇んでいた。

私は本棚と壁の隙間に腕を突っ込んでそのアルバムを拾った。
拾う前から、なんの思い出が詰まったアルバムなのか見当はついていたけれど。


「で?」
「なによ」
「捨てないの?」
「捨てるよ」
「捨てないね。アンタは」

大掃除も終わり見違えるほどキレイになった部屋を見せてやりたくて三人の悪友に急遽、部屋飲みの集合をかけたら三人とも来た。

暇な奴らだ。
その三悪友の一人、栗本くりもと里佳子りかこが缶ビールを片手に言い放った。
あの思い出の詰まったアルバムを捨てろというのだ。

「ホントはまだ未練があるんでしょ~~」
下戸のくせにやたらとお酒を飲みたがる志島しじま朋美ともみが色っぽい目をトロンとさせて言う。

「冗談でしょ。今日の今日まで忘れてたよ」
またまた~。と里佳子りかこ朋美ともみは笑った。
酒のつまみの笑い話のネタになるかと思ってコイツ等の前にアルバムを出した私が馬鹿だった。

ホントのホントに忘れていたのだ。
あの男の事なんて。

「ぜんぜん変わってないよね~」
懐かしそうにアルバムを眺めていた三島みしま杏里あんりがぽつりとつぶやいた。
「変わってないよね~~、って。なに最近会ったみたいに言ってんのよ」
笑いながら里佳子りかこは缶ビールをグイッと飲んだ。

「会ったよ、私。シンジ君に」
杏里あんりの言葉に驚いた。
ああ、耳を疑うとはこの事を言うんだなぁ。
と思った。

シンジが、私を捨ててロスに飛んでいったシンジが、この町にいる。







寒そうにコートの襟を立てて足早に通りを行きかうOLや手袋の上から暖かい息を吹きかけているサラリーマンを硝子窓越しに眺めながら、私は熱いモンスーン・マラパールに口をつけた。
懐かしい酸味が薫る。

【かふぇ サラスヴァティー】のやさしい暖房に包まれながら、ちらりと腕に巻きつけたフェンディを見る。
17時半を少し過ぎていた。
約束の時間までまだ30分もある。


「会ったよ、私。シンジ君に」
杏里あんりの一言に私の心臓がどよめく前に里佳子りかこ朋美ともみがどよめいた。
お陰でアタシはどよめき損ねた。

「え?会ったって、いつよ」
里佳子りかこ杏里あんりに詰め寄る。
その勢いで里佳子りかこはビールのアルミ缶を握り潰し、さらにその勢いで飲み口からビールが少々こぼれた。

「あーー!」
掃除したばかりの床にビールが落ちて私は声を上げた。
どよめきの波に乗り損ねた私は妙に冷静になりテーブルの上にあったテッシュを数枚引き抜いて床にこぼれたビールを拭いた。
拭きながらも、しっかりと耳は杏里あんりに口元を捕らえていたけど。

「シンジ君って、このシンジ君?」
アルバムの中にいる平たいシンジの笑顔を指差して言う朋美ともみに、
「当たり前でしょ!」
と軽くつっこんで里佳子りかこは、
「どこ?どこ?どこで会ったの?」
杏里あんりに迫る。

「どこって」
「なによ。言えないトコなの?」
「でもなぁ」
「言いなさいよ」
「合コン」

里佳子りかこの口は『ご!』の形で止まり、朋美ともみの口は『う!』の形で止まり、私は心の中で『コーン!』と叫んでビールを拭く手を止めた。

「合コン……?」
妙な沈黙の後、里佳子りかこが確かめるように言った。
「うん」
芽美めぐみ!そのアルバム捨てな!」
里佳子りかこは言い捨てると新しい缶ビールのタブを荒々しく開けた。
ビールが数滴、床に落ちた。


シンジは私を捨ててロスに行った。
一流のカメラマンになるにはロスに行かなければならないんだそうだ。
どういう理屈かは知らないが、そういう理屈でシンジはロスに行った。
捨てられた私は捨てられたという事に気づいてはいなかった。

本当は気づかないフリをしていたのかも知れない。
二年経って、シンジは携帯を変えた。
三年経っても、シンジから連絡は無かった。
四年経っても、シンジから連絡は無かった。
五年経っても、シンジから連絡は無かった。
六年経っても、シンジから連絡は無かった。

捨てられたと気づいた時には泣くタイミングも無くなっていた。
シンジが撮ってくれた思い出のアルバムだけが、緑色のアルバムだけが、ひっそりと手元に残っていた。







シンジと付き合っていた頃、私たちはよくこの【かふぇ サラスヴァティー】で待ち合わせをしていた。

本格的なインドのコーヒーを出すカフェで私は好んでモンスーン・マラパールを飲んでいた。
シンジは…。
何を飲んでいたっけ。
もう随分昔の話だ。

ベビーゴールドに輝くフェンディをちらりと見る。
針は文字盤の上で17時45分を過ぎようとしていた。
約束の時間まであと15分だ。


芽美めぐみ!そのアルバム捨てな!」
里佳子りかこは荒々しく新しい缶ビールのタブをひねり開けた。
その拍子に少し泡立ったビールが数滴、床に落ちた。
「ひどい」
朋美ともみが眉間にシワを寄せて言う。
「ホント!最低だよ、あの男は!芽美めくみがどんな思いで、」
「誘ってよ!私も!合コン!」
「そこかい!」
里佳子りかこ朋美ともみの掛け合いが凄く遠くに聞こえる。

色んな疑問が湧いては湧いた。
消える間もなく湧いてくる。
シンジはいつこの町に帰ってきたのだろう。
何故シンジは連絡をよこさないのだろう。
カメラマンの夢はどうなったのだろう。
どうして連絡をよこさないのだろう。
いまは何処に住んでいるのだろう。
なぜ連絡をよこさないのだろう。
どうして連絡をよこさないの?
私の事は忘れてしまったの?
何で連絡をしてこないの?
今は何処に住んでるの?
だれと一緒にいるの?
私の事は忘れたの?
教えてよシンジ。

どうしてなの?

どうして…。

どう

芽美めぐみ!」
「はい」
里佳子りかこの声に思わず返事した私の声は力弱かった。

「大丈夫?」
「え?何が?え?何いってんの。大丈夫だよ。別に」
私は里佳子りかこが床にこぼしたビールの水滴をせっせとティッシュで拭き、別に汚れてもいないテーブルの上もせっせと拭いた。

「大丈夫?言わないほうが良かった?」
杏里あんりは申し訳無さそうに言った。
「ん?なによ、大丈夫よ~」
私は努めて明るく答えた。
「で、シンジは元気そうだった?」
もう、この話しに終止符を打とうと思いながらも広げようとしている自分が嫌になる。

「うん」
杏里あんりはバージニア・スリム・デュオ・メンソールのお洒落な銀箱からタバコを取り出してくわえた。

丸顔で小柄な杏里あんりには正直タバコは似合わない。
杏里あんり自身もその事は気にしている様で私たちの前以外では滅多にタバコは吸わない。

中学生にしては大人びているし高校生にしては幼い感じがする。
という位置にぴったり収まる童顔なのだ。
杏里あんりは吸った煙をフと吐いた。

「シンジ君ね、芽美めぐみに会いたがってるみたいだったよ」
「何言ってんのアノ男は!冗談じゃないわよ!ね!」

物の本によれば牡牛座は穏やかで平和主義だという。
でも、牡牛座の里佳子りかこは何故か噴火しやすい。
牡牛は牡牛でも、多分闘牛なんだと思う。

「ぜったい会っちゃ駄目だよ、芽美めぐみ!」
里佳子りかこの帰り際の言葉を思い出しながら私は食器を洗っていた。

そうよね。
向こうが会いたいって言ったって。
と思いながらもバーバリーのチェックウールコートは何処に仕舞ったかな。
なんて、考えていた。

食器も洗い終わって一息ついた時、私は携帯電話で杏里あんりの電話番号を探していた。
シンジの連絡先を聞くために。
多分、杏里あんりの事だからシンジの携帯番号くらいは聞いているだろう。

知らなかったらそれで終わり。
もし、知っていたら、その時は…。







私のフェンディは18時を過ぎていた。
【かふぇ サラスヴァティー】の壁に掛かっているシンプルな木目調の柱時計も18時を過ぎていた。

3杯目のモンスーン・マラパールはカップの半分を残して冷め始めている。
カフェの入り口のドアに備え付けてある鈴がさえずる度にドアを見る。

出入りするのは見知らぬ人ばかり。
もう帰ろう。
遅れ人を責める気持ちは無かった。
むしろ会えなかった事に安堵していた。 


「ぜったい会っちゃ駄目だよ、芽美めぐみ
里佳子りかこの言葉を思い出しながら私は卓上メモに書かれた9桁の数字を見ていた。

杏里あんりから教えてもらったシンジの電話番号。
この9桁の数字の向こうにシンジはいる。

私は7桁まで番号を押して、消した。

会ってどうするの?
ちゃんと別れを告げずに逃げるように去って行った男だよ?
ソファに寝転がってテレビをつけたら歌番組をやっていた。

メテオストライクスと云うパンクロックバンドが英語なのか日本語なのか判別不能な歌を歌っている。
朋美ともみが今一番お気に入りのパンクロックバンドだ。
テレビを消した。
深夜の2時は静寂だ。
時折、遠くでバイクが走る音が聞こえる以外は。

私は再び携帯電話と卓上メモを取った。
8桁まで一気に番号を押す。
そして間をおいて9桁目を付け足した。
後は発信ボタンを押すだけ。

押すだけだ。


「はい」
不機嫌で不明瞭なシンジの声が電話の向こうから聞こえた。
時刻は深夜2時半。
寝ていたのだろう。
「あの」
芽美めぐ?」
「…うん」
8年ぶりの会話だった。
シンジは8年ぶりなのに一言で私の事に気づいてくれた。

話し終わって携帯電話の通話時間を見たら58分経っていた。
沈黙の多い会話だったけど10分くらいしか経っていない様な気がしていたのに。

逢いたいと言われた。
会いたいじゃなくて、多分、逢いたい。
渡したい物があるから。
昔、よく行っていたあのカフェで。
明日の18時に。
逢いたいと言われた。

逢いたいって、言われちゃった。







やっぱりアイツはそう云うヤツなんだ。
待ち合わせの時間から30分過ぎていた。
その30分の間に店を出ようと4回腰を上げ思いなおして4回腰を下ろした。
そして今、5回目の腰を浮かせた。

会えなくて良かったかもしれない。
別に縒りを戻すつもりはさらさら無いけれど会ってしまったらそういう事になるかもしれない。
もしそういう事になったら里佳子りかこは怒るだろう。

いや、怒りを通り越して呆れるかもしれないな。
懲りない女だねぇって、笑うかもしれない。
勿論、私は縒りを戻す気は無い。

『愛の反対は憎しみではなく、無関心である』
なんて、マザー何とかさんが言っていたらしいけど、まさにその通りだ。
私はアイツを恨んだりなんかしていない。
無関心なのだ。
だからアイツが約束をスッポかしても何とも思わない。


「ごめん」
席から立ち上がってバックを取ろうと横を向いていた時に不意をつかれた。
シンジが立っていた。
私は驚いてストンと腰を落とした。

「久しぶりだな」
「うん。そうだね」
シンジが注文したシナモン・ティーが来たときに、ようやく私達は会話をした。
そして思い出した。
シンジはいつもシナモン・ティーだった。
シンジはシナモン・ティーを一口啜ってマルボロを一口吸った。

その姿は少しも変わっていなかった。
8年前よりも精悍な顔つきになっている。
もし、もしも、縒りを戻したいなんて言っても…。
言ったとしても…。
ひとこと謝れば考えなくも無い。

私とシンジはぽつりぽつりと話した。
カメラマンとして順調にやっている事や、
私がアパートを引っ越した事や、
先月、日本に帰って来たばかりだという事や、
私の妹に二人目の子供が出来た事や、
来月には再びロスに戻る事や。

「え?戻るの?」
「うん」
3本目のマルボロの火を捻じり消してシンジは言った。

「それでさ」
渡したい物があるんだとシンジは言ってリュックから朱色のアルバムを取り出した。

それが何なのか私には直ぐに分かった。
私はシンジが写っている緑色のアルバムを持ち、シンジは私が写っている朱色のアルバムを持っていた。

「これを返したくて」
「え?」
「ロスに行ったら、もう会えないだろうし」
「………捨てればいいのに」
「女は簡単に出来るだろうけどさ…。」

話はもうとっくに別れた男と女という前提で進んでいた。
まだ、私は別れの言葉を聞いてはいないのに。

「お前が持っていた、あのアルバムは?」
「捨てたよ、とっくに」
「そうか」
やっぱりな。
と言うような感じでシンジは言った。
女は簡単に思い出を捨てれる。
とでも言いたげに。

シンジはテーブルの上に朱色のアルバムを残し、シナモン・ティーも半分残し、4本の曲がったマルボロを残し、私をカフェに残して去っていった。

私はスマートフォンでLINEをした。
里佳子りかこ朋美ともみ杏里あんりをアパートに招待した。
これから私の部屋で飲もうと思う。

今夜の私は、きっと、荒れる。



⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

タールの重さ

薪を焚べるように

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