短編【季節の薫りの野菜も添えて】小説
コース料理の最後のメニュー【苺酸味の仔羊のロティとポワレ 季節の薫りの野菜も添えて】の仔羊のポワレを食べ切った白石忠文は、耽美な溜息をついて赤いワインを含んだ。
妻の白石文美子はまだ料理が半分残っていて、ゆっくりと味わっている。
文美子は歴史小説家である。
今日は中等学校の歴史教師である忠文の定年の祝いで夫婦揃って高級フレンチレストラン『オ・ルヴォワール』にやってきたのだ。
「ねぇ、気がついた?」
「も。だろ」
「流石ね」
文美子は嬉しそうに微笑むと季節の薫りの野菜を口に運ぶ。
コース料理の最後のメニュー【苺酸味の仔羊のロティとポワレ 季節の薫りの野菜も添えて】の【野菜も添えて】の部分の【も】に違和感がある。
と文美子は言っているのだ。
普通なら【季節の薫りの野菜を添えて】というように助詞は【を】を使う。
ところが【も】を使うと意味が少し変わってくる。
【も】には同類、並列の意味があるから【苺酸味の仔牛のロティとポワレ 季節の薫りの野菜も添えて】とすると、【季節の薫りの野菜】は【苺酸味の仔羊のロティとポワレ】と同格ということになってしまう。
飽くまでも【苺酸味の仔牛のロティとポワレ】が主役で【季節の薫りの野菜】は脇役、従者であるべきではないのか。
だとするならば【を】を使って控えめに表現するべきではないのか。
と、歴史小説家の文美子は主張ているのだ。
ところが。
「うん。納得。美味しい。このお野菜のドレッシング、美味しいわね。確かに同格だわ。ここのシェフ、料理の腕だけじゃなくて文才もあるのね」
文美子は料理の味覚的にも言葉の意味的にも満足していた。
「で、どうするの?これから」
ワインを飲んだあと、ナフキンで口元をそっと拭った文美子が忠文に尋ねる。
退職した後の身の振り方はどうするのか。
ウェイターが空になった皿を片付けるのを待ってから忠文は口を開いた。
「実は、ずっとやりたい事があって」
「小説?」
「知ってたのか」
「何となく」
ウェイターがデザート【温かい焼き枇杷のシャルロット ナッツの香りのムース仕立て】をテーブルに置いた。
文美子は、その温かい焼き枇杷をスプーンで救って舌にのせる。
美味しい、と文美子は小さくつぶやく。
反対している。
忠文はそう思った。
文美子の沈黙は異論を意味するということを忠文は知っている。
「反対なのか」
「別に反対じゃないけど」
「けど?」
「向いてないとは思っている」
「どうして。僕の小説なんて読んだことないだろう」
文美子はもう一掬い、枇杷のシャルロットを口に入れ堪能した後、口を開いた。
「貴方の教え子にマリー・アントワネットの小説を書いたって子がいたでしょ?」
「鷲見泉勇人のこと?」
「その子に貴方、小説に書いてある事が歴史的に間違っているから書き直した方がいいっ言ったのよね。私ね、その話を聞いた時に、貴方は小説家には向いていないな、って思ったの」
「どうして」
「その子の原稿、読ませて貰ったでしょ。貴方の前だから褒めるのは控えたけど、すごくいい小説だと、私は思ったのよ。もちろん、荒削りだけど中学二年生にしては良く書けてるって。とくに鷹と鳩の対比なんて、あの年では中々書けないわよ」
「でも、あれは——」
「別に反対してる訳じゃないのよ。私が反対したから、じゃあ止めますなんて言ったら、私、怒っちゃうかも。さ、貴方も食べてよ、焼き枇杷のシャルロット。凄く美味しいから」
文美子は焼き枇杷のシャルロットを行儀悪くスプーンで忠文の指して微笑む。
「ねえ、気づいた?季節の薫りの野菜の『かおり』には薫製の薫の字を使って、この焼き枇杷のナッツの香りのムースの「かおり」には香水の香が使われてる事に。薫は比喩的な匂いの時に使って……」
この歳で文壇の世界へ飛び込んだとしても文美子には勝てないだろう。
だけど——。
【苺酸味の仔羊のロティとポワレ 季節の薫りの野菜も添えて】の様に同格に成れる可能性がないわけではない。
そう思う忠文の舌の上で枇杷の程よい甘味と酸味が絡まって溶けていった。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
