短編【白い首筋】小説
「おはようございます」と幼い顔に似合わない少し低めのハスキーな声で挨拶をしてきたその人は、店内でモップがけをしている僕をちらりと見ながら急いでスタッフルームへ向かった。
程なくしてコンビニエンスストア『リトルエレファント』の象の皮膚を連想させるライトグレーを基調としたユニフォームを着て店内に現れたその人は品出し陳列を始めた。
その人は小柄で首筋の綺麗な小顔な美人だった。
深夜一時になると夜勤作業の八割は終わっていた。退勤時間の早朝五時まで四時間はあるので少しペースを落として仕事をする。あまりテキパキ動くと、やる事がなくなってしまう。
僕は積極的に人に話しかけるタイプの人間じゃない。おはようございますと挨拶を交わしてから三時間は経つが、その人との会話は全くない。お互い黙々と業務をこなす。向こうも話しかけようとする素振りがない。同じタイプの人間なのかもしれない。
僕が話しかけないのは僕自身の気質のせいでもあるけれど、一番の理由は、その人の名前を覚えていないという事だ。だからさっきから、その人、としか心の中で呼べていない。僕は他人に対する興味が極端に薄い。
コンビニエンスストア『リトルエレファント』兄橋支店でバイトを始めて八日がたった。バイト二日目にその人の名前を聞いたのだけど、思い出せないまま八日が経ってしまった。その人と相勤したのは今日で三回目だった。二回目の相勤の時には、すでに名前を忘れたので、その時に正直に忘れてしまった事を言って聞いておけばよかった。三回も顔を合わせているのに、今更、お名前は何ですか?なんて聞きづらい。完全にタイミングを外してしまった。
でも、まあ、いいか。こっちから話しかけなければいい事だし、用があれば向こうから話しかけるだろう。と思っていたら「君、私の名前、忘れてるでしょ」と、その人は突然、話しかけてきた。
「え?あの。はい。すみません」
「やっぱり」
その人は屈託なく笑った。笑うと細い首に綺麗な筋ができた。僕はその白い首にナイフをスッと刺し込みたいと思った。
「私も忘れてたから、大丈夫。シフト表見れば分かるけど、まだシフト表が出来てなくて。ここの店長、シフト表作るの遅いから。私は三島杏里。君は三条……」
「清彦です。三条清彦」
お互い、苗字に『三』がついているね。とか、同じバイトの山下利秀っているでしょ?あいつムカつくね。とか、なんだかんだで退勤時間までお喋りをして過ごしたけれど、僕はずっと白くて細くて綺麗な首筋が気になって気になって仕方がなかった。
もう、このバイトは辞めよう。僕を守るために。そして、その人を守るために。
なんで、こんなふうに生まれてきてしまったのだろう。
僕は、生きるのが、辛い。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
