ブッダノオキモノ
高校生の時からカンボジアに行ってみたいと思っていた。「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画を観たからだ。
実在した戦場カメラマンの話。内戦が激化するカンボジアで命を懸けてアンコールワットの写真を撮りに行く彼に高校生の私は衝撃を受けた。
この時、まさか将来カンボジア人と家族になるとは想像もしていなかった。
それから10年の間に私は2回の病気をした。
21歳の時、先天性の頭の病気が見つかり16時間の大手術を受けた。そして28歳の時には出勤途中に救急車で運ばれた。
ネフローゼ症候群という腎臓病で約5ヶ月間軟禁状態だった。
大きい病気を2回して思った。
やりたいことはチャンスが来たらやるべきだ。
そして私は軟禁状態が解かれた数ヶ月後、友達に誘われてタイ旅行へ2週間行った。
帰国して3週間後にまたタイに戻り陸路でカンボジアへ入った。
ずっと高校生の時から行きたいと思っていたカンボジアに、ついに足を踏み入れた。
少しシャイだけど、人懐っこい子供達。
優しい宿の家族。
毎日の帰り道には見たことのない素晴らしい夕陽。
ゆっくりと流れる時間。
すっかりカンボジアに魅了された。
29歳で初めて訪れてから5年間で訪れた回数は10回を超えた。
「ここなら住める」
そう感じて移住を決めた。
夫と出会ったのは移住してすぐだった。
最初のイメージは悪かった。
よくある話。
ある日大好きなコーヒーを飲むと自分でも血の気が引いていくのがわかった。
一緒にランチをしていた友達に「顔が白すぎるよ」と言われた。
数日様子をみたけど、これはまた何かの病気になったか妊娠したかどっちかに違いない。
彼に話して夜バイクでめちゃくちゃローカルな薄暗い薬局に行き彼がクメール語で何か伝えると、細長いカウンターの奥にある雑多なダンボールをゴソゴソと探ったお店の人がこちらを見もせずにポーンと投げよこしたのは妊娠検査キット。
めっちゃ雑じゃん。
これホントに使える?大丈夫?と思いながら
次の日1人でやってみた。待ち時間0秒で陽性が出た。
妊娠がわかって不安すぎた。親になんて言おう、カンボジアに住むために協力してくれた上司にもなんて言う? めちゃくちゃ不安だけど1つだけ心は決まっていた。たとえ1人でも産む。
夜ベッドに横になってから「赤ちゃんできてた」って彼に伝えた。
「ウン、ソウナンダ」
それだけかよ。
…後ろでズズっと聞こえる。彼は泣いていた。
「なんで泣いてるの?」
「ウレシクテ」
指輪はシャワーから上がった時にもらった。
シャワールームから出ると彼が慌てて小さい箱をキッチンへ投げた。なんでそんなとこに何か投げた?
そして恥ずかしそうに指輪をはめてくれた。
この時は幸せを感じた。
「ありがとう、…とりあえず服着ていいかい?」
一時帰国して妊娠初期検査をして、海外とはほとんど縁のない両親と共にカンボジアへ戻り両家の顔合わせ。
母は大反対だった。
カンボジアの地を踏むまでは反対はしていなかった。
空港で彼の顔を見た途端、瞬時に母親の勘のようなものが作動したらしい。
カンボジアの街で育った末っ子の彼は一瞬で私の母に嫌われた。
子供が2歳半になるまでカンボジアで生活した。
憧れのアンコールワットはもう私の日常の一つになっていた。夕方は屋台でスナックを食べてからドライブ。アンコールワットや遺跡の周りもドライブコースになっていた。今思えばこの頃が一番穏やかで贅沢な時間だったかもしれない。
コロナ流行で国境が封鎖された。
カンボジア人もみんなナーバスになっていた。
観光客もいなくなり大きなホテルやレストランがどんどん休業した。 観光業が盛んなこの街でたくさんの人たちが仕事をなくした。お正月も、お盆も帰省しないように市の境も封鎖された。
私たちもどこで子育てをしていくか悩んだ。
話し合った結果、日本で育てることになった。
まずは私と子供だけ先に日本に帰ることにした。
仕事を決めて家を準備して彼を呼ぶ約束をして、
国境封鎖が解除になり首都のプノンペンから1日1便だけ日本への飛行機が飛ぶことになったタイミングで私たちは日本に旅立った。
それから2年、私たちは別々に暮らした。
うちの玄関にはシーサーの置物2組と小指サイズのブッダの置物が1つある。
両手に乗るくらいのリアルな顔したシーサーと片手に乗るくらいのかわいいシーサー。
小指サイズの小さなブッダの置物は夫がいつの間にか買ってきてちょこんと置いてあった。
私が生まれてから25歳になるまで住んだ実家はお化けが出た。
正確には出てはいなけど、私は感じていた。
とにかくあの家は何かがたくさんいた。
だから今でもごくたまに見るこわい夢の舞台はいつもあの家だ。夫も仏教の国で育ったからかお化けの存在を信じている。
彼の国は仏教で特別ものすごい信者というわけではないが、生活の要所要所には組み込まれてくる。
例えば私が一時帰国する際には街の中にドンと構えているお寺に行って無事の旅路をお願いに行く。
私がいない間には彼も実家に戻るため1ヶ月近く誰もいなくなる部屋には、茶碗に水を張って置いておく。おばけが居付かないようにするためらしい。
私が帰る前にはフルーツが備えられてたりもする。
何度か引っ越しをしているが産後最初に住んだアパートではよく喧嘩をした。
その後引っ越したあと、近くを通った時、ここは場所が良くなかった。吹き溜まりだからお化けがいたんだと思う、だから仲が良くなかったと言っていた。
引っ越した初日は寝る前に方角を確認し枕の位置を決めたらその方角を向いて手を合わせて何かブツブツと唱えている。
お父さんの具合がずっとよくないとか悪いことが続くようなら村の人総出で家を片付け料理をしてお坊さんを呼んでお経を唱えてもらう。
だからと言う程でもないけど行き場がわからないシーサーとブッダたちはうちの玄関で我が家を守っている。
日本に戻ってからは両親に手伝ってもらいながらシングルマザー状態。とにかく働いた。カンボジアのゆったりな時間から日本の忙しい生活への変化。ギャップがすごい。
子供には「なんでママとおやすみのひがないの?」と言われ心が痛んだけど、「おやつとおもちゃを買うためだよ」と言いきかせた。
子供のフニャフニャ語を「ん?なぁに?」って聞き返した時にじじが「あー、これのことだよ」ってわかった時、じじに負けた…という謎の敗北感。
感謝すべきだろうけど一緒にいる時間の短さを痛感してしまった。
保育園に迎えにいくと残り数人になっていることも多かったし電車の遅延を恨んだ。
夫を呼ぶ準備を始めた。
まずは婚姻届の提出。
そう、私たちはまだ結婚していなかった。
国際結婚の手続きは想像より面倒だった。
それをまた面倒くさがりな彼に伝えるのが一苦労。
「ワタシタチノケッコンハ ウソジャナイッテ イッテ」
言って通るなら御役所仕事なんていらないんだよ。
婚姻届が正式に受理されたのは2〜3週間後だった気がする。苗字も変えなかったし、何回も区役所へ行っている間に特に感動もなく、やっと終わったって感じだった。
今度はすぐに入国管理局に行って配偶者ビザの手続きだ。ここにはいつ来ても緊張する。
「本国の結婚証明書は?」
「ありません、出せない理由書を代わりに提出します」
母に反対されたこともあったし、カンボジアで国際結婚する時、賄賂が必要な上に手続きにかなり時間がかかる。どうして結婚に賄賂が必要なのか腑に落ちなかったから彼の国で正式な家族にはなっていなかった。職場の仲間が書いてくれた嘆願書も付けた。
「結婚証明書がないとビザ出ないと思いますよ」
そして嘆願書を見て少し笑った。
やっぱり入管は好きになれない。
彼が日本にやって来て1年ビザを2回取得して3回目にして3年ビザが取れた頃、区役所から夫宛に手紙が届いた。
"退職等の理由により市民税の残額を支払ってください"
「退職したの?仕事辞めた?」
「ヤメナイヨ、マイニチ イッテルデショ」
確かに生活に変わった様子もないし、どういうことだろ?額も大きいしとにかく区役所に確認に行くしかない。
とりあえず分割でお願いしないと急に払える額じゃないし…でも彼の給与額の割に高すぎやしないか?
区役所で税金の支払いの相談と言うと個室に案内された。 「突然こんな手紙が来て夫は仕事も辞めていないし、何より額が大きすぎませんか?」
それだけ稼いでいるってことでは?と返された。
「外国人で工場勤めでこんなになりますか?」
「ならないでしょうね、他にもお仕事されているんじゃないですか?」
しかも区役所側が言っている会社名と私が認識している会社名が違う。
全く状況が掴めない。
「もし夫が別の仕事をしていなかったとしたらどんな可能性がありますか?」
「会社側の脱税の可能性もあるけど、それは犯罪だしまさかとは思いますが…」
ここの課では課税証明書を取ることはできないので並びの別の課で取って確認してくださいと言われ不安な気持ちで取った。
約1千万弱の年収。
何度見たって額は変わらない。
放心した。
帰って彼に話すと本人も状況が飲み込めていない。
仕事は辞めていないし他の仕事はしていないと言うので、後日もう一度区役所へ行った。前回話した方が違和感を感じたから状況を確認していてくれたらしく
「ご主人名義で働いていた4人の人が…」
マジか…
夜、職場の通訳のカンボジア人に繋げてもらい、どういう事かと聞くと最初の派遣会社は潰れて、次の会社に移籍していると言った。
じゃあ税金の事はどうなっているのかと問いただすと
「ご主人が一度転職しようとして身分証を別の会社に送ったことがあります。それで情報が流出したかもしれないです。」
夫の名を名乗って働き出した人は彼が来日して間もなくのことだ。時系列的におかしすぎる。
前の会社は倒産しているしこの通訳はすでにカンボジアに帰国している。
もはや誰も信じられない。
「隠していることや嘘をついていることがあるなら正直に言って、私に嘘をついていると動けない。警察に行って困る事はないのか」と夫に聞いた。
「ナイ」
もしも別の犯罪に使われたらたまったもんじゃない。
免許の更新以外で警察に行くのは初めてだったからほんのり緊張した。
事情を説明して1時間くらい話した。私の記憶には、この言葉しかない。
「これは何罪なんだろう」
警察官は何回このセリフを言っただろう。
最後は個人的な訴えだけでは捜査はできないから相談に来たって事は記録に残しますと法テラスのDMをくれて終わった。肩透かしを喰らうってこんな感じか。
ビザの事だし入管にも相談してみよう。
「あー、ちょっとお待ちください」
何度も同じ保留音楽が繰り返され、戻ってきた彼女は
「それは入管は関係ないので警察に行ってください」
関係ないのか…。
市役所、弁護士、なりすましを雇った会社、
1年かけていろんな人と話してもがいて理解した。
夫は無実だと証明する事は難しい。
区役所は行く度になりすましている人が増え6人になっていた。
もう誰を責めるべきなのかわからない。
この頃私はいつもお金の心配をしていた。
銀行口座がマイナスになり始めて気持ちがざわつく。
私の気持ちが伝染するのか子供も極度に寂しがりやになりボイスメッセージ付きのGPSが手放せない状態。仕事で1時間携帯をチェックできないだけで10件以上ボイスメッセージが入っている。
「ママさみしい、すごくさみしい」「どうしてメールみてくれないの?」「はやくへんじちょうだい」
心がぎゅっとなった。
キッズクラブへのお迎えに少しでも早く行けるように駅へ走る。仕事終わりはかなり殺気だっていたと思う。
子供のストレス発散のために冬の公園で毎晩遊んだ。
夫は子供の変化には気づかなかった。
だんだん私も感情のコントロールができなくなっていた。急に怒りが沸点に達したり、堪えようと思っても涙が止まらない。
子供の前では泣かないようにシャワーを浴びながら泣いたこともある。
ある日子供が癇癪を起こして投げたおもちゃがテーブルにバウンドして私の横に落ちた。
気づけば私は咄嗟におもちゃを掴んで投げ返していた。
投げながらしまった…と思ったけど飛んでるおもちゃは止まらない。コントロールが悪くてよかった…大きな音を立てて壁に当たった。子供は泣くどころか私におもちゃが当たったと勘違いして「ママだいじょうぶ?どこがいたいの?どこにあたったの?みせて」と必死に私の心配をしている。
罪悪感で涙が溢れて子供に声をかけてあげることもできない。
もうダメだ。
もしこの犯罪に巻き込まれただけなら私はまだ頑張れたと思う。だけど私を一番追い込んだのは夫だった。この状況で彼は何度もカンボジアに帰ると言った。彼の中で私は生活費を取っていく人であり「ありがとう」も「ごめんね」も彼の辞書にはない。今までたくさん飲み込んできた。国が違うから仕方ないか、日本人の考えを押し付けちゃいけない、子供もいるんだから、親の反対を押し切ったのだから。
だけどもう飲み込めない。今回は自分の気持ちを見逃せない。そして私は離婚することにした。
大きなトランク一つとボストンバックを一つ。
残りの荷物は段ボール3個船便で送り、最後まで段ボール1個が部屋に残った。間に合わないから後で送って欲しい頼まれた。
朝5時前に起きて子供と玄関を出て行く彼を見送った。のんびりしている元夫は成田エクスプレスに乗り遅れそうになり最後まで私たちをハラハラさせた。
玄関で子供をぎゅっと抱きしめて、
「アリガトゴザイマシタ」と一礼して帰って行った。
最後の最後にやっと言ったんだね。
ベッドに戻ったけど眠れなくなった私と子供は、リビングでいつも通り朝の支度をした。
子供はYouTubeを観ながら朝ごはんを食べ、その横で私はメイクをしていた。「きょう、キッズにいきたくない」といつもより泣いている子供を見たら、泣けてきた。「ごめんね」と言いながら泣く私に涙が引っ込んだ子供が「なんでママが泣くの?メイクがとれちゃうよ」と言った。
自分でもよくわからない、寂しさなのか、不安なのか、終わった安堵なのか、説明できない。
名前のつかない気持ちもあるんだな。
とにかく数日この気持ちに浸ったらスッキリした。
後日、元夫からメールが来た。
「ブッダノオキモノ ワスレタ ステテモイイヨ」
バチが当たりそうで捨てられるわけないじゃん。
