太宰に憧れなれなかった友へ
伸びた髪に無精ひげ、汚いリュックに、穴の開いた靴。
清潔感からもっとも離れたような男だったが、なぜか人を惹きつける魅力を持っていた。
同級生にSという男がいた。
高校卒業後ふらふらしていた時期があり、年は3つ上だったが、そんなことが気にならないような、幼さを感じさせた。
Sは太宰治に憧れた文学青年で、自身も作家志望だった。
三鷹に住み、月命日には墓参りを欠かさずに、生活の糧としていたパチンコ屋に並んでいた。
同級生に「作家志望」はいたが、本気さを自分と同じぐらいに感じて、私は彼と距離を縮め、やがてアパートに入り浸るようになった。
部屋に電話はなく、連絡の取りようはなく、向かうのは一種の賭けだったが、だいたい引きっぱなしの布団の上に転がって、
「なんか食い物買ってきたか?」
という第一声が聞こえてきた。
作家になりたいという割に、読書家ではなかった私に、何冊もの古本屋で買った文庫本を貸してくれた。
時折、女性と鉢合わせになり、そのまま帰ることも度々だった。
背が高く細身な私と、無精ひげで古着より汚れたようなデニムを履いた小太りの彼は見た目なら勝てているはずだが、実際に女性が途切れたことがないのはSの方だった。
熊本出身のSが
「九州まで歩いて帰る」
と宣言したのは夏休みの前だった。
現金はほとんど持たず、米と飯盒そして寝袋の軽装での挑戦だった。
「無理だと思ったら途中でやめろよ」
という言葉に微笑んで、うなずいていたS。
「やるって行ったんだから、絶対やれよ」
東急ハンズへ買出しにいく彼に付き合ったときに、私は言った。
「お前だけだ…そう言ってくれたの。応援はしてくれなくても、どうせ出来ないと思っているやつばかりだ」
いつもの笑顔が険しくなり、そうつぶやいた。
まるで「見返してやる」という決意の表情だった。
挑戦は成功した。
彼は言ったとおり、熊本まで歩いて帰った。
地元の新聞にも載ったらしい。学校へ来た彼は左足を引きずりながら、笑顔でやってきた。
「やってやった」
「当たり前だ」
「そうだな」
そんな短い会話を交わした。
卒業後もSとの付き合いは続いた。
私はアルバイトをしながら、知人の紹介で出版社に持ち込む原稿を書く日々を送っていた。
Sは最初に入った会社のあまりのハードワークに倒れた。
「大丈夫か?」と見舞いに行くと、「これは作家になれという運命の導きだ」とこけた頬で笑顔を見せた。
Sは療養後、大手の出版社でアルバイトを始めた。
半年後、彼は上司から正社員の誘いを受ける。
バイトから正社員になるのは、その会社では前例がなかったが、上司が彼の仕事ぶりを見て、ねじ込んだと言う。
「真面目に働いているように見えちゃうんだ、お前と違って」
と私に言い
「退社をする」
と続けた。
「オレは作家になるんだ。でもあの会社で正社員になったら、そのまま勤めてしまう。安定ほど恐いものはない。だから辞める」
そう言って彼は、雪国の旅館に就職を決め、東京を離れた。
私は、彼が消えてからも出版社への持ち込みを続けていた。
担当編集者は付いたが、デビューまでの道は見えるようで遠かった。
そんな生活に疲れて、書くことから離れようと、大手雑貨店に就職を決めて、まっとうな社会人になったころだ。
Sが東京に戻っていると友人から連絡をもらった。
聞いた住所を頼りに、古びたアパートへ行くと、穏やかな表情と無精ひげで迎えてくれた。
「ばれちゃったか」
といたずらっぽく笑った。
緑の壁がおしゃれだとみたら、カビの跡だった。
そういわれても見れば、昼間でも蛍光灯が必要なぐらい暗かった。
定期的に聞こえる中央線の音は、会話も聞こえずらいぐらいだった。
指差すと「だから安いんだ」と学生時代と同じ笑顔を向けた。
「女がらみでちょっとな・・・」
それが旅館を辞めた理由だという。
彼は人畜無害な顔をして、結構女性の問題をこれまでも起こしてきた。
「危険な雰囲気も大事だが、安全だと思って近づけさせる…それで俺はモテてきた」
垂れた目が、笑顔で細くなった。
この穏やかな表情に騙される女性は多かった。
ただもつれたことはなかった。
みんな会えて良かったと言う。
ここまで行けば特技といえるだろう。
東京に戻ったSは相変わらずパチンコで生活をしていた。
夜に小説を書き、新人賞に出しては落選を繰り返していた。
灰皿に積みあがったタバコの吸い殻は、フィルターまで焦げていた。
火をつけたのを忘れて、書いているうちに灰になったのだろう。
「書いているぞ、お前も書け」
まるでメッセージのように伝わり、私もペンをキーボードに変えて書き始めた。
ただ、私の気持ちに火をつけながら、それが夢で終わったことを告げず、彼は消えた。
訪ねたアパートは空き部屋で、中央線の音と緑の壁が目立つようになっていた。
Sがやっていたことを否定する人間は多かった。
「あのとき出版社に入っておけば…」
「まともに就職すれば…」
「所詮作家になる才能はなかった」
なる、ならないそんなことは問題ではない。
彼はやれるだけのことはやった。
本人は後悔があるかもしれない。
でもその気持ちは彼のものだ。
他人がとやかくいうものではない。
九州まで歩いて帰る、そう宣言してやり遂げた男じゃないか。
挑戦しなかった人間が、彼にいう言葉などない。
Sは今どんな空を見ているのだろう。東京よりはるかに多く光る星空の下、元気でいることを願う。
もしまた会えることがあったなら、いっぱい話たいことがある。
「オレは作家になる。だからお前もなれ」
誰よりも私の文章を褒めてくれたS。
どれだけの月日が流れても、再会できれば、夢を傍らに置いていたあの頃に戻れる、そんな気がする。
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