蚊になりたい、かかになりたい、かか蚊になりたい
バニラシェイクの終盤は、人間性を色濃く映し出してくれる。だから、最初のデートではあえてハンバーガーショップを提案する。粘り気を失ったその白い液体は、男性のそれとよく似て、時の経過をいみじくも示してくれる。徐々に粘度が落ち、やがて絵の具の白を薄めた色水のようなさらりとした質感に変化する。
肉体関係を持った相手のそれを観察し、その変化に気づいた時から、空になった容器の蓋を開けては、中身をまじまじと見つめるようになった。筒状の空間の中に、バニラの鼻腔をまとわりつくような甘い匂いと少量の白濁した液体とが留まっている。私は巨人になって、ラブホテルの天井を外し、上から見下ろしている。手でも、心でも子どもが触れることを禁じたくなるような「大人」を煮詰めたそのジオラマは、今日も多くの無垢な子どもたちの手にわたっている。いちばん最初の性教育とは、ひょっとするとバニラシェイクにあるのかもしれない。
そんな性的な飲み物であっても、蓋が開けられるまではグロテスクさを暴かれない。視覚と嗅覚の監視下に晒されなければ、最高の飲み物であることには変わりないだろう。
ただ、私たちにはまだ耳があった。芳醇な、クリーミーな、骨身に染み渡るような甘美なその液体は、突如として体液へと変容する。その触媒が、ストローがかき鳴らす音であった。男性のそれを舐める、もしくは排泄をするときを彷彿とさせるその音は、一般に行儀が悪いとされる所作だが、私にはそれが食欲を肉欲へと転化させる悪ふざけに対する不快感に思えてならなかった。だから、デートの相手がバニラシェイクの容器を手に取った時、どうしても会話にはうわの空になるし、私はいつも1割はバニラシェイクを残した。
男性からしても、この行儀の悪さに対する不快感は同じなのだろうか。それとも、棒状のもので白い液体をすする瞬間を、ちょうどアダルトビデオを観るように嗜んでいるのだろうか。そう疑い始めると、ハンバーガーショップ自体が、アメリカのマッチョイズムな国民性によって作られているのではないかとさえ考えてしまう。私は食べるところを人に見られるのが緊張するのもあって、包み紙で口元の見えないハンバーガーを選んでいるところもあるのだが、それも彼らにとっては、奥ゆかしさに見出される性的なふるまいとして、官能を刺激するきっかけを与えてしまうのだろうか。
アメリカは、日本の食だけでなく、性をもジャンクなものにしたのか。
冷房のよく効いた部屋の中で、バニラシェイクの入った容器の周りには結露がいくつもこびりついていた。
デートした相手とは、次に会う予定を決めず解散した。話を振ってもあまりに関心を持たず、気まずくて仕方なかったから。食事が来るまで、机の下で貧乏ゆすりをしているのが丸わかりだったから。…いや、バニラシェイクを轟音とともに飲み干したからだろう。
洗面所の明かりを付け、手を洗っていると、ふとぷくりとした手の甲の小さな腫れが目に止まった。痒みを感じた。ああ、夏だなと思う。私の血液を吸ったのは、どこの蚊だろうか。そして、私が過去に、未来に潰す蚊はどこの蚊だろうか。婚期を逃しかけていても、オスの人間よりメスの蚊のことに思考が持っていかれる。私も、口がストローだったらいいのに。それなら、バニラシェイクも音を立てながら飲むしかないだろう。子を産むために、命をつなぐために、吸わないといけないのだから。
子どもを産むのが夢だった。お見合いや政略結婚や、親の大義のために結婚させられることは、なんの苦痛でも無かった。かつての時代に生まれたかった、と何度も思った。だから、子孫繁栄という大義のもとに死に物狂いで血液をすする蚊までもが、今は羨ましくて仕方なかった。
リビングの大きな窓を開け放つ。温風が額を打った。カーテンが靡いた。日が沈みかけている。子どもの声が聞こえた。目をやった。手に紙容器を持っている。ストローが刺さっていた。子どもは笑っていた。
ハンバーガーショップのゴミ箱に沈んだ、私の温くなったバニラシェイクを、今飲みたいと思った。
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