5/8の日記 【電車に生かされる私たち】
//夜。学校帰り。駅構内を歩き、自分が使っている路線のホームまで向かう。行き交う人々。色々な話が聞こえてくる。
誰かを待っている声。呼び掛けている声。今日の講義はどうだったと話していたり、今から飲みなのか、居酒屋までの雑談に花を咲かせていたり。色々な会話が聞こえてくる。
ここで、目を開けてみるとしよう。
そういう想像をするのだ。
目を開けてみると、声以上に人の多さを感じることが出来る。会話をしている人だけが駅を利用しているわけでは無いのだ。
1人で歩いている人だって、もちろんいる。なんなら、そんな人たちにもたくさんの種類があって、例えばガムを噛んでいたり、イヤホンをして音楽を聴いていたりする。
足早に改札目掛けて歩いている人もいれば、端っこの方で立って、この後出会うであろう友人の存在を待っている人もいる。
それ以外にも、たくさん存在している。自分が認識出来る以上の存在が、命が。個が個として立っているのだ。
その膨大さは呆れ返るほどで、その1人1人のことを考えたら頭が爆発してしまうんじゃないか と思うほどには、大勢の人がこの駅に集っている。
//自分もまた、その中の1人なのだが、駅の改札を抜けた辺りでふと思ってしまった。
この"今、電車を待っている人々は電車が無ければ、生き抜くことが出来ないんじゃないか"と。
そんなことは無い とも言えるし、実際そうなのかもしれない とも言える問であるように、個人的には思う。
まず始めに、電車を使う人々は、常に"電車が上手く運行すること"を前提に日々を生きているように思う。もちろん、ダメだったときのために早く到着している人も存在するが、その人たちであっても"上手く運行すること"を度外視することは無いだろう。
電車が無ければ、別の生き方をするんじゃないのか。そんな問いかけが自分の中に生まれた。そうなのかもしれない。
選べるかもしれなかった人生の可能性を捨てて、住んでいる周辺で仕事も生活も全てを終えるかもしれないけど。
インフラ というものがどれだけ大切なものか というのを、今素直に感じたような気がする。これらが無ければ、僕はたぶん今の大学には通えていないだろうし。
車が無い世界 を作った覚えは無いので、車は走れるだろうが、それでも走ることの出来る時間や速度には明らかな違いがある。
そうやって考えると、今の生活があるのは"電車があるおかげ"なのかもしれない。まさしく、"電車に生かされている"状態なのかもしれない。
//なんて、適当な論調を投げ掛けてみたけど、今回の話は想像以上に抜け穴が存在しているような気がする。
移動系のインフラには、今回消した電車の他にあるのはやはり車関係だろう。自家用車もそうだし、バスだってある。もっと拡げれば、自転車だって車の区分に入る。
僕たちは車にも生かされているのかもしれない。
無くては困るもの。無い生活は考えられないもの。それら全てに、僕たちは生かされているのかもしれない。
