世界が壊れたあとで|第2章:二つの「崩壊」の間に立って――親友の自死
【前回のあらすじ】
2001年、アメリカで同時多発テロに遭遇し、「日常」の脆さを痛感したあの日。しかし、帰国した私を待っていたのは、あまりにも静かな、そして残酷な「日常の終わり」だった。
※この記事には自死に関する記述が含まれています。
マンハッタンの空を覆い尽くすテレビ画面を、私はただ呆然と見つめていた。「日常とは、これほどまでに脆く、簡単に崩れ去るものなのか」――その衝撃は、私の価値観を根底から揺さぶった。
しかし、帰国後の私をさらに深く打ち砕いたのは、世界を震撼させたあのニュースではなかった。それは、あまりにも静かに鳴った、一報の電話だった。
受話器越しにその知らせを聞いた瞬間、世界からすべての音が消えた。
時計の秒針だけが、心臓の鼓動よりも大きく、無機質に時を刻んでいく。体中の力が奪われ、足元の世界が底から抜け落ちていくような戦慄。その感触を、私は今も忘れることができない。
「いつか世界中を飛び回って、一緒に自由に生きようぜ。……なあ、そうだろう?」
それが、彼の口癖だった。
目を合わせた後、すぐにそらし、ニコッと八重歯だけを覗かせ、タバコに火をつける。
颯爽とバイクにまたがり、「じゃあな」と軽く手を振って走り去る背中。
それが、彼の最後の姿となった。
なぜ、気づけなかったのか。
今思えば、別れ際、バイクのエンジンをかける彼の指先は、わずかに震えていた。ヘルメット越しにこぼれた「じゃあな」という声も、風にかき消され、か細く、かすれていた。
だが、当時の私はその違和感を見過ごしてしまっていた。
「あの時、何か言葉を……」 「もしも一言だけでも……運命は変わっていたのではないか」答えのない問いを、壊れたテープレコーダーのように、何度も頭の中で繰り返した。
自責の念は重い枷となり、私の歩みを止めた。仕事に行こうと玄関に向かっても、靴の紐がうまく結べない。
食事をしてもまるで砂を噛むような味しかせず、深い霧の中を彷徨うように、輪郭のない時間だけが通り過ぎていった。
夜が来るのが怖かった。逃げ場のない無音の闇は冷たい不安へと姿を変え、目を閉じるたびに、彼の不在という巨大な重しがのしかかってきた。
そして、遠い日に背負った強烈な傷跡が、再び私の前に姿を現した。
それは、15歳のときに経験した交通事故の瞬間だった。
激しい衝撃と共に視界が反転し、アスファルトの冷たさと鉄の匂いの中で、私は死を覚悟した。生死の境を彷徨いながらも、目に見えない何かによって手繰り寄せられた命。
「生かされた」のだと、当時は信じていた。しかし、親友の死は、そのささやかな確信さえ、あまりにも無慈悲に打ち砕いた。
そんな暗闇の底で、ある日、ふと蘇ったのは幼い頃の光景だった。
両親に連れられて何度も訪れた、高野山。
朝露を弾く石畳の音。杉木立の奥から漂う、厳かな線香の香り。そこには、都会の喧騒とは切り離された、ぴんと張りつめた静寂が佇んでいた。
「世のため人のため」と語り続けた、刑事だった祖父の生き様。その高潔な精神が、高野山の静けさと重なり、私の中に小さな灯をともした。
それは、まだ形にならないほど微かではあったが、暗闇の底を静かに照らし続ける、確かなはじまりの予感だった。
私は誓った、暗闇の中で。
かつての私のように、一人で絶望の淵を彷徨う誰かの隣で、「共に笑い、共に涙し、共に道を歩む」――菩薩様が、すべての人々に分け隔てなく手を差し伸べるように、私も今の自分にできる精一杯の祈りを捧げたい。
そう決意した瞬間、土砂降りの雨の後、雲の隙間から差し込む一筋の光に導かれるようにして、私は仏門に身を投じた。
その時、偶然一人の留学僧と出会った。彼の瞳は、驚くほど澄んでいた。
「チベットの空は、魂の故郷に近い」
彼のその言葉に、遠い記憶をたどるような懐かしさを覚えた。
出会いから2ヶ月後、私たちはチベットへと旅立った。
それは、インド、ネパールへと続く聖地巡礼、魂の旅の始まりだった。前世から約束されていたかのような、壮大な物語の幕開け。
かつて、お大師さまが真理を求めて唐へと大海原を渡ったように。
私もまた、自分の中に差し込む一筋の光を信じて、未知なる旅路へと一歩を踏み出したのである。
(第3章:聖地巡礼――天空のチベットで出会った、祈りという光につづく)※全5回、約1万文字の物語です。
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