スマホ望遠鏡
スマートフォンが登場して、早17年が経つ。
それ以来、私たちは「遠く」ばかりを見るようになった気がする。
この魔法のような画面は、知りたいこと、見たいもの、感じたい刺激を、すぐに見せてくれる。
興味さえあれば、見られないものなんて、ほとんどない。
まるで世界が手のひらの中にあるように。
でもその一方で、手の届く場所にあるものを、私たちはどれだけ見ているだろうか。
最近、街を歩いていてよく目にする光景があります。
公園では、子どもたちが皆でスマホを覗き込んでいる。
ベビーカーを押すお母さんやお父さんが、我が子そっちのけで画面に夢中になっている。
レストランでは、カップルが無言でスマホを見つめ、
電車では、学生たちが一斉にスマホを操作している。
ずっと一緒にいれば、話すことも尽きる。
だからスマホに逃げたくなる気持ちも、わからなくはない。
昔も似たようなことはあった。
新聞や雑誌、テレビなど、意識を“外”に向ける道具は他にもあった。
けれど、今は目の前の人や風景、食事さえもろくに見ず、ただ画面だけを見つめている光景が、あまりにも異様に感じる。
いまでは、マッチングアプリでの出会いが主流になっている。
アプリを通じて結婚する人も珍しくない。
それは確かに、テクノロジーの勝利だと思う。
けれど、すぐそばにいる人を見ようともせず、
「もっと遠くに理想の誰かがいるはず」と探し続けるその姿勢には、どこか違和感がある。
その為に、自分が気がつかないうちに、相手に求める条件もどんどん高くなっているのではないだろうか。
また、SNSやアプリによって、特殊な人々を日常的に目にする機会が増えたことで、ルッキズム(外見至上主義)も加速しているように思う。
さらに最近では、AIによって「自分好みの相手」をつくることまでできるようになった。
そのAIは、何に喜び、何に悩み、どんな言葉をかければ気持ちが安らぐのかを学習してくれる。
24時間、365日、いつでも心に寄り添ってくれる。
気持ちのいい言葉を、何度でも返してくれる。
都合のいい存在。
争いも、摩擦もない。
でも、それは本当のつながりとは、少し違う気がする。
私たちはいつのまにか、
「もっと遠くにある理想」を求め続ける癖がついてしまったのかもしれない。
そのあいだに、目の前にある人や風景や会話が、少しずつ色を失っていった。
ほんの少し、顔を上げてみるだけで、そこに確かに「何か」がある。
静けさの中にある空気。
黙ったまま隣にいる誰か。
湯気の立つ料理。
風に揺れる葉の音。
季節の気配。
言葉にならないやさしさ。
スマホの中では見つからないものが、
目の前には、ちゃんとある。
