比較の外側に立つ子育て
最近、久しぶりに母とメッセージのやり取りをした。
母の日に送ったお花のお礼だったのだが、
予想通り、相変わらずの母の反応だった。
まず、お礼がなぜだか定型文なのだ。
お花届きました、ありがとうございました、
(夫の名前)さんにもくれぐれもお礼を伝えてください
普段は敬語など使わないのに、だ。
私もあっさり返す。
無事届いて良かったよ。こっちは変わりなくやってるよ
そこに、娘が雛人形と一緒に写った最近の写真を添付した。
すると母は、娘の写真を全スルーして、
つくづく立派なお雛様です
とだけ返してきた。
ちなみにこの雛人形は、
女の子が生まれたら実家が買うべきで、海外駐在にも当然持っていくべき
と娘が生まれて数ヶ月の時に母が主張し、勝手に買ったものだ。
私は続けた。
毎年雛人形と一緒に写真を撮ると、子どもの成長がわかっていいわ
これにも母は触れず、
ところで、(弟の長男の名前)くんは全寮制の高校に入学しました。
学力特待生です。 勉強もやるが、野球もやるようです
と弟の息子の近況を挟んできた。
ああ、これが私が育った母の世界観なんだよな
と静かにため息をついた。
母の世界観:比較がすべての基準だった
弟の息子が中学一年生の時、
地域の競合リトルリーグに入ったとき、
母は弟夫妻には何も言えないくせに、
私には 「そんなことは必要ない。勉強がおろそかになる」
と声を荒げて言った。
そんなことも全部忘れて、
今は“野球も勉強もできる孫”を私に見せてくる。
これが、私が幼い頃からずっと苦しかった母の世界観である。
他の人との比較でしか評価しない
世間一般の成功が正解
そこから外れると危険
比較の勝負で勝つことを求めるが、勝っても褒めない
そして、自分の子どもには絶対に「ありがとう」と言えない
母はいつも比較で自分の位置を確認していた。
会話も判断も、すべて比較がベース。
その世界で育った私は、気づけば“比較の空気”の中にいた。
比較が嫌いだった私が、比較で勝つ生存戦略を身につけた
私は比較に興味がなかった。
比較で勝負するより、
自分自身の楽しさや興味を満たすことの方がずっと価値があった。
でも比較で勝っていないと、母は私を責め続ける。
だから私は、比較で勝つという矛盾した生存戦略を身につけた。
勝っておけば巻き込まれない
勝っておけば黙らせられる
勝っておけば傷つかない
自分の内側の静けさを守るために、
外側の痛みを避けるために、
私は比較の土俵に立ち続けた。
戦略的早退という、私の“呼吸”の方法
比較の土俵に立ち続けるというのは、しんどいことだ。
中学生の頃になると、時間割表とにらめっこして、
(この授業は出なくても大丈夫だな)と思ったら、
「先生、ちょっと頭が痛くて、早退してもいいですか?」
と言って家に帰った。
成績がトップだった私は、先生からすっかり信用されていて、
「あら、お大事にね」と快く帰してくれた。
誰もいない自宅に帰る午後、
私はようやく呼吸ができた。
そうやって自分のHPを調整していた。
いわば、戦略的早退だ。
ある時、担任の先生が母に
「早退が多いですが、何かあるんでしょうか」 と尋ねたとき、
母はこう言った。
「娘は自己管理の一環として早退していて、
成績もトップを維持しています。
親として何も問題視していません」
先生も何も言えなくなった。
娘が生まれた時、私は決めた
私が母から受けた痛みを絶対に渡さない
これは今でも育児の軸である。
そして振り返ってみると、 子育てに関する私の選択や見解は、
すべて“比較の外側”へ向かうものだった。
比較の外側にある世界を、娘に渡したかった
三歳で娘の学校を決める時、
日本人のいない現地校が第一条件だった。
狭い日本人コミュニティーで、ましてまだ未熟な幼少期、
「私の方が〇〇できる」など、
容易に比較が生まれると思ったからだ。
体操教室で娘が
「他の子より身体が柔らかくないし、もうやりたくない」
と言った時は、こう返した。
うん、そうだよ。普通のことだよ。
早く走れる子もいれば、ゆっくりの子もいる。
算数が得意な子もいれば、苦手な子もいる。
それと同じで、身体が柔らかくなくても全然いいの。
体操ってね、転びにくくなるとか、
他のスポーツで動きが良くなるとか、
そういう“おまけ”がいっぱいあるのよ。
できないポーズがあったら、
コーチに言って強度を変えてもらえばいい。
だって私たち、お金払ってるんだからね
マラソン大会の代表メンバーにギリギリで選ばれた時も、
「入賞してほしい」とは思わなかった。
ただ、せっかく練習に強制参加するなら、
その時間を有意義にしてほしいと思った。
だからランニングフォームを矯正するクリニックに週末行かせた。
私は娘に“正しいフォームで走れる”というギフトをあげたいんです
と言ったら、コーチは笑って言った。
勝負で勝つために来る親が多いのに、あなたは珍しい
気づけば私は、 学校も、習い事も、関わる人も、
すべて“比較の世界から遠い場所”を選んでいた。
比較の世界は、人を削る
私は比較の世界で育った。
だからこそ、
比較の危うさも、
比較の痛みも、
比較の限界も知っている。
世間一般の“正解”を出し続ける中で出会った人の中には、
ある日突然、頑張りすぎた結果、
心と身体の限界を迎えてしまった人もいたし、
一回の挫折で立ち上がれなくなってしまった人もいた。
比較の世界は、人を削る。
だから私は娘に、絶対評価の世界を与えていきたい。
あなたはあなたで、それでいい。
このコラムの背景にある物語は、こちらにまとめています。
このコラムの背景にある物語はこちら
第一部:OSの統合
https://note.com/koz_forest/m/m6b03f9b1c8ef
第二部:私が欲しかったもの、夫が持っていたもの https://note.com/koz_forest/m/m58ae76951a87
